毎週土曜日、新聞のコラム「言葉のちから」を楽しみにしています。

 

 


キャリア相談をはじめ対人支援を生業としていることから、「言葉のちから」を感じることも多く、また、自分のちからが及ばないこともあって、「言葉のちから」を磨くことに課題を感じています。

 

 


今回は、特に、残しておきたい「言葉のちから」についての文章だったので、ここに抜粋します。

 

 


“過酷な日々にあるとき、自分の言葉に出会うために必要なのは、読むことよりも書くことである”


“読書が大きく、そして深い人生のよろこびであることはいうまでもない。ただ、それが真のよろこびとなり人を支える営みへと変貌するには書くことによって裏打ちされる必要がある。”


”自分を烈しく動かした言葉、真実の自分を思い出させてくれた言葉に朽ちることのない「いのち」を与えるのは、優れた記憶力ではなく、書くという営みなのである。


たとえば、耐え難い悲しみをめぐって自分の言葉で書く。

 

それだけのことで、悲痛でしかなかった悲しみが、姿を変えてくる。

 

悲しみとは、何かを深く愛した証にほかならず、むかしの人が「愛しみ」「美しみ」と書いても「かなしみ」と読むに至った必然を自分の中で追体験することになる“

 

 


「読むこと」を「考えること」、「書くこと」を「話すこと」に置き換えると、まさに、カウンセリングが果たす役割りと似ています。

 

 


同じ事象でも、誰かに話してみることで、そのとらまえかたや意味づけが変わったり、深まったりすることが起こります。

 

 


問題を解決するというよりも、問題だと思っていたことそのものが、ときほぐれていく感じです。

 

 


”裏打ちとは、もともと書画の世界の言葉で、神に描かれた書画を軸にするとき、もう一枚の紙を裏に貼り、補強することを指す。


この素朴な行為がどれほどのはたらきを持つかは、数百年を超えた書画の存在がそれを証している。


紙を紙で支える。それだけのことで、世代はおろか時代を超えて絵や言葉が残るのである。


一枚の紙のまま残された書画が、同じ歳月の風雪に耐えられるのはほとんど不可能だといってよい。”

 

 


相談者の言葉を受けて、カウンセラーの言葉で返す。

 

 


これからも言葉の裏打ちを積み重ねていきたいと思います。

 

 


今日もよい一日を!