近くに来た帰り、駅に向かい姉小路
通りを歩いてると、真新しい鳥居が
目に入った。

高松殿跡。
この辺りは古くからの住宅地で、
神社やお寺はないと思ってた
けど、屋敷跡なら納得です。
そのお屋敷の中にお祀りされて
たお社のようです


当社は「高松殿の旧跡にして、
御鎮守の御社なり」と古記録にある。
平安初期、醍醐天皇の第10皇子
で西宮左大臣とも呼ばれた高明
親王が七歳の時、源朝臣の姓を
賜り、姉小路北西桐院東の
この地に源高明公の御殿として
高松殿を920年に造営。
同時に伊勢から天照大神を勧請し、
鎮守の社として祭った社が当社の
初めである。
高明公の娘明子が藤原道長と結婚し、
高松殿を住居とした。その後、
後白河天皇がここで即位、御所
(里内裏)として使う~
知らなかったのですが、
相当な由緒のある跡地です

そして、当時の平安京は今より
西よりの立地で、ここは左京区
の一条一坊という地名だったよう
です。
~お借り画像です~
さらに、源高明は光源氏のモデル
の一人?とも云われる人物だそう
で、ここにあったお屋敷はかなり
広大で立派なものだったようです。
この辺りが朝廷へ出入りする貴族
の住宅街だった事は何となく知っ
てたけど、その中でも歴史ロマン
を感じる方のお屋敷で、驚いた

