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多摩地区は、都心に近く、自然に囲まれた良い環境ですが、2013年に私が上京した頃からも、街は非常に変化致しました。

立川、府中、調布など、街のイメージがグレードアップしました。

進化し続ける街をより知りたいと思います



多摩地区の歴史 



多摩地区(多摩地域)は、東京都の歴史において非常に重要な役割を果たしてきました。広大な地域のため、時代ごとに特徴的な発展を遂げています。


武蔵国と武士団

 




• 律令制時代: 現在の多摩地域は、古代の**武蔵国(むさしのくに)の多摩郡(たまぐん)**に相当します。

• 中心地は現在の府中市付近(武蔵国府が置かれた場所)と考えられており、政治・経済の中心地でした。

• 早くから水田稲作が行われ、東国の中でも有力な地域でした。

• 中世(鎌倉~室町時代): 鎌倉幕府の成立後、多摩川流域には多摩武士団と呼ばれる有力な武士団が勢力を張りました(例:西党、三田氏など)。

• 彼らは源頼朝の挙兵に加わるなど、武蔵国内で大きな影響力を持ちました。

• 戦国時代: 小田原の後北条氏がこの地を支配しました。八王子城(八王子市)は、氏照が甲斐国の武田氏に備えるために築いた重要拠点です。




 


三多摩の東京移管(1893年)

 



明治時代初期、多摩地域の歴史における最大の転換点の一つが、**三多摩(北多摩・南多摩・西多摩)**が神奈川県から東京府へ移管された出来事です。

移管の背景

移管には、主に以下の複数の要因が絡み合っていました。

1. 水道水源の一元管理:

• 当時の東京府の重要な水源であった玉川上水の取水地(羽村)や上流部が神奈川県(三多摩)に属していました。

• 東京府は、水源の水質管理や水利権を一元的に管理する必要性を強く主張しました。

2. 自由民権運動の抑制(裏の理由)

• 三多摩地域では、明治初期に自由民権運動が非常に盛んで、自由党の有力な地盤でした。 

• 政府や当時の東京府は、神奈川県議会で勢力を持ちすぎる自由党系を分断・弱体化させる政治的意図があったとも言われています。

この移管は、住民の賛否が分かれる中で、わずか一ヶ月足らずの審議で法律が可決され、1893年(明治26年)4月1日に実施されました。これにより、多摩地域は現在の「東京都」の領域として確定しました。




 



多摩ニュータウンとベッドタウン化

 



多摩ニュータウンの誕生

• 背景: 首都圏への人口集中に伴う住宅不足の解消と、無秩序な都市のスプロール化(郊外への拡散)を防ぐ目的で、1960年代から大規模な計画が進行しました。

• 開発: 多摩市・八王子市・町田市・稲城市にまたがる広大な多摩丘陵地帯を開発する多摩ニュータウン計画がその象徴です。

• 1971年(昭和46年)に最初の入居が開始されました。

• 都市計画: 「近隣住区論」に基づき、学校、公園、商業施設などが配置され、良好な住環境を目指して計画的に街づくりが進められました。