新年あけましておめでとうございます鏡餅

 

…ってもう1月も半分以上過ぎちゃいましたね。

かな〜〜〜り長くブログ更新が滞っておりましたがスミマセンショボーン

私の仕事は年末年始が年間でもっとも忙しい業種でありまして、ブログどころではないブラックな社畜地獄を見てましたですゲロー

 

でもまあ、そんな怒涛の社畜地獄の毎日も、三が日を過ぎれば熱さ忘れる(?)

ようやく平穏な生活を取り戻して、遅ればせながら前回の続きに取りかかりましたよ。

 

本当は去年のうちに「女神の恋」は終わらせたかったんですが、結局年またぎになっちゃいましたねーショボーンザンネン

 

 

そんな私、仕事に精魂尽き果てた1月3日に地上波初登場「君の名は。」を観まして、(山田玲司先生出演の公式ニコ生実況解説を聞きながらグラサン

その翌日は一足遅れのお正月休み、作品舞台のモデルになった飛騨古川へ聖地巡礼に行ってきました〜口笛超ミーハーですな

 

聖地 飛騨古川

 

有名な飛騨古川駅を見下ろした光景。残念ながら電車が停車中のシーンは撮れませんでした泣

でも飛騨の雪景色、雰囲気があってよかったです〜

 

そして観光を済ませた後は、奥飛騨温泉郷「福地温泉」へ。

福地温泉名物の氷柱「青だる」 夜はライトアップされて更に幻想的になります。

夜寒すぎで見に行かなかったですけどねガーン

 

「御宿 飛水」の貸切露天風呂。無料で入り放題!

いいお湯でした〜。温泉最高!!

 

 

「君の名は。」の世界に思いを馳せながら綺麗な景色を見て、美味しいもの食べて、温泉で温まってのんびり〜〜爆  笑

とっても、いいお正月を過ごせました〜グラサン

 

 

この調子で今年は良い年になりますように絵馬

 

 

 

第4週(第13回~16回)「恋の復活祭」

 

傷心の吉子は再び龍之介と同じコテージで過ごすことになる。(ただし、部屋代は折半な!)

吉子はコテージにいる間にこの辛い現実を受けとめて克服すると決意したのでした。

でも、一晩過ぎたら、

「ね、遊ばない?」

小説の執筆に集中している龍之介に誘いかける吉子。

だってやることないんだもん。

「受けとめるんだろ。辛い現実を」

「受けとめたわよ、充分に」

そううそぶく吉子だが、そんな簡単に克服できるものではない。

それを見抜いている龍之介は、

「辛くっても見つめろよ。現実を。じゃなきゃ先は見えないぞ」

自分の現実の姿を正面から見つめ受け入れることで倫伝との絆を取り戻し、執筆に取り組むことで生きている実感を得ている、今だからこそ言える。

「だからさ、あんたも直視しなよ。現実を。

「本当の自分が見えなきゃ、行き着く先だってわからないだろ」

 

 

リビングから吉子の嗚咽が聞こえる。

ハンカチを手に涙と鼻水を拭っている吉子。

「あれ。また泣いてるの?…あ、そっか。向き合ったんだな。現実の自分と」

「そうじゃないわよ」

そう答える吉子が手にしているのは、龍之介の受賞作『旅人たちの星域』の単行本。

「もう、すっごいよかった〜〜〜」

龍之介の小説に感動して泣いていたのでした。

SFなんて幼稚。宇宙人ピロピロ〜なんてバカにしてごめんね。

「だから言っただろ〜。才能があるって〜」

見直したわ。これは執筆頑張ってもらわないと。

…にわかに料理をはじめる吉子。なんでまた?

「私あなたのこと手伝うことにしたの〜〜」

龍之介が執筆に専念できるように身の回りの手伝いをして応援するのだ!

 

「…私ってつくづくダメな人間なんだわ」

崩れ落ちる吉子の前には真っ黒焦げな目玉焼き。目玉焼きひとつ満足に作れないダメダメな私。

「いいんじゃないの。それがわかっただけで」

…わかったわよ。私には何にもない人間なのよ。

男からはフラれ、職場からは要らないと言われ、そして今、食事もロクに作れない。

 

「あ゛〜〜〜〜〜!私はそういう人間なのよ〜〜〜〜〜!!」

 

広いコテージじゅうに吉子さんの絶叫が響き渡るのでした。

 

「はははっ。いいことだよ。まさに現実を直視しているその姿!」

そんな等身大の自分を知るところから始まるんだよ。

「もう。悲惨よ。あまりに悲惨だったわよ。等身大の自分は」

「そうでもないよ。いいところもあるよ」

「え?例えば、どこ?」

かすかな希望にすがりつく吉子の熱い視線に言葉を詰まらせる龍之介。

「…詰まらないでよ!!」

「考えをまとめてたんだよっ。宿題にしよ。宿題」

なによそれ〜〜〜〜〜。

 

それより腹減った。オレが代わりに作ります。あ〜〜これ。末吉の会社から新発売された、北岡が手がけた商品『地鶏カレー』でも食うか。

いやよ、食べたくない。

なんで?自分を裏切った会社だから?いいじゃない、食おうぜ。お湯お湯っと。

 

「ふーん。意外に美味いじゃないの」と褒める龍之介に続いて、渋々吉子もカレーを一口。

「ん?違う。これ地鶏じゃない」

吉子は田舎で子どもの頃から鶏を〆ていたから鶏の味にはうるさい。これは絶対地鶏じゃないわ。どうしよう、このことが世間に知れたら。

 

そんな吉子の心配どおり、東京ではイチマサ食品の産地偽装で大騒ぎ。マスコミに大きく取り上げられて、会社には苦情の電話が鳴りっぱなし。

担当の北岡は頭を抱える。

「おしまいだ。破滅だよ…」

 

 

謝罪会見で頭を下げる北岡の姿がテレビで流れる。それを心配そうに見つめる吉子。

自分を裏切って捨てた男と会社の心配とは美しいね〜と皮肉を言う龍之介。

うるっさいわね!仕事しなさいよ、仕事!

テレビを切って龍之介を追い払うが、やはり気になって仕方がない。

マスコミの報道は過熱する一方で、夜になっても産地偽装問題のニュースが繰り返し流れている。

北岡さん、やつれたんじゃない?しかし北岡さんも大変だね。責任取らされてクビとかあるかも。北岡さんから連絡あった?

…ないわよ。

もしあったら?その時は

「ぶった切って、叩き切ってやるわよ!!」

そう啖呵を切った吉子の背後にあったのは、雨にずぶ濡れの北岡の姿だった。

 

「どういうこと?何しに来たわけ?」

突然の北岡の来訪に動揺する気持ちを抑えながら詰問する吉子。

…色々あって、気が弱くなってそれで来たんでしょ。

「バカにしないで!!」

いたたまれずに吉子は自分の部屋へ逃げ込む。

 

北岡は吉子の部屋をノックし続ける。僕だよ。入れてくれないか。頼むよ。

「居させて欲しいんだ。そばに」

そんな北岡の言葉に扉を開けてしまう吉子。

部屋の向かい側からこちらを見ている龍之介の姿に一瞬目を奪われてしまう。

その隙に北岡は吉子の部屋へ入り込んでしまう。

 

「大丈夫か?」

心配そうな龍之介に一言、

「あの…。おやすみなさい」

そう残して吉子も部屋へと戻ってしまった。

 

北岡に抱きしめられる吉子。

「好きなの?私を」

「一緒にいたい」

「勝手ね」

「そうだな。でも、今夜は一緒に居たいんだよ。君と…」

 

その時、龍之介は自分の部屋で一人、枕を投げつけて身悶えしていた。

「なんなんだよ!あ〜〜〜もう!!」

 

 

一夜明けて。

スッキリサッパリと晴れやかな様子の北岡。「おはようございます」

一睡もできずどんよりと暗い表情の龍之介。「どうも」

気まずい表情の吉子。

「ど、どうも…」

すごいよなぁ。女ってのは。嫌だ嫌だって言っても受け入れるんだもんなぁ。

…だってしょうがないじゃない。彼、傷ついてるのよ。

そういうの、なんていうか知ってる?

”共依存”…彼には私が必要なの。だから離れられないのってやつだよ!

「何よ。…ほっといてよ!」

 

北岡はまた一旦東京へ戻ると言う。仕事を一切放り出してきたから。

色々ありがとう。君を頼ってきた。卑怯だって、それでも必要だったんだ、君が。

「きちんと責任を果たしたら、戻ってくるよ」

そして熱い抱擁を交わすのでした。

 

 

「アンタさぁ。もうちょっとプライド持ったらどうなの、プライド」

北岡が去った後、苛立たしげな龍之介は吉子を責めるようにして言う。

「そうよ。私は弱いのよ。頼ってこられたらNoって言えないのよ!」

「まあいいけど。…戻ってこないぜ、彼は」

 

龍之介の予言どおり、北岡からは連絡がこない。

北岡に電話をしても留守電になって繋がらない。

業を煮やした吉子は親戚を騙って会社へ電話をしてみると、

「あー、あれね。会社に残れることになったんだよ。

これまでの実績を認めてくれていてね。これまで通り。ありがたいねー。

じゃ、また連絡するよー」ガチャン。

 

…………。

あなたの勝ちよ。いい気味でしょ。

忘れてたわよ。私のことなんて。

私はバカよ。

バカな上に何にもないのよ。

だからすがったの。彼の言葉に。

 

「で、どうすんだ?…それでも付き合うか。別れるか」

吉子の心は決まっていた。

「…じゃ、ちゃんとケリを付けないとな」

 

龍之介は北岡に電話をかけ、そして吉子に代わる。

 

「バカにしないでよ!!」

好きでもないくせに私を利用して。

自分が落ち込んだからって私のこと抱いて。

…それって何なのよ!!

もう二度と私のところに来ないで!

「じゃ、さよなら!!」

 

「よ〜し!よく言った!!」 

これでケリが付いたな!

龍之介は拍手して吉子を褒め称えるが、興奮から我にかえった吉子はガックリと肩を落として、

「これで終わりよ。本当に終わりよ。

…もうこの世界に私を思ってくれる人はいない。

独りなんだわ。ひとりぼっち…」

「ひとりかー。オレもそうだな」

倫伝とは一緒に暮らせないし、仕事も先は見えない。

「…あなたも悲惨ね」

「結構ね…」

…はぁ。と溜息をつく二人でした。

 

 

完全に不幸のどん底に落ちた吉子は、酒でも呑まなきゃやってらんねーと、龍之介にも付き合えと誘うが、

「勘弁してくれよ!〆切なんだよ。明後日が」

おぉ、それはヤバイ。仕事、仕事!!

 

 

ひとりでヤケ酒をあおった翌朝の吉子は抜け殻になっていた。眠れないし、食事も喉を通らない。

一方〆切に追われている龍之介も焦りで調子も出ないし、ボロボロなの。

「…ダメだこりゃ」

 

それでも頭を掻き毟りながら懸命に執筆に取り組んでいる龍之介。

その必死の姿を見つめている吉子。

 

そうやって七転八倒して足掻き続けた龍之介は、ついに締め切りの日を迎えた。

「出したよ。原稿」

おめでとうございます!と喜ぶ吉子。

しかし龍之介の表情は冴えないでいた。

 

「…ダメだってさ。オレの原稿。使えないって」

自分を見つめ直して、何かを掴んだ気がしていたが、そんな天啓でも受けたように急に人が変われるはずはなく。

迷いが出てるからな…オレの。欲とでも言うかさ。焦りでもあるな。

「…終わったよ。オレの作家生活は」

そんなぁ〜〜〜〜。

 

これ以上この場には居たたまれずに立ち上がった龍之介は、

「あのさ。例の宿題」

考えをまとめておくと言った、”吉子の良いところ”

「全部だよ」

アンタはアンタのままで、そのまんまで十分あるよ。魅力が。

何を持ってるかって、そういうことじゃなくって、その人そのものが魅力。

そういうものじゃないのかな。

少なくともそう感じさせること。

「それこそが魅力なんだと思うよ。オレは」

 

吉子はそんな龍之介の思いがけない言葉にビックリして、でも素直に受け入れた。

…初めて。そんな風に言ってくれた人は。

「ありがとう」

 

 

龍之介は荷造りを始める。もうここにいる必要ないからな。

そんな〜。もう一度書いてよ。私の休暇が終わるまで。あと5日で。

あなたにも諦めて欲しくないの。

私もそれまでに答えを、自分の進む道を見つけるから。

「お願いします!」

 

…でも。もう終わったんだよ。

バッグを肩にコテージを後にしようとする龍之介。

ふと、何やら変わった臭いがするのに気づく。

「何やってんだ?」

それは吉子が宮崎の地鶏を使って燻製づくりをしている煙の臭いだった。

「食べてかない?」

 

燻製づくりをしながら吉子は考えていた。

自分は所詮田舎の芋娘なのに、オードリーヘップバーンに憧れて、自分がイケてる女だって勘違いして、都会が似合う女になりたがって。

だから選んだんだと思う、北岡のことも。

「な〜んか、ずっと私は私じゃない私を生きてきた気がする」

 

そんな吉子の話を聞きながら、龍之介は出来上がった燻製を食べて言う。

「アンタが作ったもので唯一だなぁ。うまかったのは」

「悪かったわね!」笑

 

「…書くよ。もう一度」

だからそっちも見つけろよ。自分の道を。

「うん。わかった」

でも一つだけ。燻製を作ってみようと思うの。私。

自分はやっぱり食べ物が大好きなんだって。だから就職も食品会社を選んだ。だから、

「他に無いしね。まともに作れるもの」

「いい加減だなぁ」笑

でも、そういう所から見えるのかもしれない。

「…でしょ」笑

 

二人は晴れやかな笑顔で気持ちを通わせて、

「私たちの逃げ場のない5日間に。乾杯!」

 

 

 

ここで第4週も終わりです。

 

 

ところで、私は旅行が大好きです。

ヒマとお金さえあれば、いそいそとどこかへ出かけていきます口笛

去年はスキューバダイビングを始めたこともあって海へ行くことが多かったですが、富士山登ったり、キャンプしたりと山も行きましたし、ライブ・イベントの為に東京や金沢へ行ったりもしましたね〜グラサン

それぞれ目的は違いますが、そこへ行って何をするか以前に、”ここではない、どこかへ”行くという行為、それ自体が大好きです。

 

日常から離れて非日常へ、これからどんな景色や出来事に出会うか期待に胸膨らます高揚感と、見知らぬ人の中に身を置いて一切のしがらみから自由になる解放感がいいですね。

普段の生活を毎日繰り返しているうちに、その生活に慣れ切って感覚や感情が麻痺していってしまう。次第に何も考えなくなり、ただ淡々と日々が過ぎて流されてゆく。

そんな自動化された自分をリセットして、麻痺した感覚・感情を刺激して、”本来の自分”を取り戻す。

それが”旅”の持つ効用だと思います。

 

まぁ、これって映画見たり音楽聴いたり、ゲームしたりスポーツしたりといった娯楽全般にも言えることなんですけどね。

クリスマスやお正月といった行事なんかもそう。

”ケ”から”ハレ”へ。特別な日を設けることで日常生活に飽き飽きした状態をリフレッシュするという、ハレの場は古来より人間にとって欠かせない大切なことなんですよね。

それが”旅”の場合は、生活の場そのものを大きく変えてしまうのだから、そのハレの”効用”も大きいということなのでしょう。

 

 

そんな”旅の効用”は吉子さんの宮崎旅行にもみられます。

一度目の宮崎行きは”感覚・感情を刺激”して、北岡との恋愛感情を高めて結婚へと持ち込もうとするものでしたが、

今回の宮崎行きは失恋によって傷つき、行き詰ってしまった自分を”リセット”して”本来の自分を取り戻す”ことが目的でした。

いわゆる「失恋旅行」ってやつですね。

 

この「失恋旅行」ってのは、失恋した悲しい気持ちを旅行で紛らわすことですが、それが”本来の自分を取り戻す”効用を求めて、やがて「自分探しの旅」へと繋がってゆきます。

 

この作品のテーマである「自分探し」。

ドラマが作られた2003年当時はこの「自分探し」がブームとなっていました。

その辺りの事情は2008年に出版された『自分探しが止まらない』(速水健朗著)という新書が詳しくまとめていて面白いので、「自分探し」に興味のある方はぜひ読んでみてください。

 

 

本書によれば「自分探し」は60年代のカウンターカルチャー、ヒッピームーブメントを受け継ぐ形で、70年代に生まれた”ニューエイジ思想”と密接な関係があるとして、それが80年代のバブル景気と90年代のバブル崩壊、阪神大震災、オウム事件を経て00年代の就職氷河期、経済のグローバル化、格差社会へと繋がっていくなかで、どのようにして「自分探し」が若者の間に広がり浸透していったかのクロニクルが語られます。

この「自分探し」の源流とされるニューエイジ思想は、他にもスピリチュアル、エコロジー、ヨガ、アロマテラピー、オーガニックといった、今で言うところの”意識高い系”的な文化と深い繋がりを持って広がりましたが、一方でその自己探求、自己変革の手法が”洗脳”という形で利用されて、オウム真理教などの新興宗教、自己啓発セミナーやマルチ商法といった社会問題を引き起こすことにもなりました。

そして「自分探し」もまた、それを利用して迷える若者たちを食い物にする「自分探しビジネス」が存在し、横行している事実を明らかにして、それを徹底的に批判しているのが本書の内容です。

 

私も「自分探し」というワードにはある種の胡散臭さというか、スイーツ(笑)的な気恥ずかしさを感じてしまうのですが、それはニューエイジ思想の負の側面を数多く見せられてきたことから来る拒否反応かもしれません。

とはいえ、生きていく以上「自分」という存在からは逃れられず、確たる「自分」というものを持っていなければ人は幸せになれない。北岡のような男に”都合のいい女”として扱われ、利用されて、気がつけば不幸のどん底に陥っていることになるでしょう。

 

やはり問題はその”探し方”なのでしょう。

”あるべき本来の自分”や”自分だけの特殊能力”といったものがどこかに隠されていて、それはなんかのセミナーに参加したり、怪しげな儀式をしたり、アジアを貧乏旅行したり、ドラッグをキメたりすれば発現するなんていうのは幻想でしかない。

”潜在意識”や”潜在能力”の存在を否定するわけではないが、それを”本来の自分”として安易に求めるのは”逃げ”でしかない。

自分の意識にのぼらないからこその”潜在”なのであり、そのような認識しがたいものの存在こそが”本質”であるように盲信してしまうのは、むしろ”本質”を見失うことに他ならない。

 

先に私は”旅の効用”として「日常生活の単調な繰り返しで自動化された自分をリセットして、麻痺した感覚・感情を刺激して、”本来の自分”を取り戻す」効果を挙げました。

私はこの”本来の自分”を取り戻した感覚を、何か自分が別の自分を発見して生まれ変わったかのように錯覚してしまうから、旅が「自分探し」と繋がってしまうのではないかと考えます。

しかし、ここで取り戻した”本来の自分”とは、単に日常に飽き飽きして腐る前の自分といった程度のものでしかなく、旅から戻ればすぐにまた日常の繰り返しに取り込まれて埋もれてしまうものです。

だからいくら旅を繰り返しても彼が求めるような”本来の自分”は見つかりません。

世界を旅し続ける「旅人」としての”自分”を見つけたとは言えるでしょうが。

 

 

そうした不毛な「自分探し」への失望が反動となって、「自分を探すな」という主張の方へと時代の空気は傾いていきました。

 

「”自分”とはどこかを探して見つかるようなものではない。”自分”は今ここにいる自分しかいないのだから」

ありもしない理想郷を夢見るのではなく、今ここにいる場所、”日常”を大切にして、そのなかに楽しみや喜びや幸せを求めるべきではないのか。

そして今ここにいる自分を認め、受け入れて、その自分が今できることを地道に積み重ねていく。

そうやって地に足を着けて、一歩一歩着実に歩んでゆけば自ずと自分の進むべき道が見つかるはずだ。

 

「なりたい私」と「ありのままの私」をめぐる問題。

ニューエイジ思想は「なりたい私」と「ありのままの私」の齟齬を合致させようと自己変革を目指し、その変革が可能になる世界へのパラダイム・シフトを希求する人々を生み出しました。

その結果はオウム事件として破綻し、パラダイムシフトとしての”アルマゲドン”は起こらず、ただ”終わりなき日常”が続くことになりました。

 

だから、「なりたい私」と「ありのままの私」はどこまで行っても違うし同じにはならない、ということを認めることから始める。

世界ではなく自分の中にパラダイムシフトを起こすこと。

自分や世界を変えるのではなく、自分を測る評価軸を転換させること。

そしてその評価軸は「ありのままの私」=”本来の自分”に立脚したものでなくてはならない。

 

吉子さんが燻製づくりを始めたのも、こうした考えが基本になっています。

「オードリー」wを目指すなんてもうやめようよ。

あなたはオードリーヘップバーンとは程遠い田舎の芋女なのだから。

みにくいアヒルの子が”キレイなアヒル”を目指しても成れる訳がない。

あなたはアヒルの価値観では醜く無価値であっても、そもそもその価値はアヒルの価値観で評価されるものではない。

なぜならあなたは”白鳥”という別の鳥だから。

そうではなく本来の自分、”白鳥”としての私を磨くことこそが、もっとも私が輝いて幸せになれる方法なんだよ、と。

 

 

私も基本的にはこのような考えに納得して生きています。

非常に現実に即した、地に足の着いた生き方だと思います。

 

だが、一方でこの”みにくいアヒルの子”問題が別の絶望を生み続けていることも否定できません。

このお話から読み取れるのは、価値とは相対的で個別的なものであるということと、あらゆる物事の本質には価値があるという考えです。

 

みにくいアヒルの子の「ありのままの私」は綺麗な白鳥でした。

”美女と野獣”の野獣は実はかっこいい王子様でした。

では、私の本質、正体は一体何なのでしょうか?

「ありのままの私」は「世界に一つだけの花」、「みんなちがって、みんないい」と褒めそやされても、その正体がいくら見つめても見えてこない場合はどうしたらいいのでしょう?

 

また、いくら自分を価値あるものとして認めようとしても、それを追認してくれる他者が現れない場合。

一般論として「世界に一つだけの花」と言ってもらったところで、自分に自信など持てるはずがない。

吉子さんには「ありのままの私」全部を認めてくれる龍之介がいてくれたから、自分と向き合う勇気を持つことができましたが、そんな人がいつまでたっても現れない場合はどうしたらいいのでしょう?

 

このブログの以前の投稿返信をください その3で言及した”総主人公化”による”自意識の肥大化”問題にも繋がりますが、いくら自分のなかでパラダイムシフトを起こそうとしても、それを承認してくれる他者が現れなければ、その価値基準は脆弱なものにしかなり得ないし、そもそも高度に相対化された価値観の中で「ありのままの私」といった自分像を見いだすのは容易なことではない。

人間とは非常に多面的で流動的で複雑な存在であると知ってしまっている以上、これが”私”だと断じた自分像も一面的なものにしかならず、”本質”とは違うものになってしまう。

 

かようにして「自分と向き合う」という行為がいかに困難なことであるかを思うに、私は吉子さん的な解決方法を全肯定することができないでいるのでしたショボーン

 

とはいえ、ずっと立ち止まっていても何も始まらないし、終わらない。

 

とにかく吉子さんと龍之介は、自分と向き合う逃げ場のない5日間をスタートさせました。

そんな二人がどこへたどり着くのか。

その行く末を見届けたいと思いますグラサン

 

 

 

次回、ようやく最終回なのだ〜笑い泣き