こんばんは、なお です。
やっぱり親かー!シリーズを
うっかり2度もスキップしてしまったら、
もうこのままでもいいかなーとか、
うっかり思ってしまいそうなので、急ぎ足で書く。
前回までのお話 >>>
* * *
ぢんさんのブログや本を読み漁って
心屋の考え方をインストールしていくうちに、
良いこと、好きなことに向き合うのに、
嫌なことだけを避けるってわけにも
いかないというのもよーくわかってきたし、
その長年いやだ―いやだ―と思っていた親との対峙を、
ここで向かい合うしかない、と心を決めたのだった。
心屋ではいままで避けてきたものに向き合うことを、
バンジーを飛ぶ、とか
タン壺を飲む、とか
表現するのだけれど、
わたしね、マスターコースの卒業式の記事にも書いたけど、
いずれはマスターコースには行きたかったの。
そんでマスターコースに行ったら、
絶対絶対絶対に、
親とのことを扱うに決まってるって思ってね。
だったらね、そんな先にやるのも、
いまやるのも、おんなじだと思ったの。
で、行ってきたんだよ。
お父さんとお母さんに会いに。
行って、
あのあれほどおっかなかったお父さんに、
話を真面目に聞いてくれないお母さんに、
小さい時に嫌だったこと、
言われて傷ついたこと、
本当はいっぱいガマンしていたこと、
お父さんに怒鳴られて怖かったこと、
お母さんに笑われて悲しかったこと、
なんかを、わーわー泣きながら、
いっぱい伝えた。
いっぱい泣いて、
親にそんなことを言うっていのは、
初めてに近いくらい
言ったことなかったから、
うまく伝わったのかどうかも
ぜんぜんわからなかったんだよね。
相変わらず、お父さんはムッと無口だし。
相変わらず、お母さんはマイペースだし。
でも、明らかに接してきている
雰囲気というか感じは、
変わった。
そしたらさ、もういいや、って思ったの。
わかりやすい、ごめんねとか
話し合いとかもなかったけど、
いまさらこの高齢の親が
ひっくり返ったようには変わらないだろうし、
っていうかむしろ、
傍から見ても明らかに
何にも変わらないかもしれないけど、
わたしは自分の気持ちを伝えることが出来て、
自分のちょー頑固になっていた拗ねを
パァーっと解放できたから、
もういいや。
いままでは、電話にしろ会っててもにしろ、
なにか小言を言われるのかも、とか
またわかったような
上からの決めつけを言われるとかが、
いつ来るのかいつ来るのかと怯えるのも、
もうしなくていいやー!
って思ったの。
いつ文句言われるのか、見張ってたの。
自分では気が付かなかったけどさ。
その 「見張っていた」 っていうのが
自分の中からなくなっただけで、
自分の気持ちが、ほんとに、
ほんとうーに、ラクになったんだ。
お父さんもお母さんもね、
叱りたくて文句を言ってたわけじゃなかったんだ。
自分たちから離れたところで、
いっぱいいっぱいになりながらも
ひとりで暮らしている私を
純粋に心配しているだけだった。
でも心配する方も不器用。
そして心配される方も不器用。
不器用な親に育てられたから、
不器用な娘に育っただけのことだよ(笑)。
なんだよ、お父さんもお母さんも、
本当は愛情があふれてて、
どうしていいかわからなくて
もてあましていたんだ。
これが、ぢんさんの言う、
こわいこわいって思いながらも、
「えいっ!」って
バンジーを飛んだあとの、
タン壺を飲んだ後の、
景色だったんだ。
その後お母さんと、押入れを片付けていたら出てきた写真。
0歳児のわたし、かわいいじゃないのよ( *´艸`)