四脚門(西門) 重文指定。
桃山時代に豊臣秀頼により再建。
少し前ですが、散歩がてら大阪の葛井寺
に行ってきました![]()
藤井寺市という、市の名前になるほど
のお寺があり、とても情緒のある街だ
そうで、行ってみたくなって![]()
今は仁和寺の系列ですが、元は天皇
の勅願で創建されたため、仁和寺より
も古いです。
奈良時代に創建されたお寺は、
仏教が日本に伝わった当初の建築
方式で国策でもあったので、
規模が大きく、本来のお寺らしく
落ち着く感じで好きです![]()
残念ながら、度々兵火にさらされ
当時の建物は消失しており、今の
建物は桃山時代以降の近年再建された
ものです。
西門の後ろ側
西国三十三所第5番札所。
真言宗御室派、総本山は仁和寺。
御本尊は、国宝の十一面千手千眼観音
坐像で奈良時代の作品。
毎月18日と8月9日の千日参りの日に
御開帳されます。
お寺の山号の紫雲山の紫の雲は、
藤の花を表しています。
4月下旬頃には、一千年前から咲き
続ける、紫や白の藤の花がたくさんの
藤棚に咲き乱れるようです![]()
約一千年前に花山法皇がこの時期に
来山され、
参るより頼みをかくる葛井寺
と上の句を詠じられると
本尊の観音様がそれに感応され、
ゆらりゆらりと自由悠遊に浮かぶ紫色
の藤波が紫色の雲に映り、すばやく
花のうてなに紫の雲 と詠まれ
現在のご詠歌を奉納されました。
寺伝では725年、聖武天皇の勅願で行基
が創建。
古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号
を得たとされている。
近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の
寺伝を踏襲しているが、
別説では元々は葛井連の氏寺であった
とされている。
葛井連の前身である白猪氏は百済辰孫
の後裔のである王辰繭の甥である胆津
を祖としている。
吉備国の白猪屯倉の田部の丁を定めた
功績により白猪氏の姓を賜ったとされ
ている。
奈良時代の720年に白猪氏は葛井連
(ふじいのむらじ)に改姓しており、
葛井寺は、一族の葛井連広成が創建
したとされている。
また、葛井一族からは大安寺僧である
慶俊が出ている~Wiki さらに詳しく↓
別説が興味深いです
護摩堂
本堂です
1744年起首。30年余りの難事業の末
完成されたそうです。
本堂内は一部撮影禁止です。
本堂から見た南大門。
釣鐘堂
少しだけ続きます~
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