かかってませんか?この病・・・
依存症(いそんしょう、いぞんしょう)とは、WHOの専門部会が提唱した概念で、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激を求める抑えがたい欲求が生じ、その刺激を追い求める行動が優位となり、その刺激がないと不快な精神的・身体的症状を生じる精神的・身体的・行動的状態のことである。
この状態のことを「依存が形成された」と言う。
依存は、物質への依存(ニコチン依存症、摂食障害、薬物依存症、アルコール依存症など)、過程への依存(ギャンブル依存症、インターネット依存症、借金依存症)、人間関係・関係への依存(共依存、恋愛依存症など)がある。一般的には嗜癖・「中毒」と呼ばれることも多い(“アルコール中毒”、“薬物中毒”など)が、現在医学用語として使われる「急性中毒」「慢性中毒」は、依存症とは異なる。
参考:Wikipedia
依存症患者は、病的な心理的防衛機制である「否認」を多用するため、しばしば依存症は『否認の病』とも言われる(否認言動は診断に必須ではない)。
また、家族や恋人などが依存症患者に共依存している場合、共依存している者も否認を行う。否認は、その対象によって以下のように分けられる場合がある。
第一の否認~「自分は大丈夫!」
「プラモデルを買い続けても、つくりきれないほど貯めてるわけではない」「プラモを作っていても、自分は今までシンナー中毒になっていない」「他の趣味よりもリスクが少ないから、つくっても大丈夫」など、依存による有害性を過小評価・歪曲して、自らの問題性を否認する。
「最近はプラモにかける金額が減ったから大丈夫」などと、周囲の者が「第一の否認」をすることもある。
第二の否認~「やめさえすれば大丈夫!」
依存によって依存対象以外にも生じてしまった問題を否認することが、第二の否認と呼ばれる。
周囲との人間関係やコミュニケーション、経済問題やその人の内面などに問題があることを否認する。「プラモさえやめれば、元通りいくらでも働ける」「プラモさえやめさえすれば、俺も仲間も問題はない」など。
また「プラモ作りさえしなければ、申し分なくいい人なのに」と周囲者が「第二の否認」をすることもある。
否認は病的防衛機制として、病気利得を得るために(つまり、依存を続ける言い訳として)なされる。たとえば、
「世の中、面白くないことばかりだ」 (世の中のせいで依存し続ける)
「私はかわいそうな人なの」 (だから依存し続けても仕方ないの)
「人間は誰だって死ぬんだ」 (だから依存し続けても同じだ)
「作っていれば落ち着くんだ」 (だから依存し続けるメリットがある)
「誰かに迷惑かけているわけではない」 (だから依存し続けてもよい)
参考:Wikipedia(一部改稿)
とまあ、プラモ依存症のおはなしなんですけど、何かこうして読んでくと自分も完全に否定できないなあ(汗)。
でも、現実として常にプラモを作り続けてないと不快な精神的・身体的症状を生じる精神的・身体的・行動的状態に陥る人はいるよなあ、きっと。
自分は違うって言っても、きっと第1~2の否定になにかしら当てはまるような気がする。
ようするに、プラモと他の趣味や仕事、周りとのコミュニケーションのバランスが取れているかどうかでしょうね。
僕は、仕事への熱意は十分あると思うし、他の趣味もあるし、家族や友人とよく会話してるから大丈夫と信じたいっすね。
でも、アメブロ世界にハマっていると、プラモ依存症とネット依存症(プラモ作る以外はピグにハマるとか)が組み合わさっているだけのヒトもいるのかも・・・。
ただ、いえることはこれ・・。
他の依存症よりはましさ!
そう思いつつ、今作ってるヤツ完成させよ・・・。って、やっぱり依存症に足突っ込んでる?
ご、ゴーマンじゃないよね・・・
