第1学期05回目レッスン その2 三重の虹 満月の虹 アドレナリン分泌最高!
2011-06-09現在更新
英語だけの筈の昼食会 ともすれば日本語が混じってきます。全員の頭のギアをチャンジして、英語モードに引っ張り込んで徹底するのはナカナカ大変。
Duke William!Would you please supervise so as not to allow everybody to speak Japanese!
先日、ベトナム番組を収録していて 「Gear Top 」という面白いTV番組を見つけました。ベトナムの南から北へと縦断する3人の面白さに惹かれたのですが、映像に映し出される背景のほとんどは、どこもかつて一人彷徨したことのある土地で、その風光や人々の振る舞いに懐かしさがこみ上げてきました。老人や手足のない人の戦争体験談・・・
祖先Ancestry の話題の中で、もしかしたら、私の遺伝子の中に繋がりがあるかもしれない (というより祖先血がつながっていると確信してますが)、二宮金次郎以前の明治の教科書に載っていたという偉人で、関東の治水被害の善行で名をはせた川越の庄屋 「奥貫五平治友山」 (洪水の記録は、鷲宮神社に石碑あり)や
明治・大正の山林王と言われた「諸戸清六」(三重県桑名市の六華苑(ろっかえん)の話などを紹介しようと思っていましたが、少し先に延ばすことにします。
というのも・・・・・
このところ奇跡のように嬉しい出来事がいくつかあって、生かされていてよかったと、気分が高揚しているのです。
先週末は新橋まで出かけられたのです。その日は帰路の電車内でもズーット感涙に咽ていました。昭和20年代、入学してわずか1~2年間しか通わなかった昔の小学校。
東京港区の今の竹芝桟橋の近くの学校の剣道部だった部屋を仕切って4家族で暮らしていました。海岸一帯はまだ米進駐軍が駐留していました。そこで6才の私は、姉に手を引かれて、その浜松町駅近くの小学校に入学したのでした。
着る服も母の手縫い、ランドセルもなく父の背嚢、食糧難の日々でした。
コンクリの校庭での入学式、新入生は手をつないで教室に入りました。
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今は廃校になってしまったその小学校の卒業年度のクラス会に、私が参加することができたのです。
中学・高校・大学のどんな同窓会も10年来欠席を余儀なくされたにも拘らず、しかも年賀状のやり取りさえも欠礼して音信不通だった自分なのに、孫よりも幼かった当時の古い友人たちが温かく誘ってくれました。
古いアルバムを持ってきてくれました。順番が来て、挨拶に立って、話し始めているうちに、急激に詰まりました。言葉になりませんでした。2度と会えることはないだろうと思い続けていただけに、その場にいることが信じられなくなって狼狽したのです。涙が心の奥底からどんどんと溢れてきました。
それから4日もたったのに、いまだに猛烈なハイテンションで興奮が抑えられません。当分はアドレナリン分泌が、真っ盛り状態です。ヤッホー-! 時々奇声を咆哮したくなる衝動に駆られます。
少し「向精神薬」の量を減らした方がいいのかもしれません。
以前「光の話」シリーズの中で、いろんな虹があることを書きました。虹は例えば雨上がりの晴れた日に、太陽を背にして空を見上げると、七色の橋 のように見える自然現象です。
その原理を理科の授業などで習ったことを思い出しませんか。空中の小さな水滴が光を屈折させ反射して人の眼に戻ってくるからなのです。
虹が消えないうちに、架け橋の端にたどり着けたなら、願い事がかなう、ファンタジーの世界です。
虹の形は円弧の橋のようだとは限りません。丸い形のものもあります。また、二重にも、三重にも見えることさえあります。さらに出現するのは、白昼とは限りません。満月の夜に、満天の星空の下で虹を見ることさえ可能です。
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6月6日は旧暦で端午の節句でした。
東南アジアでは祝日で祭りがおこなわれていました。
8日大宮の歯医者に行ったのですが、往きも帰りも電車トラブルがあって緊急停車、どちらも大した待ち時間もなく、運転再開となりました。ラッキー!
家内は足が短いので電車内で床に届きません。隣に座った私との会話中、突如大笑いして、のけぞりって、両足を高く上げました。なんとそれは親指を合わせる
内またではなく、踵を合わせる大きな外またでした。
私も呆れて大笑い。電車が空いていてホントウによかったな、と思いました !?










