いや〜〜〜凄かった!
何が?って
11月29日放送の山田玲司のヤングサンデーでの
「アメリカン・ビューティー」の徹底解説!
『アメリカン・ビューティー』(原題: American Beauty)は、1999年製作のアメリカ映画。サム・メンデス監督作品。
平凡な核家族が崩壊する過程で、現代アメリカ社会の抱える闇を時にコミカルに描き出す。娘の同級生に恋する中年男性をケヴィン・スペイシーが演じている。
第72回アカデミー賞で作品賞を受賞した。
私がこの映画を観たのは、ちょうど「女神の恋」が放送された2003年ごろだったかなぁ。TVで観たんだっけ
当時の私はこの映画、あまりピンと来ずにそのまま忘れてました
家族崩壊がテーマの作品ってこれ以前にもいっぱいあったし、私としては「誰が主人公レスターを殺したのか?」というミステリーの視点でしか観てなかったような気がする。んで、殺人動機が「ホモ」かよっ!確かにアメリカ社会って闇深いな〜〜
って感想だった気がする。
まだまだお子ちゃまでしたね〜〜〜。当時の私
それが今回の玲司先生の解説では、あのシーンにはそんな意味があったのかー!、あの人物関係にはそんな意味が隠されていたのかー!と目から鱗が剥がれまくり。完全ネタバレ解説なのに、実際の映画を観たときより感動しているというw
ラストの解説を聞いて泣きそうになりましたもん
公開当時も「映画秘宝」なんかでレビューを読んでたはずなんだけど、やっぱり玲司先生の語り口が素晴らしいんでしょうね。
十数年の時を経て、今ようやく「アメリカン・ビューティー」の作品価値を知ることができました
作品鑑賞には余計な前情報を入れず、純粋に作品そのものを観て感じるべきだ。という意見もありますが、一方で相応のリテラシーを持ち合わせていないと理解できない作品も数多くあるわけで、その手助けとしての評論や解説というのも必要だよなーと改めて思った次第です。
そしてその解説も、作品の魅力を最大限に伝えるレトリックの巧みさが重要なんだな〜と、やっぱ玲司先生スゲーなと思ったのでした
第2週(第5回~8回)「恋の貧乏神」
「何やってんの!?こんな所で!」
突如現れて、龍之介の頬を引っ叩いた彼女は、太田奈津子(愛華みれ)。
6年前に別れた龍之介の元妻でした。
二人の間には小学4年生になる息子がいました。
名前は倫伝(りんでん)。(中野勇士)
別れてから6年間ずっと音沙汰なしだったのに、今になって突然倫伝に接触してきたことに奈津子は憤りを感じていたのでした。
「そんなに悪いことなのか?息子に連絡することが!」
「息子?息子だなんて言わないで!!
龍之介は有名なSF作家だと言っていたがそれは名ばかりで、実は7年前に賞を獲って1冊本を出したっきり、あとは鳴かず飛ばず。全く人気は出ないが、それでもプライドだけは高く、
「書きたいものを書かなくて、何のための作家だよ!」
そう言って編集の言うことも聞かず、誰にも耳を貸さず、やがて仕事も来なくなり、収入は途絶え、
それでも家族を顧みることなく仕事の選り好みをする、自分のことしか考えていない龍之介に、奈津子は愛想が尽きてしまったのでした。
「勝手なのよ!あなたは!!」
「あの…。ちょっといいでしょうか?
そう言って二人の言い争いに割って入ったのは、吉子でした。
「それって、そんなにいけないことでしょうか?
どんな約束があったにせよ、父親である以上、
「資格はあるんじゃないでしょうか?子どもに会う資格は」
そんな修羅場の最中に、突然北岡の携帯が鳴る。
「わかった。すぐ帰る」
何やら会社でトラブルがあったらしい。
「そんなぁ〜〜〜〜(泣)
やっと二人でロマンティックな甘い夜が過ごせると思ったのに、引き止める間も無く、北岡は空港まで送るという奈津子に付いて逃げるようにして立ち去る。
嵐が過ぎ去ったように静まり返ったコテージに取り残され、それぞれにがっくりと肩を落とした吉子と龍之介。
息子を6年間ほったらかしだったと言うが、本当は3年前に一度会いに行ったんだと龍之介。
会わない間に成長した息子のことが分かるか不安だったが、姿を見た瞬間に分かった。息子、倫伝だと。
その時に撮った写真を吉子に見せながら嬉しそうに語る龍之介。
「ありがとな。庇ってくれて。
…言ってくれたろ。父親である以上、会う権利はあるって」
「あ〜。あれは別に庇ったわけじゃ…」
「誤解するところだったよ。オレに気があるんじゃないかって」
は?
「バ〜〜〜〜カ!バッカじゃないの?バッカみたい!!」
北岡が去ってしまったことにひどく落ち込んでいたところに、突拍子もなく飛び出した龍之介の無神経な冗談にはどう反応すればいいのやら。ただただ困惑するばかりの吉子さんでした。
「すっきりしないとイライラするタイプなの!私は」
「気になるとどうしようもないタイプなの!私は」
翌朝、龍之介に昨晩のことを問いただす吉子。
他人事でも首を突っ込まずにはいられないお節介焼き。まるで田舎のおばちゃんみたい。
しつこく構ってくる吉子に観念した龍之介は、これまでの経緯を語りだす。
本当は作品を仕上げてから息子に会うつもりだった。お前の父親は立派なSF作家なんだと胸を張って言えるように。
今執筆中の作品が売れなければ筆を折るつもり。作家の夢は諦める。これが最後の賭けなんだ。
でも、そうやって気負っているせいか、全然筆が進まない。
それで、ひょっとしたら息子、倫伝の顔を見たら書けるようになるかもしれない、と思い立ち、ここ宮崎まで来てしまったのだった。
完全に煮詰まってしまっている龍之介。”取材”と称して外出する。
彼と入れ替わりに、元妻、奈津子が再びコテージに現れる。
「子どもに会わせないのはフェアじゃない…。
「私、再婚するのよ。
だから、子どものためにも会わせない方が…」
そんな迷いに揺れる奈津子に吉子はきっぱりと言う。
「会わせてあげてください」
原稿が書けるように。お願いします。
その日の夜。やはり原稿には手付かずで、バルコニーで一人ワインを傾けている龍之介。その様子を向かいの窓から窺っている吉子。
そんな静かなコテージに来客を知らせるチャイムが鳴り響く。
その突然の来客は、大きなリュックを背負った半ズボンの男の子。
「リンデン!リンデンか〜〜〜〜!」
喜び駆け寄る龍之介をスルーする倫伝。ずっこける龍之介。
「今日から3泊ほどお世話になります」
吉子の真摯な言葉に心を動かされて、奈津子は倫伝を龍之介に会わせることにしたのでした。
ずっと望んでいた息子、倫伝との生活。
しかし、6年もの歳月の溝はそう簡単に埋まるはずもなく。
「会えてうれしいよ」と言っても、倫伝はキョトンとした顔。
何でも「はい」「はい」と返事良く、”ですます”口調で礼儀正しいが、かしこまった態度で心を開こうとしない。
図鑑ばかり見ていて、龍之介たちには関心を示さず、何を話しかけてもギクシャクとして会話が弾まない。
たまに口を開けば大人ぶった理屈をこねる。
そんなこまっしゃくれた態度に痺れを切らした吉子は、
「お父さんが一所懸命なのわかんないの!?気持ちに答えなさいよ!!」
そんな吉子の剣幕に、倫伝もつい本音が出て、
「来たくて来たんじゃありません!行けって言われたから来たんです!」
あなたね〜〜〜〜!!怒
あ、やべっ…
「あっ!綺麗だな〜〜と思って。目が綺麗ですね〜〜(*'▽'*)」
そんな咄嗟の倫伝の、見え透いたお世辞に吉子さん、
「やだもー。わかってんじゃないー(//∇//)」
こいつチョロすぎる。
そんなこんなで平行線をたどり続ける龍之介と倫伝。
何とか二人の間を取り持とうと奮闘している吉子の元へ北岡から電話が。
「今回はすまなかったねー。今度埋め合わせするからさー」
は?まだ、今日と明日、丸一日あるじゃない!
何、もう終わったことにしてんのよ!ざけんなゴルァーー(#`皿´)
吉子のものすごい剣幕に、タジタジの北岡は「行く。行くよ!」
キタ━━━(゚∀゚).━━━!!!
「カッレが来る〜〜〜♪カッレが来る〜〜〜♪」
一転してウキウキの吉子は、彼を迎える準備の買い出しに出かけて行きました。
残された龍之介と倫伝。
龍之介は何とか距離を縮めようと話しかけるが、倫伝の答えは全て
「別に」
何でも「別に」なんだな。
「なぜそんなにいろいろ聞くんですか?」
そりゃ知りたいからだよ。
お父さんと話すの嫌か?
「別に」
「ただムダだと思うだけです。
「どうせ自分の気持ちなんて伝わらないんだから。
「だったら話さない方がいいと思うんです。
「どうせ子どもは大人の言いなりなんだから」
「おい!そんなひねた言い方よせ!!それじゃ何にも伝わんないだろ!!」
「ありませんから!伝えたいことなんて!!」
龍之介から離れて駆け出す倫伝。ムシャクシャして柱に八つ当たりする龍之介でした。
「ただいま〜〜〜〜♪」
買い物から戻った吉子を待っていたのは、険悪なムードの二人。
「どうしたの?二人とも」
「別に」
変な感じ。でもまあいいかと荷物を開けていると、北岡から電話が。
「もしもし♪今どこ? え?…………来、ら、れない」
そうなんだよ。ちょっとトラブルが発生しちゃってさ。
今度は本当にちょっと大変なんだよ。
「?『今度は』って、今までのはそうじゃなかったってわけ〜!( *`ω´)」
そういうわけじゃないけど。じゃ、そういうわけだから。
…ブチッ。
二度ならぬ、三度まで約束をすっぽかされた吉子さん。
怒りは頂点に達して、大発狂。
この八つ当たりの大剣幕には、険悪だった龍之介と倫伝も力を合わせて逃げ惑うのでした…。
ここで第2週はおしまい。
第2週は龍之介の方にスポットが当たります。
若い頃は理想に燃え、自信に溢れ、自分の信じる道を突き進んできた龍之介。
しかし、そうやって自分本位に夢を追いかけ続けてきた結果、妻からは見放され、子どもとも会えなくなり、作家としてもいつまで経っても芽が出ずに、仕事は減る一方で、とうとう四十歳を超えてしまった。
若さとともに多くのものを失い続け、今、手元に残ったのは無駄に高いプライドだけだったことに気づく。
中年男のアイデンティティ・クライシス。
まさに「アメリカン・ビューティー」のレスターと同じ人生の危機に、龍之介もまた直面していたのでした。
レスターも龍之介も同じ42歳という設定なのが奇遇ですね
この人生の崖っぷちに立たされた心の虚しさを埋めるのに、レスターは娘の同級生に恋をして”若さ”を取り戻そうとするのですが、龍之介の場合は息子”倫伝”にそれを求めます。
”自分は人生の半分を過ぎて、もうこのまま終わってしまうかもしれない。
しかし、自分はダメでも自分の遺伝子を受け継ぐ者=息子が、自分の代わりに何かを成し遂げてくれたなら、それでこの無意味な人生は有意義なものへと逆転して報われる。
だからもう一度、親子の絆を取り戻して新たな希望を手にしたい。
そうすれば、この空虚な心は癒され満たされるだろう。”
そんな無意識下で働く大きな期待が、龍之介を宮崎へと向かわせたのは想像に難くない。
龍之介の筆が進まない原因は、彼の心に巣食う、残された人生への不安と焦りと絶望に他ならないのだから。
しかし龍之介のこの期待は、非常に身勝手な、独りよがりの醜悪な欲望であると言えるでしょう。
6年前に離婚して以来、音沙汰がなかったという事実。
3年前に一度会いに行ったというが、そんなのは言い訳に過ぎず、龍之介が倫伝を一度”捨てた”ことに変わりはありません。
妻に見限られたと言うが、それは妻子を顧みず自分勝手に生きてきたことの報いであり、ひいては龍之介が自ら望んで選択したことの結果なのです。
にも関わらず、龍之介はその事実から目を逸らし、認めようとはしない。
挙句、
「連絡するなって言ったんだろ!君が!」
と妻のせいにする始末。
そんな独善的な醜さを見抜いていた妻が、龍之介にビンタを食らわして激昂するのも無理ないことでしょう。
妻子から目を逸らし、人生から目を逸らし、自分自身からも目を逸らし続けてきた男。
吉子が「SFって幼稚よね〜w」とバカにしていましたが、思い通りにならない辛い現実から逃げ出して、ただ空想の世界に閉じこもっている”幼稚な”男に、人を感動させられる良い小説など書けるはずもなく。
そんな人生の袋小路に入り込んでしまった龍之介が、そこから何とか抜け出そうと足掻いて手を伸ばした先にあったのが、自分に唯一残された希望、倫伝だったというわけです。
しかし、そんな一方的な”救い”を求めて手を伸ばされても、そんな期待は重荷でしかなく、受け入れられようはずもない。
それも、一旦自分を見捨てた男が、また自分の都合で親子の関係を取り戻したいとか、「何をいまさら??」と言うより他ないでしょう。
ここは思いっきり怒っていい場面ですが、それでも倫伝は怒らない。
そんなの怒るだけムダ。
話すのもムダ。自分の気持ちなんて伝わらない。
龍之介の息子であったり、なくなったり、今度は母の再婚相手の息子になるのも、全て自分の意思や気持ちなどは関係なく、勝手に大人が決めてしまい、自分はそれに従う他ないのだから。
完全な諦念と思考停止。ただ大人に言われるままに行動し、大人に気に入られるように振舞っていればそれでいい。
そうやってうわべだけを取り繕い、感情を押し殺して心を閉ざし続けてきた倫伝は「伝えたいことなんて何もない」空っぽの存在となっていた。
そんな彼もまた、アイデンティティ・クライシスに直面していたのでした。
ところで、子を産み育てるという行為にはどんな意味があるのだろうか。
親から与えられた命を絶やさぬように、次の世代へと受け渡すこと。
そうやって生命は太古より途絶えることなく連綿と続いてきた。
今、ここに生きている私も、原初の生命から無数に伸び広がった系統樹の末端の一つであり、全ての生き物がそうした生命の連鎖で結ばれていることは疑いようもない。
しかしだからといって、全ての生物はこの生命の連鎖を守らねばならないという使命感から、子を産み育てているわけではない。
生きる意味だの目的だの言おうが、生物学的に言ってしまえば単に本能的リビドーに突き動かされて生殖行為におよんだ結果にすぎないのである。
更には、イギリスの動物行動学者、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」に言わせれば、
われわれは遺伝子という名の利己的な遺伝子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ
つまりは、生物の全ての営みは”遺伝子”が自らを保存する目的で仕組んだ戦略の結果であり、生命とは遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎず、生命それ自体には何の意味も目的も無い、とされるのであった。
ただ、この利己的遺伝子論は、生物の進化やそれぞれの個体の行動原理は遺伝子の視点から「説明がつく」、というだけの話であり、だからと言って直ちに人生の意味や目的を否定するようなニヒリズムを説くものではない。
私が原理的に遺伝子のプログラムに動かされているだけのロボットであったとしても、私には私固有の人生を生きる”自我”が存在していることは紛れのない事実なのである。
すなわち全ては事物をどのように捉えるかの解釈の問題であり、それを選択し、意味付けるのは結局、”私”なのであることを忘れてはならない。
ここで再び、龍之介と倫伝の関係に話を戻します。
龍之介は空っぽになってしまった人生の意味を、「父として自分の遺伝子を残すこと」そして「作家として自分のミーム(文化的遺伝子)を残すこと」に見出しました。
それ自体は何も悪いことはなく、むしろ利己的遺伝子論的にも至極当然な自己実現欲求と言えるでしょう。
しかしそうした欲求は、倫伝を龍之介の遺伝子を運ぶ容れ物に仕立て上げてしまう危険を孕んでおり、事実、今の彼自身は「伝えたいことなんて何もない」空っぽの箱になってしまっています。
そんな倫伝の名前の由来は”リンデンバウム”。菩提樹。
菩提樹とは”生命の木”。
その名の通りに倫伝は、単なる遺”伝”子の箱ではなく、連綿と続いて伸び広がる”生命の木”のように、人と繋がり、父と繋がり、伝えたいことを取り戻せるのでしょうか?
そして龍之介もまた、失ってしまった人生の意味を取り戻せるのでしょうか?
……つづく