京王井の頭線から東急東横線を乗り継いで、中目黒駅へ。
 

展覧会「ヴィム・ヴェンダースの透明なまなざし 」をのぞいてきました。
 

ドイツ人映画監督で写真家でもあるヴェンダース氏を知ったきっかけは、映画「Perfect Days」。
 

役所広司が演じた主役の「平山」という名は、氏が敬愛する小津安二郎作品にたびたびでてくるのだそう。
 

旅を通して、主人公が自己理解を深めていくという「ロードムービー」作品を主に手がけてきたのは、氏が、ドイツ人としてアメリカで活動してきた自分の生き方を投影していたのかもしれない。
 

1986年に「逃走論」浅田彰著が出版された。
 

テーマは、パラノとスキゾ。
 

パラノとは変質型(パラノイア)のことで、過去のすべてを積分=統合化(インテグレート)して背負っているようなのをいう。たとえば、十億円持っている資産家が、あと十万、あと五万、と血眼になっているような状こと。
 

それに対して、スキゾというのは分裂型(スキゾフレニー)で、そのつど時点ゼロで微分=差異化(ディファレンシエート)しているようなこと。つねに<今>の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーがその典型。
 

1986年当時、時代の潮流がそれまでのパラノ・ドライブからスキゾへのシフトを指摘したのが本著。
 

パラノ・ドライブは、成長が続いている限りは、楽じゃないといってもそれなりに安定していられる。ところが、事態が急変したりすると、弱い。下手をすると、砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕ということにもなりかねない。
 

ここで、パラノ・ドライブにかわって登場するのがスキゾ。何かあったら逃げる。ふみとどまったりせず、とにかく逃げる。そのためには身軽じゃないといけない。家というセンターをもたず、たえずボーダーに身を置く。家財をため込んだりせず、そのつどあり合わせのもので用を足し、子種も適当にばらまいておいてあとは運まかせ。たよりになるのは、事態の変化を捉えるセンス、偶然に対する勘、それだけ。
 

たとえると、パラノは森の中の大樹であり、スキゾは三角州の雑草。
 

森という安定した環境では大樹が有利だけれども、常に変化する三角州では、種子を遠くに飛ばす雑草の方が強い。
 

ロードムービーというのは、「旅」なのでスキゾ。
 

Perfect Daysも、パラノからスキゾを描いているように思う。
 

「スキゾ的幸福観」を味わえる