今日は、鎌倉のとあるお寺で坐禅体験をしてきた。
始めに、こういう会の担当のお坊さまから、
簡単に坐禅についてのお話と
お作法というか要諦の
調身調息調心
について教えていただいた。
調身 ―― 姿勢を調え
調息 ―― 呼吸を調えれば
調心 ―― 自然に心が調う
結跏趺坐(けっかふざ)の座り方を教えていただき、
手はシンプルな印を結んで、
頭を高い位置に置いて、
腰を反らせ気味に背筋を伸ばす。
顎を引いて、視線は伏し目がちの半眼で、
1.5mくらいをぼんやり見ている感じ。
体を動かすのはダメ。
ピクリとも動かないようにしてください、と。
始めの5分くらいはまだ慣れない人も多くて、
もぞもぞ動いちゃう人もいたようで、
さすがにお坊さまの喝が入る。
「もぞもぞ動くんじゃない!
なにしにここに来たんだ!」
お話はとても優しい感じだったので、ちょっとびっくりしたけど
まぁ、坐禅だし当たり前だよなぁ…と思いつつ、
そしたらお坊さまが、
「汗をかいても動かない。
足が痛くなっても、それを受け入れるんです。」
そうか!
坐禅って、苦行に耐えて我慢することじゃないんだ!
忍耐力を鍛えるためのものではないんだ!!
すべてを受け入れるためのものなんだ!
うわーーー!
うわーーーーー!!
うわー、すごいーーーー!!!
そしたら、なんだか涙が出てきちゃって。
どうしてだかわかんないんだけど、じわじわきちゃって。
堪えていたんだけど、どうしても湧き上がってきちゃうもんだから、
とうとう堤防決壊。
だーー(T_T)
そしたらですね、今度は、人体の摂理ですよ、
鼻水がーーーーっ!
これ、堪えようとしたって堪えられるもんじゃあない。。
しかし、顔を拭くわけにも、鼻を拭うわけにもいかない。
なにしろ動いてはいけないんだもん。
もうね、流れるに任せた(笑)。
じんわり汗をかきながら、
そして涙と鼻水が滂沱してるワタシ。←ちょっと大袈裟(笑)
どうしようどうしよう。
みっともないーワタシーー(焦
どうしようーー(((((((;゚Д゚))))))'
でも周りの人は、どうせ視線は
それほど動かせまい(見えなくはないけど
お坊さまは警策を持って回ってらっしゃるから丸見えだけども、
長年の修行でいろんな方を見てこられているだろう。
中には、こんなんじゃすまない修行者も見てきただろう。
だから、いいや。
このみっともない私を見られてしまう、ということを受け入れよう。
私って、受け入れるということが本当に出来なくて、
ホントに心がせまいっつーか、
実は、心の中では、他人に対してジャッジしまくっている。
そういう相手のことも、受け入れていくってことなんだろうなー…。
イヤなやつと思っているのはいっぱいいるけど、
それは、私の基準でイヤなだけだからねぇ…。
でも本当は、そんな自分が、どうにも直せないっていうか、
無意識というか自動認知でジャッジしてるっていうか、
そんな自分のことも嫌なんだよねぇ…。
…あれっ?
あれれっっ!?
そういう自分のことも、受け入れるってことか!
人にジャッジしないと気がすまない自分。
無言で相手に黄色い汁を飛ばしている自分。
何でも人よりうまく出来たい自分(この坐禅ですらそう)
人にはイイとこ見せたがりな自分。
お金がないっつってずーっとグズグズ言ってる自分。
そろそろ手術しなきゃいけない病気持ってる自分。
ダイエットするする詐欺で、ぜんぜん痩せられない自分。
etc, etc…
そんな自分も、ぜんぶぜんぶ、受け入れるってことかー。
もう、なんというか、
夢中で無になってる(なんだそれ?)な感じになっちゃって、
目は開けているけど、見えてなくて、
体はここにあるけど、意識は自由になってて、
すっごい、ほわーっと、ふわーっとした感覚になってしまった。
すごくいい感じだったけど、時間が来ちゃった。
ああーっ、もうちょっとやりたかった。
坐禅って、すごい。
本当に、マジすごいわ。
体験だけでこんなこと言うのはおこがましいけれども、
お坊さまの言うように、すたれることなく
それこそ何千年も続いている理由ってあるんだなーって実感した。
毎週のように座禅会をやっているらしいので、
今度、また行ってみようと心に誓って帰ってきた。