どうも!おちゃです!

 

 先日、ちょっと用事で東京へ行きました。

 「京都よりちょっと北だし涼しいかもなぁ」

 なんて思った私がバカでした。全然暑いですね。

 

 最近は用事がなければひたすらエアコンの効いた部屋に閉じこもる生活をしています。

 これまで所謂「文化系」を極めまくってきた私、それでも多少は頑張って散歩したりして体力をつけようと頑張ってきたのですが、、、、。きっと秋が始まる頃にはゾンビになっていることでしょう。

 

 

 

 それでは参りましょう。

 本日ご紹介する神社は城南宮です。

 

 TODAY'S
 
城南宮

 

 「城南宮」という神社。聞いたことがないと言う方も多いのではないでしょうか。

 

 しかし、京都府民にとってはかなり馴染み深い神社の1つです。

 

 と言うのもこちら「方除(ほうよけ)の大社」として有名な神社です。

 

 「方除って何なん?」「聞いたことはあるけど、具体的なことは知らないな」という方も多いのではないでしょうか?

 

 城南宮の歴史をお話しする前に、今回は方除についてご説明していきたいと思います。

 

 方除って何?

 

 結論から書いてしまうと「方除とは凶方位を犯すことによって降りかかる災厄を避けるための祈祷・祈願のこと」です。

 

 うーん。自分で書いといてなんですが、あんまりわかりません。もっと詳しくご説明します。

 

 北の玄武(げんぶ)、南の朱雀(すざく)、西の白虎(びゃっこ)、東の青龍(せいりゅう)

 これは中国における方位の四神です。

 

 玄武は亀と蛇が合体したような姿、朱雀は鳳凰ですね。

 

 この神々はそれぞれ決まった方位を司る神様になります。

 

 さらに中央に麒麟を加えると、五行に対応します。

 ここでいう麒麟は体は鹿、顔は龍、牛の尻尾と馬の蹄を持っているというキメラっぽい姿の神様になります。

 

 五行とは古代中国における自然哲学の思想のことで、万物は火(朱雀)、水(玄武)、木(青龍)、金(白虎)、土(麒麟)の5種類の元素から形成されているというものです。

 

 加えて、森羅万象が陽と陰の2つに分類でき、両者の属性は対立し万物の生成と消滅という現象を起こすとする陰陽という思想があります。

 

 これら2つを組み合わせてできた陰陽五行思想は、やがて日本に伝来します。

 

 日本に伝来してからは、日本独自の宗教思想である神道(おちゃの神社日記1で紹介しました)、同じく中国から伝来した九星術など様々な文化の影響も受け、独自に発展していきました。

 

 こうして誕生したのが陰陽道になります。

 

 かの有名な安倍晴明を祖とする、あの陰陽道ですよ!!大興奮ですね!!!!!!

 

 

 さて中国ではご説明した通り、決まった方角を司る神様は誰かというのは決まっていました。

 

 一方、日本ではちょっと違います。

 

 陰陽道では方角それぞれに神様がついているわけではなく、吉神(災いから救ってくれる神様)、凶神(凶悪な神様、災いをもたらす)が決まった方位に決まった期間、遊行します。

 

 つまりは定期的にその方位を司る神様が、吉神か凶神かは変わっていくというわけです。

 

 まぁ、なんとややこしいんでしょうか。なんかもう、嫌になってきます。

 

 この遊行システムの存在する吉凶神のことを方位神といいます。

 

 

 さてさて、陰陽師といえば平安時代。つまりはこの方位神が特に信仰されていたのも平安時代というわけですが、とにかくこの信仰のせいで結構人々が行なっていた面倒くさい風習がありました。

 

 それが方忌み(かたいみ)です。

 

 政治的な行動や戦の際に、それぞれの方角の吉凶を占い、吉神のいる方位、あるいは凶神を避けながら進むというのは何となく理解できますが、この時代の人々はただの外出時においても意識していました。

 

 例えば「用事終わらせたから家に帰っか!」となった際、家の方角が凶神のいる(禁忌の)方位を避けるために、わざわざ別の方角で一泊をして、翌日その宿泊先からみて家までの帰路が禁忌の方角を避けようとしたわけです。

 

 

 そこまでして方位にこだわる平安京、「だから京都は碁盤の目で東西南北わかりやすくなってるんですね!!!!」これは私が大学時代、方忌みの話を学んだ際に教授に放った言葉です。

 

 教授はゴミを見るような目で私を見て「たぶん違う」そう言ったのを今でも忘れません。

 

 

 さてさて、こうした方位神による吉凶は引越しや旅行、さらには家の間取りなんかも結構大きく関係しています。

 これは何となく、今でも気にされている方もいるかもしれません。

 

 定期的に凶方位は入れ替わるわけですので、家を建てる時にどんなにいい方位だったとしてもいつかは凶方位を犯すことになります

 

 そうした際に降りかかる災厄を逃れる、あるいは救い出してもらうために祈祷をしてもらうのが方除です。

 

 城南宮の歴史

 

 やっと本題に入ります。城南宮の歴史ですね!!!

 

 長岡京から平安京へと遷都した延暦13年(794年)に創建されたと伝えられています。

 

 新しい都である平安京の安泰、そして国の守護を願って建てられました。

 

 位置的にいえば平安京の中でも南の方角にあります。そのため「城の南」と書いて城南宮なんですね。

 

 そして祀られているのは国常立尊(くにのとこたちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、息長帯日売尊(おきながたらしひめのみこと)の3人の神様です。

 

国常立尊

 

 国常立尊といえば『日本神話』の中では最初の神とされています。

 

 ちょっとややこしいのですが、『古事記』においては天地開闢時に最初に現れたのは別天津神(ことあまつかみ)という5人の神々でした。

 

 一方の国常立尊は神世七代というグループに属しており、その中では最も現れたのが早かったとされています。

 

 余談ですがこの神世七代、陽神(男神)と隠神(女神)の2柱が対となって1組とされるのですが、この国常立尊と次に生まれた豊雲野神(とよぐもぬのかみ)だけは独身(独神)だったとされています。

 

 また、記述では「純男の神」とあり、これは要するに(陽気のみを受けて生まれ、全く隠気[=女]を受け付けない)という意味になります。

 日本神話には結構女好きの神様は多々登場するわけですが(この後すぐ登場します)、このお方は違ったようです。

 ずっと、色恋沙汰に浮かれるような方ではなかったのですね。

 すごい神様なのに何だかシンパシー感じちゃいます。

 

 

 『古事記』『日本書紀』さらには他の書物においても、いずれも早くに誕生している神様というわけなので、日本神話の中では根元神として神道において非常に重要視されている神様です。

 

 名前の通り「国を常(永久)に立ち続かせる」、つまりは国の永続性を担う神格を持っています。

 

 国常立尊を祀る他の有名な神社といえば、東京にある日枝神社が有名です。

 

 

八千矛神

 

 次の八千矛神、実は皆さんも多分知っている神様です。

 

 なぜなら八千矛神というのは、かの有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名だからです。

 

 出ましたチャラ男の権化!!大国主!!!!

 

 本来ならば大国主についてのご説明もここでしたかったのですが、あまりにも日本神話において特に重要な神様でり、あまりに文献やぜひ知って貰いたいポイントがあまりに多いため今回は割愛します。次回、もしくはその次あたりに大国主のみをまとめたブログを書きたいと思います。

 

 ここで知っておいて貰いたいのは、大国主はモテモテで子沢山であることから良縁祈願、さらには因幡の白兎を癒した際に癒しという神格が現れたとされています。よって病気平癒のご利益もあります。

 

 他にも国を築いた人物であるために五穀豊穣、商売繁盛であったり、夫婦仲も良好である(紆余曲折はありましたが、)ことから夫婦円満などのご利益も得られます。

 

 

息長帯日売尊

 

 

 こちらもかなり有名な方の別名になります。

 

 その方とは神功皇后です。彼女は第14代仲哀天皇の皇后、つまりは奥様にあたり神様でも天皇でもありません。

 

 しかしながら、古事記、日本書紀などを含め多くの文献が残っているように、かなり重要な立ち位置にいた女性であったといえます。

 

 神功皇后の説明の前に、皆さんは仲哀天皇ってご存知でしたでしょうか?

  

 学校で教わる際、何だか「神功皇后の旦那」という扱いを受けていたような気がします…。

 

 まあ何と言っても古墳時代の天皇ですから、神話としては残っていても歴史的事実としての話となるとあんまり教科書に書けるような内容はないのだと思います。

 

 

 

 

 唯一有名な話でいうと、仲哀天皇はヤマトタケルの息子です。

 

 「あれ、じゃあヤマトタケルって天皇だったんだけっけ?」

 と私ならなってしまうのですが、ややこしいことに違うんです。

 

 どんどん話がズレますが、このお話、個人的に私が大好きなので続けたいと思います。

 

 

 

 2つ前の天皇、つまりは第12代天皇は景行天皇(けいこうてんのう)というヤマトタケルの父でした。

 

 ヤマトタケル、双子(※諸説あります)の兄がいました。

 

 この兄、大碓(おおうす)尊というのですが、景行天皇の気に入った女性を奪ってしまいました。やはり親子ですね。好きなタイプは似るようです。

 

 景行天皇、気が弱いのかなんなのか、まあ怒ってはいたんですが、直接大碓に対して怒りませんでした。しかし、ヤマトタケルにはチクっていました。正義感の強いヤマトタケルはかなり怒ったようですね。

 

 そんな中、大碓は朝夕の食膳に顔を出さなくなりました。父親のお気に入りを奪ったことを気にしていたんでしょうかね。

 

 景行天皇は「ねぎ教え諭せ」とヤマトタケルに言いました。

 

 ねぎというのは「懇(ねんご)ろに」という意味で、「丁寧に教え諭しさない」ということです。食膳とは神様にご飯をお供えする大事な儀式の1つなんです。そんな時に顔を出さないなんて良くないから、そのことを説明してちゃんと顔を出すように説得してこい。そう伝えたつもりだったようです。

 

 

 しかし、5日経っても大碓は出てきません。

 

 

 仕方がないので景行天皇、ヤマトタケルに尋ねます。

 

 景行天皇「どうやって教え諭したのだ?」 

 ヤマト 「もう懇ろにしましたよ!」

 景行天皇「なんか話が噛み合わんな、どう懇ろにしたんだ?」

 

 ヤマトタケル「明け方、厠に入った大碓を待ち伏せして捕まえ、掴み潰して、手足を引きもいでそれを包んで捨てました

 

 とんでもねぇサイコ野郎です。彼、まだ15歳ですよ…。これには景行天皇もドン引き、というかヤマトタケルに怯え始めます。

 

 だから、ヤマトタケルをできるだけ自分から話そうとして遠征ばかり行かせていたんです。

 

 サイコパスの自覚のないヤマトタケル、何だか無茶な遠征ばっかりさせられていることだけはわかっており、なんで父のために一生懸命尽くしているのにこんな冷遇されているのかわからず涙を流していたそうです。そして、遠征中に疲労で亡くなったようです。

 

 なんだか切ない話ですよね。

 

 そんな訳でヤマトタケルは次の天皇には選ばれず、他の景行天皇の息子が選ばれました。それが成務天皇です。

 

 しかし、この成務天皇には子供ができなかったので、代わりにヤマトタケルの息子が天皇になったという訳です。

 

 父を愛し、父に愛されなかった勇者ヤマトタケル。なんだか割と最近のラノベなんかで見る展開です。現代のサブカルチャーにも応用が効く、日本神話。私もどんどんオススメの話を書いていきたいと思いますが、本当に面白いので是非読んでみてください!!!!

 

 

 

 さて、神功皇后のお話なんですが、こちらも大国主同様、かなり特殊な人物なので詳しく書きたーい!!!そう思ってしまった結果、今回は割愛させていただくことにしました。

 

 

 なので今回はこちらもご利益のみご紹介します。

 

 神功皇后の祀られている神社に参拝すると得られるご利益としては、安産・子授け・家内安全・勝運・厄除け・開運招福・土木治水有名なものになります。

 

 

 

 

次回予告

 

 

 全然関係のないヤマトタケルの話が長かったせいで、既にかなりの文量になってしまったので前編後編に分けさせていてだきます。

 

 >江戸時代にちょっとしたブームを巻き起こした『菊水若水』

 

 >鳥羽・伏見の戦いの跡地に!?!

 

 >城南宮の夏、厄除けの儀式

 

 >最後に(個人的な感想)

 

 

 

 今回もお読みいただきありがとうございました!