僕なりの見解
時代の流れと共に、必要なものは残り、不必要なものは淘汰されていきます。昭和から平成になり、失った物・..........≪続きを読む≫
僕が考える将来なくなりそうなもの・・・。ものというより、文学の1ジャンルです。それは・・・。
俳句!
何故かっていうと、もはや過去の遺物としか言えないから。文学のジャンルは、詩・短歌・小説などさまざまなものがありますけど、どれも時代の流れに沿って変化しています。しかし、俳句は別。
いまだに、文語主体に表現したり、時代遅れの季語というものにとらわれたりしていて、いわばかび臭い文学ですね。
こうなったのは、正岡子規の弟子である高浜虚子が創り上げたホトトギスという会がすべて悪いと思うわけです。
悲しいことですが、我が父はホトトギスの同人。毎月、せっせと投句して3句以上会誌に採用されることを自慢の種にしています。
ただね、採用される句数は、実力というより人脈と財力なんですよね。ようするに、選者と仲がいいとか、主催する句会でいっぱい寄付をするとかで決まっています。
俳句界は、伝統俳句協会・現代俳句協会という2つの派がありまして、相互に仲は悪いんです。他派の流儀のものは、どんなに心を打とうととも採用しないっていうのが、パターン。
つまり、自分たちの決めたせこい小さなルールの中でしか評価しないっていうのが俳句界。自由度とか創造性なんていうものとは無縁なんですね。
我が父を見ていると、それが如実に分かるから悲しい。自分の句をさも自慢気に僕に披露して、僕が批評するということは決まっている。
俳句を知らないお前に何がわかる!
詠んだことないお前に評価なんかできない!
え?おかしいんじゃない。小説家は、書かない奴らになにがわかるなんて言わないよ。むしろ、万人に通じるものがないことを恥じるのに、俳人たちはまったくその逆。
つまり、独りよがりの文学、しかも金で動くお稽古事文学でしかない。
だから、種田山頭火が提唱した自由律俳句なんかは、圧力かけて滅ぼしたしね。
現状、俳句人口の80%は老人たち。つまり、老害世代がいなくなったら俳句はおしまい。もっとも、最近の俳句は国語の教科書にのらないから、すでに古典の域だけどね。
まあ、5・7・5の世界は、川柳さえあればいいんじゃないかな。
