先週くらいの桃山天満宮
叔父さんが、大した事はないけど、
転んで怪我をしたというので、
通ったついでに御香宮にお詣り
しようと門をくぐりました

今はコロナの影響で、お見舞にも
行けないし、大変ですよね

お詣りだけして、すぐ帰るつもりが、
入ってすぐの天神さんに梅が咲いてる



といっても小さな木が3本、それでも
紅梅の梅が揃って植わってて、綺麗

天満宮と名がつくと小さいお宮さん
でも梅が植えられてるのでしょうか

つい引き込まれて、しばらく梅を眺めて
天神さんにもお詣りしました

ちなみに天神さんの鳥居入って、すぐ
左手には存在感のある伏見城石がゴロゴロ。
入口で寄り道してしまいましたが、
今日の目的の本殿へ
平日の夕方は空いてます
こういう参道好きです

少し人気がないくらいが、神社やお寺
って落着きますよね

無事、お詣りもして、急ぎ足で表門へ
向かってると、鳥居右手に門で囲った
場所があり、覗いてみると、こちらの
少し厳つい石造でもなさそうな珍しい
狛犬さんが、門の中に

気になったとこに、ちょうど立て札が
あって見てみると、伏見義民事跡と
書いてあります。
門の中には祠があり、鍵が閉まってて
普段は入れないようになってます。
お墓かな?

ちょっとよくわからなくて、帰って調
べてみると

伏見義民事跡
江戸時代、伏見は交通の要衝とし
て栄え、政治・経済上重要な地で
あったため、幕府の直轄地として
奉行所が置かれた。
安永8年(1779年)に奉行となった
小堀政方は悪政を行った。
「天明の飢饉」の只中にあった
天明5年(1785)、
伏見の町人・文殊久助ら7人は小堀政方
の悪政を幕府に直訴し、小堀政方は罷免
されたが、町人7人は取調べの最中に
獄死した。
庶民を救ったこの7人を顕彰するため、
「伏見義民」と称し、明治時代に御香宮
神社内に石碑が建てられた~立札より
この町民一揆は、天明伏見義民一揆と
言われ、町人一揆の成功した代表的
事例とされてるようです。
あの時代に権力に楯突くなんて、凄い
事ですよね

そして、やっぱり。
恐らくは厳しい数々の拷問をされたのでしょう。
獄中で亡くなるのは気の毒すぎる

7人の英雄を讃えるのは、当然ですね

よくフランス革命を起こしたフランス人
の気質は今も凄い、と思う事があるけど、
日本でも同じ時期のこの頃一揆がさかん
だったんですね

そして、この免職された奉行、小堀政
方はというと、茶人・小堀遠州の子孫
で遠州宗家の七世です。
一時は遠州流茶道を断絶の危機に晒した
一方で、遠州流の作法を書物としてまと
め上げ、後世に伝える役割を果たした
ことは評価されている~Wiki
人というのは、生涯で色々ありますね

遠州の作庭したお庭は素敵だし、流派が
絶えなくて良かったけど、複雑ですね。
町民は獄死したのに、身分の違いかな。
ちなみに伏見奉行所跡は、この神社を
さらに南に行った桃山団地のあたりです。
ちょっと、お詣りに寄るだけのつもり
が御香宮には、いろんな物があって
またまた歴史散歩になりました

奉行と聞くと、遠山の金さんが浮かんで
来ます。今回は思わぬ江戸時代への
トリップでした

伏見の街もさることながら、御香宮
は、ただならぬ神社で来るたびに
歴史のお勉強になります

この義民事跡なんて、門のすぐ横で、
まるで、
待たれよ

門をくぐったなれば、学んで行かれよ

と、天神さんやら色んな神様が、引き
留めてくるかのようです。
歴史好きの方には、お勧めかもしれ
ませんね
