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世紀を超えた繋がりを、しっかりと受け止める。

2日目、品川プリンスでの朝食は【Luxe Dining HAPUNA】にてビュッフェ。


大好きな油揚げを、一杯の味噌汁に大量に詰め込んだ、最高だった。


それとフレンチトーストが美味かった。


真横に座った黒人男性2人組が、トーストに焼き魚を乗せて食べていたのが斬新だった。


今度真似しようと思った。


本日最初の見学は羽田、つまり東京空港事務所。


今までいくつかの官署も廻っていたので、特段の驚きや感動は無かった。


しかし、とはいえ管制官の人数だったり、360°見渡すことの蓋然性が考え抜かれたような管制卓の配置などには目を見張るものがあった。


管制塔内から見渡す風景は、やはり東京の大都市圏なわけで…


そこを目がけ、またはそこから世界へと飛び立っていく飛行機を見ていると、東京も世界に誇る国際都市なのだと考えなおさせられる思いがした。


IFR室なども見学させていただいたけれど、どこをみても“何となく”羽田と成田の壁を感じなくも無かった。


もちろん空域云々という話もあるのだけれど…


羽田のハブ化、成田のターミナル管制移管などをはじめ、日本国内全空港、国土交通省を含めた体制に一貫性を感じることができない意味もあるのだろう。


国家公務員“にしては”良性(専門職)であり…


国家公務員“らしい”一面(一種の官僚制)もある。


羽田にある計4つの滑走路への進入管制、#にならぶ滑走路から(へ)の発着順序の決め方やタイミングなど、技術的にとても参考になることが溢れていた。


さすがは(いまや)日本の基幹空港である。


午後は日本航空のパイロットの方に付き添っていただき、日本航空の業務、ひいては日本の空に資することがらを体験させていただいた。


まずは日本航空のパイロット養成にも使用される、フライトシミュレーターを操作できることに。


限りなく本物に近いコックピットで、パイロットになりきれる大変貴重な時間!


見学班のなかで最も出席番号の若い私は、幸運にも航空機(Boeing747-400)を滑走路へ進入させ、そして離陸させるという重要な任務につくことができた。


誘導路の中心線に併せて滑走路まで辿りつく難しさ、それと同時に管制塔と交信する忙しさを身にしみて感じた。


基本的にパイロットの方がサポートしてくださったので、離陸の手順なども覚えずに…


ただひたすら「うわ、すげ~!」って感じで機体は空を目がけて浮いていた。


もう経験できないだろうな、操縦桿握りながら視界が真っ青になる光景なんて。


急に気圧が減圧してしまう事態やエンジンが不能になってしまうこと、さらに正面から別の航空機がやってきて衝突の危険性がある状況など、多くのパターンを経験した。


その航空機を飛行場に到着させる作業を全員が行ったけれど…


接地の瞬間に期待がバウンドしてしまうなど、予想以上に難しかった。


ましてや実機だったら、と考えると…


パイロットへの尊敬は尽きない。


続いて日本航空の安全啓発センターを訪れた。


ここはあの日航機墜落事故(123便事故、御巣鷹山事故など)での犠牲者追悼などの意をこめてつくられた施設。


ちなみに自分の生まれ年、しかも私の誕生するちょうど1ヶ月前の出来事である。


墜落直前に書かれた遺書や、その衝撃により大破した機体の破片などが、大切に保管され、私たちの目に映っていた。


犠牲者の方の想いや、航空の安全に対する日本航空はもとより世界中の航空業界の姿勢が詰まった場所だと感じた。


そして最後に、専ら日本航空の社員のためにつくられたアーカイブ室にて、日本航空の歴史を彩ってきた記念品や乗務員の制服などを閲覧してきた。


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普段では拝見することのできない施設を見学できたことはもとより…


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日本航空の社員の方々が尽力して航空の効率性や安全性へのバランスに努めている姿が、とても心に残った。


ありがとうございました。


ひと通りの日程を終え…


新しい国際線ターミナルにも行ってみた。


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出発前に先日テレビで観た【せたが屋】でディナー。


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<せたが屋つけ麺>はツルツルの麺ののど越し、そしてスープの少し焦げたような香りが食欲をそそる一品だった。


個人的にはすごく好き。


David Foster & Katharine McPhee - I Will Be There With You




空への想い。


色んな方面から同じ場所へと届く、そんな感覚的な全てをも包含する偉大なる存在(概念)だと思った。


「空港が好き」


そんな理由でこの業界に落ち着いた自分だけれど…


もっと素直になった瞬間に思うものは、より“物質的に”“空間的に”空へと近く、空と結びつく自分の姿なのだと実感した。


色々なことを考え続けた2日間は、こうして今の自分自身を見つめなおす鏡の一瞬となった。
「プライベート」というカタチではないものの、久しぶりに東京のほうへ戻ってきた。


羽田に到着後、一路埼玉方面へ。


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航空公園駅へ。


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ここには初めて来たけど、駅の周辺から目的の場所まで「航空」という文字がとても多かった。


少し歩いて…


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【東京航空交通管制部】は、(ごく簡単にいうと)日本の航空路の大部分(同様の施設が他に札幌、福岡、那覇に所在)を担っている官署ということになる。


その後はホテルへの移動前に新宿へ。


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4人の内訳(横浜×2、大阪×2)が個人的にツボで楽しかった(笑)


【新宿中村屋】にてカレーをいただく。


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<カキと白アワビ茸のカリー>は白あわび茸のコリコリした食感、そして肉厚な牡蠣のまろやかな味が絶妙だった。


レモンを牡蠣にひと絞りして、爽やかなカリーを楽しむのもよい。


食後、ホテルでの集合時間を気にしつつ…


サザンテラスを散歩。


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タイムズスクウェアをバックに、青色が基調のライトアップが映える新宿の大好きな場所。


品川へ。


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青物横丁で日本航空のパイロットの方々と呑んだ。


思っていた以上に軽い(いい意味で)人たちで、とても話も弾んだし…


パイロットとして、国際線ならではのこぼれ話やあんな話(!)までしていただいた。


すごく楽しいひと時だったし、何より…


彼らの懐の広さや、感覚の広さ(?)のようなものを感じさせてもらった。


内弁慶で話に何の深みもない大人たちを知っている分、ある意味パイロットの方々の子どもっぽさに惹かれたのだと思う。


そういう点って、後進に対する付き合い方によく表れている。


若い人たちに希望を持たせたり、励ましたり…


やっぱそういうものはカリスマ性が必須だと思うし、磁石のNS極のように引き合う関係は、それが「身近」であるからこそ実現するのだ。


そして、それ単体でも他者を引きつける力をもつからこそ…


とにかく貴重で有意義な時間を過ごすことができた。


日本航空のパイロットの方々、本当にありがとうございました!!!
梅田ガーデンシネマにて『シチリア!シチリア!』を鑑賞してきた。


「この人“にしか”できない、つくれない映画という感動」


私の大好きな監督のひとり、ジュゼッペ・トルナトーレは『海の上のピアニスト』や『ニュー・シネマ・パラダイス』などの名作、傑作を数多く生み出してきたひと。


計り知れない期待を胸に、ずっと待ち続けてきた作品の公開日だった。


予想どおり梅田ガーデンシネマの初回(12:30~)は超満員で、久しぶりに劇場での立ち見客を目にするほどであった。





監督の故郷であるシチリアを舞台に、親子3代にわたって展開される…


何の変哲もないこと。


しかし、何かが私たちの見る現実と圧倒的に異なっていた。


それこそ<時間>という感覚であり、この作品でその概念というのは抹消されてしまったのだ。


(監督の思うがまま、いや、ただ想起させてくれただけなのだ)


第2次世界大戦を契機とする激動の日々にも、唯一「変わる」ことがなかったもの。


政治バランスが崩れようと、人々の経済に関する認識が変わろうと、大事な人を失おうと…


常に私たちの心の中にある<故郷>という安心、成長、そして自分自身へと回帰する拠りどころ。


ペッピーノ(フランチェスコ・シャンナ)のことを思えば…


「ずっとこのままでいて欲しい」と思う。


時間(歴史)のことを考えれば…


「いつか変わってしまうもの」と知る。


交錯し、少年時代と青年時代、そして父親になった彼の姿を色々な時間軸で捉えることによって…


人生の儚さを思う。


しかし、それらが交わる点があったとすれば…


きっと、儚さに絶望感など感じ得ず、そこには人生に対する歓びしか見えてこない。


ファンタジーのように描かれた印象が、最後の最後にそれを邪魔しないのは何故だろうか?


戦後の混乱期に共産党員となり、地元での地主の冷酷なさまを見て、社会主義こそが正義だと心から信じたペッピーノ。


そんな彼の背景も知らず、共産党員であるだけを理由にマンニーニ(マルガレット・マデ)の家族はふたりの恋を認めない。


駆け落ちへと向かう彼らの姿。


教師に「危険分子」と呼ばれた彼だからこそ、多数に打ち克つ勇気のある少数であり得た。


大好きだった無声映画を観ているかのように…


音なんて無くても彼には充分だった。


作中にふんだんに収められたエンニオ・モリコーネによる音楽が彼の代弁者だ。


ときに壮大に、またあるときには軽快に…


思わず吹き出してしまいそうになる出来事や台詞、そして戦争での悲惨な体験。


特徴のあり過ぎる出来事が繋がっていく。


あらゆる状況下にあっても、誰かが誰かを見守っている。


助け助けられ…


共に生きている。


そこに<時間>という概念は無かった。


「時が癒してくれる」傷なんて無い。


誰かが困っている“から”助ける。


<時間>なんて概念は、単なる逃げ道でしかない。


概日リズムのなかに生きるものすべてを相対化する、最も手っ取り早い言葉だ。


この映画は…


割れたガラスの破片を拾い集めるような映画だったと思う。


決して重なるもの同士で順序良く拾い集める必要なんてない。


むしろ、(「安全のために」と)取捨選択するかのように、またはパズルを解いていくかのように集めようとすると、きっと人間(自分自身)の内面は無視されるだろう。


どのように拾ったって…


どのように捨てたって…


そこに映るのは自分。


私たち自身が望んでそれらの破片と向き合えば、いつも見えてくるものは同じ。


もうひとりの自分。


違う時代に生き、こうして今の私を見守ってくれる私。


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さいごにペッピーノがみせた表情は、この世の最上の幸せだ。


自分自身と出会い…


その“彼”も走っていた、大切な何かを護るために。


あらゆる哀しみや怒りを経験して、たったひとつの小さな命、生命の重さを知ることのできた少年は、きっとあらゆる希望へと。


最高に心が躍った。


余韻に浸りきることのできるエンドのあいだ、ずっと嬉しくて涙が流れ続けていた。


最高の作品。


これこそ映画だ!


クリスマスまで1週間、年末そして年明けまで2週間…


過ごし方を模索していたけれど、とりあえずとっても幸せな気分でいられそう。


本当に感謝したい。


思えば…


この監督の作品で胸を打たれることは非常に多い。


登場する子どもたちに惹かれているんだろうと思う。


とにかく純粋で真っすぐ…


絶対に裏切らないんだよ。
ワーナー・マイカル・シネマズりんくう泉南にて『ノルウェイの森』を鑑賞してきた。





御存じ、国民的にとどまらず世界的に傑作と名高い村上春樹の原作を映画化したもの。


文学と映画は相容れないもの、だけれどそれらを受け止める器は同じもの。


この作品の直子(菊地凛子)と緑(水原希子)、その間で揺られるワタナベ(松山ケンイチ)の関係は捉えどころのない。


随所に散らばる文学“的”な台詞の数々。


すべてバラバラのようであるが…


それらをただ一つ繋ぎとめるもの、それは<時間>。


「あの頃ぼくらは…」と振り返ることのできる、確実な時間。


そして「きっとこの先も…」と期待することのできる、不確実な時間。


これらの間にあっては、どうやらセックスも流動的なものなのかもしれない。


そのずっと先に確かな<死>が待ち受けていても、「強く生きよう」と思える潔さ。


その潔さが創り出す世界は、決して白銀世界ではない。


周りからみればドロドロとした、一切の気味悪さをも内包するような、捉えどころのない悪印象。


「好きな人いるの?」


「いるよ」


ワタナベの潔さは本物かもしれない。


最初から最後まで一貫しきったワタナベに対して、彼を取り巻く人々は流動的だった。


望みとは裏腹の…


かといって、期待はずれではなかったかもしれない愛し方が生まれては消えていった。


大人にしか分からない、これこそ<躍動感>と<喪失感>、そして<悦び>と<哀しみ>をシンプルすぎるほどに感じさせてくれる映画だった。


たしかに文学作品を映画化するなんて、とても骨の折れる作業であり、多くは批判を伴う結果になってしまっている。


しかし、彼らに限って、「原作はどういうことを訴えてるの?」「原作で良くって映画では悪かった点はどこ?」といった類の質問には応えることができない。


それが現状のこの国の映画ファンにとっては、とても刺激的な作品となったのではないだろうか。


ノルウェイの森。


"Norweigian Wood"


ことばのあやというか…


夢中になれることばをもった女性に出会えれば、きっと自分も「(好きな人は?)いるよ」と言える日が来るのかもしれない。
しっぽを振りまくって…


「お漏らし」手前みたいな勢いで迎えてくれたお二方に感謝します。


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いっや~、いつも元気だね♪


チャムはジャンプして飛びかかってくるし…


アミはうちの脚の間に顔うずめたかと思えば、ひたすらペロペロ舐めてくる(笑)


もうね、可愛すぎて一緒になって遊んでるつもりが…


いつの間にか、俺が遊ばれてるのかな?


また年末帰るよ!


そうだ、そのうちふたりの2ショット撮ろうか♪


もう喧嘩もしなくなったし(笑)
<「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」展>のために【横須賀美術館】を初めて訪れた。


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横浜の実家からも、車で少々離れた場所にあった。


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外観は白基調で曲線と直線の奏でるバランスが美しく、何より目の前に広がる海が綺麗だった。


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併設されたレストランは大盛況で、そこから眺める海は最高だと思う。


今回は両親と一緒に行ったので、ちゃっかり「今度ここで食べよう」と約束を取り付けた(笑)


こんな場所で、英国美術の展示を催してくれるなんて。


横浜出身ではあるが横須賀とも縁の深い私としては、2つの思い出が重なり合っていくような心地になり、とても嬉しくなった。


実際に、この場所にたどり着くまでに、生まれて初めて独りで映画を観に行った場所を通過したりもした。


そして感じた。


あの頃から何かを「鑑賞」し、心ひかれることに快感を覚えていたのだな、と。


変わってない。


15年しか経ってないんだもんな。


さて展示であるが…


一般的に<ラファエル前派>と呼ばれる19世紀美術の一派における代表的作品と、それに影響を受けた「モダンデザインの父」と呼ばれるウィリアム・モリスの作品が並んでいた。


とても表題に忠実な、言い換えればシンプルで統一感のあるコレクションであったと思う。


そして、個人的にも多くの英国にある美術館の名称を目にすることになり、懐かしい気持ちで胸がいっぱいになった。


特に印象深かった作品がロセッティの≪マイケル・スコットの求婚≫だった。


赤チョークと黒チョークで小気味よく描かれたような線と、思い浮かぶままに心で擬えたような構図がとても美しく感じた。


そこに映し出された人物は、今にも何かを演じるために動き出してくれそうな迫力さえ感じる色づかい。


他にも≪長髪の少女の頭部≫など、ロセッティの作品で描かれた女性たちの長髪はじつに特徴的である。


ボリュームある毛髪は、ときに紙面の中心に鎮座し、またあるときには作品の端でなびいている。


それぞれが生あるもののように存在感を放っていて、そこに私たちは女性らしさを感じ取っていることに気づかされる。


顕著にそんな気分にさせられた作品が≪レディ・リリス≫である。


「魔女」という言葉に疎いせいか、ただひたすらに妖艶な女性で魅力的に感じるのだ。


この作品で櫛で梳かされている長い髪も存在感がとても強い、たしかに危険性を孕んだ色をしていなくもない。


隠されていても存在感を感じさせるのが≪マリゴールド≫だった。


花瓶を大事そうに手に取る女性は長い髪を束ね、何やら布のようなもので全体を覆っているが…


それが逆に私の気を惹きつけていたことと思う。


俗にいうチラリズムだろうか、男心をくすぐるとても絶妙な構成だと感じた。


女性の青と緑の衣服、そして背景に溶け込むような髪は温かい彩色で、ずっと観ていても飽きない美しさがある。


なるほど文学的な価値も重くなってきたラファエル前派の影響か…


そう考えて拝見すると、たしかにウィリアム・モリスのデザインたちは視覚的な美、つまりは形象的デザイン性や華美な色合いに頼らない、持つものの感受性に依拠したようなデザインだったと感じた。


タイル一枚をとっても、それだけでストーリーが完成してしまうような、言ってしまえば大変に贅沢な展示品が数多く配されていた。


それから、最後の辺りに展示されていたウォルター・クレインの≪平和の天使≫も印象に残った。


天使を描いた絵画は数あれど、こちらの作品は極めてストーリー性に富んだものだと感じた。


地から離れた足元、そして眼下にはどのような光景が広がっているのか…


その表情が意味するものは…


よくよく見てみると、極めて人間の女性らしいと感じてしまう体の曲線をしている。


他のふくよかな女性画とは一線を画す、どこか人間らしいと思える天使。


だから気になってしまうのだろう。


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英国調の美術の数々、そして懐かしさ溢れる横須賀の風。


晴天、青い空に呼吸さえも楽しく感じるようなひと時だった。


最高の美術館のひとつだ。
今年2度目のJónsiを見るために…


新木場にある【スタジオコースト】へ行ってきた。


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もう3ヶ月前くらい、いやサマソニ終わった直後から楽しみにしていた。


気付けばずっと泣いてた。


声を、そして音が耳を通して心に響く。


ふと思えば、生物として最も根源的な<生>と<死>を…


アイスランドという場所に求めている。


これまでもいつまでも、ずっとずっと流氷のように静謐を揺蕩うだろう。


今回『Kolniður』で「強いと信じること」を感じた瞬間は、とにかく全身で震えた。


- Setlist -

01. Stars In Still Water

02. Hengilás

03. Icicle Sleeves

04. Kolniður

05. Tornado

06. Sinking Friendship

07. Saint Naïve

08. Go Do

09. Boy Lilikoi

10. Animal Arithmetic

11. New Piano Song

12. Around Us

---encore---

13. Stick And Stones

14. Grow Till Tall


スタジオコースト出たあとは、もう寒さも何も感じずにいた。


あの音と共鳴する心をもっているのだと思えたら、もう暗がりなんて怖くない。


そこには冷たくも偉大なる静けさが、私の吐息を包み込む。


Takk...
銀座テアトルシネマにて『白いリボン』を鑑賞してきた。





ハネケ作品ということでなかなかダークな雰囲気は必至だったけれど…


初対面でありながら「そういう(陰鬱な)のもイケるタイプでしょ?」という確信のもと、この作品に彼女を誘うことには何の抵抗も無かった(笑)


チェス盤をひっ繰り返す。


白と黒、そしてそれぞれの姿との組み合わせで体裁を保ってきた。


それぞれの正義…


それぞれの役目…


目的と大義。


オーウェルの開拓した『動物農場』では、まさに混沌の渦中にあった意識の変革。


この作品で開化したものは、ひとつの視点でそれらを総括すること。


しかし、当初より<犯人>(原因)は明確でないことを望まれている。


逃げる、ひたすら逃げる。


目を逸らす、凄惨な現実から…


抽象的な「純粋」や「無垢」へと。


この作品は難解であり、同時に非常に明確な構造で私たちの脳幹へと突き刺さる棘をもっている。


突かれた瞬間に私たちが目撃したものが、<戦争>だった。


子どもと大人という概念の存在を否定するために、敢えて彼らに彼ら“らしい”感情や行動を圧しつける。


ドイツ北部の小さな村で、ひとつの命が失われていくたびに聞こえてくるもの…


恐縮であるが、戦争体験のない私にも迫ってくるような恐怖を感じさせた。


静かに失われ、モノクロの果てに時と共に埋没していく生命。


ナチス台頭前夜というひと言では捉えきれない…


人間の異常性と普遍性を見つめなおす2時間となる。


<教師>が分析し説いていく、その声に耳を傾ける私たちは学生だ。


画一化から逃れる手立てはない。


もはや、その態勢から脱しなければならないのかもしれない。


結果から学び取った世界もある。


貧しい小さな村で起きた奇怪な出来事の連続…


バタフライエフェクト的に繋がった戦争への啓示。


羽を広げた犯人は誰か?


監督の言うように、すべての瞬間に答えが隠されていたとするならば…


チェス盤を作りだすように、この世界を創り上げた神なのかもしれない。


事実と信条の葛藤に揺れる、偉大なる<心>という武器の不安定さを垣間見ることのできる作品だった。


ハネケ初めてのモノクロである理由。


それこそ宗教色というカラーを鮮明にする唯一の方法だったのだろう。


人間の残酷さ、欺瞞や悪を表すあらゆる言葉の陰に隠しておくには、きっと薄すぎた。


このままでは消えてしまう、私たちが(宗教を“はじめ”)良心の拠り所とするものが。


それでは、きっとこの作品の対比軸を見誤っていただろう。


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果たして私は、人間なのだろうか?


それとも…


誰かに動物としてキャスティングされるのだろうか?


ハネケの作品は、いつでも人から評価されることの愚かさを痛感させられる。


しかし、それも今となっては痛快である。


なぜなら、もう既に彼らの生きる腐敗した社会は眼前に広がっているからである。


もはや恐怖すら感じない。
この週末横浜に帰ってきた。


順番的にいうと…


ある人と会うこと、映画を観ること、JónsiのLiveに行くこと、横須賀にある美術館に行くこと、そして家族や親せきに会うこと。


まずは1ヶ月以上メッセージのやりとりをしていた方との初対面。


なんとこれまで、声はおろか、顔さえもお互いに知らないという…


多方面から「挑戦的」といわれてきた(笑)


最初はどんな人が来るのだろうという、ひとつ大きな好奇心。


声をかけてきた君は、予想以上に「イメージ通り」だった。


そして、最後はずっと知り合いだったような印象をもってお別れすることができた。


彼女は…


メッセージで受け取った印象そのままに、とても明るくしっかりした自分をもっている人だと感じた。


「もっと小柄じゃないかと考えてた」


ごめんなさい、大きめ(177センチ)でした。


色々と趣味や好みが近い私たち…


今回はカフェが好きという彼女を、おススメの場所にご案内!


(その前に、銀座テアトルにて映画を鑑賞してきた)


二重橋前にある【CAFE1894】という、明治期に銀行として使われた空間で嗜むランチ。


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全体的にサッパリと爽やかなテイストでまとまったプレートランチ。


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かぼちゃのスープが甘さ濃厚で、二人して感動していた。


そういえばハロウィンくらいん時、パンプキンスープがどうとか話してたよね(笑)


<雰囲気>という点に関しては特に息が合っていると信じていた通り、とても気に入ってもらえたようで良かった!


食後の“もう”一杯ということで、こちらもまた私がこよなく愛する(現在のところ日本で一番好きな)スタバマロニエ通り店へ。


道中…


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銀座の名物ねこ。


初めて見たけど、やばいね。


何がって、もう微動だにしない点、貫禄?


気持ちよさの最上級みたいな状況だった(笑)


彼女からは色々と興味深い話(法律系)聞けたし、こっちも色々と教えるのが楽しかった。


もっと時間があれば、どこまででも話が拡がっていきそうだったね。


メッセージでどっちも予想していた通りな展開すぎる(笑)


短い時間だったけど、有楽町の駅前で声をかけられてから、お別れの時間まで。


正確には、最初にメッセージを送ってくれたときから、実際に会ってからも、ずっと同じ波長で楽しめてる!


ひとつ悔やまれるのは…


俺が酷く疲れてたみたいだったこと!


映画の途中で一瞬睡眠するなんて、何か月ぶりだったものね(笑)


これ、全部スタフラのせいです。


そういうところも含め、とにかく元気をもらえる人で安心した!!!


こんな<同級生>に恵まれたことも、とても幸せに感じる。


ある意味、最も同い年“らしい”同い年って感じ?


とりあえず…


また会える日を楽しみにしてるぜ~♪
東京開催のときに行くことができなかった<ウフィツィ美術館 自画像コレクション~巨匠たちの「秘めた素顔」1664-2010~>を鑑賞しに、【国立国際美術館】を訪れた。


自画像ばかりを集めた美術館…


そのコンセプトがとても興味深い。


さらに私の大好きな作家の自画像も数点展示されるということで、長く楽しみにしていた企画である。


1700点を超える自画像が所蔵されているという、フィレンツェのウフィツィ美術館。


今回の展示スペースにも、実際のウフィツィ美術館周辺の光景がいくつか並べられていて、本当に(というのは言い過ぎにしても)現地に足を運んで鑑賞しているかのような気分にさせてくれそうであった。


知っている画家以外にも多くの画家たちの肖像画があったので、“敢えて”自画像から彼らの声を聴きとることも出来たのかもしれない。


そう思うと、なおさらこの企画の素晴らしさが噛みしめられる。


数点を、とりあえず展示順に言及しておこう。


まずはレンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインの自画像。


いきなりレンブラントが迎えてくれる。


彼の作風そのままに闇から浮かび上がったような表情。


破産の直前に描かれたその作品は、まさに彼のリアルタイムを背景に生きていた。


遠く離れた所から近づくに連れ、彼の方から近寄ってくるような雰囲気が漂う。


素人なりに、影のある自画像というものが何よりも描き難いものなのではないかと邪推してしまった。


そうして彼の天才肌たる所以を求める。


ヨブ・ベルクハイデの自画像には≪アトリエの自画像≫というタイトルがつけられていた。


アトリエにて鏡を用いながら、キャンバスに自らを描いている場面。


鏡に映る彼は彼自身を、そしてキャンバスに描かれた人物は私たちに視線を投げかける。


果たして筆をとる人物は画家なのか、それとも私たちなのか…


色々な解釈とともに、彼の意向を探りたくなる画期的な意欲作だと思う。


フィリッポ・バルビの自画像。


自作の『解剖学的な頭部』を背景にこちらを見つめるバルビの顔はとても無機質にみえた。


自画像としては少ない、全体を描き上げた彼の心はどこか寂しささえ感じさせた。


一世を風靡する作品を描きながらも、どこか心は迷っているような…


果たして彼がみる<人>とは一体何なのだろうか?


今回後述のシャガールとともに最も楽しみにしていた作品が、エリザベート・シャプランの≪緑の傘を手にした自画像≫である。


美術館を訪れていつも思うことであるが、この現代に「過去の人」となった画家の作品に描かれる女性たちに理想をみる。


この作品に描かれたシャプランは、そのなかでも最も私好みの女性といってもいい。


眠そうなタレ目にひどく惹きつけられ、ずっと作品の前で佇んでしまった。


雨雲でも映える女性というのを、どんなに疲れていても癒しを与えてくれるような女性を、きっと私は求めているんだろうね。


髪飾りの華美な印象は、彼女の視線の行きつく先に“潜在的な”積極性を植え付ける、これこそ異性間のバランスだとさえ思える。


自分にとってはとても深く、表層の好みな姿に留まらない魅力をもった作品だ。


「こんな女性を求めている」


何の恥ずかしげもなくいえる。


好きな作家のひとりであるエミール・クラウスの自画像もあった。


この作品はレンブラントと同じく、彼の「生きた記録画」ともいえる印象を受けた。


風に吹き上げられる草花の一瞬を描いたような、自然の温かさを純真な心で捉える彼自身がいた。


きっと描画しているのだろう彼にも、そんな光は降り注ぎ、私たちに向けて風の香りを届けてくれている。


そして最後にマルク・シャガールの自画像。


これまで何度も観たいと思ってきた作品だけに、とても感動した。


いくつかあるシャガールの自画像でも、「愛の画家」といわれる彼のすべてが詰まっていると言ってもいい作品だろう。


妻のべら、ロシアを象徴する雄鶏、「第2の故郷」パリの光景…


彼が幸せを感じるときにいつも“みる”映像をそのまま絵画に表したような感じだった。


あの作家と同じく、シャガールも紛れもなく私に<愛する>ことの素晴らしさを教えてくれているのだと思う。


シャガールのブルーは私の青だ。


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自画像というジャンルが確立された意味を考えるきっかけになった。


画家でもないし、ましてや美術に詳しくもない私たちが自画像を鑑賞して何を思うか。


そこには画家の卓越した技量や、歴史の一片を覗くだけの意味では勿体ないと感じた。


彼らは自分たちを表現することで、私たちの内面を探っているのではないか。


自分で自分を描くということ、それ自体に一種のナルシズムがあったとして…


そこから私たちに感動を呼び起こしているのだとしたら。


すべての根源にはナルシズムがあるのではないか?


何かのムーヴメントを起こすにも、アイデンティティに裏打ちされたナルシズム、そしてそこからしか努力は生じえないのではないだろうか?


その類を排して臨む局面には、きっと<自我>なんて存在しないのだろう。


そうだ、フィレンツェと書いたら無性にこの曲が聴きたくなった。


Enya - Wild Child




改めてこの曲の自分に対する影響って大きいんだなと思う。


英国留学の準備中から直前まで…


ずっと聴いてた曲。


それから映画『冷静と情熱のあいだ』は、邦画のなかでも群を抜いて好きな作品。


恋愛に対して、私が唯一心から「理想」とする概念が詰まっているし…


ラストシーンの順正の表情は、何よりも最高と思うものだった。


今でもふとあの表情を思い出すと涙が出そうになる。


「新婚旅行はフィレンツェに行く」


実現するだろうか…


空気が最高だったエディンバラやダブリンの可能性が高いかな?


いや…


まずは相手だ(苦笑)


美術館でみたフィレンツェの風景は、(後になって)そんな妄想まで喚起する。


とにかく素晴らしいコレクションだった。


いつかフィレンツェ当地、ウフィツィ美術館で鑑賞してみたいものだ。