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still unfledged.

世紀を超えた繋がりを、しっかりと受け止める。

昨夜のワインのおかげで、とても目覚めの良い早朝となった。


せっかくなので…


外へ出ようか。


電車でも乗って。


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向かったのは…


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【鶴岡八幡宮】だった。


もうシンプルにね。


この歳になれば、願うものはひとつしかないのだから。


帰りがけにスタバでソイラテを飲んできた。


バニラの雪を降らせて、今日はシナモンまでセルフカスタマイズしてきた。


少しばかり香りが鼻をついた。
とりあえず、すぐ前にあるものをクリアする。


25歳というものをひとつの区切りだと考えていた自分は、2010年に確信を手に入れた。


私のいるべき場所、目指す場所は…


やっぱり海外にしかない。


それはとても寒く、大気が身体の中に入り込むような場所。


そこに行かないと。


息苦しくて、たまに死にそうになる。


そこでなら、きっと孤独になれる。


ずっと求めているものがある。


だったら目指すしかないじゃん!?


そこに向かうしか。


Kyte - The Air of Sunset




革命のなかに迷い込んだ鳥は…


その翼を鍛えなおし…


いつか囲壁を飛び越えてゆく。


それは、一度でも作り出してしまった自分自身にとっての巣である。
カウントダウンイベントのお誘いを丁重にお断りし…


今年ばかりは実家で年越し&年明けを迎えることにした。


日中は横浜(新高島)のスタバへ行ったり、クイーンズイーストでのんびりしていた。


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やっぱり横浜が自分にとっての故郷である。


「ここからならどこへだって行ける」


そう思えるくらいに、自分の誇りでありエネルギーの源となっている。


スープが飲みたいな、と思い…


スープストックの<オニオンクリームポタージュ>で温まる。


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そして早めに帰宅。


今年の年越しはすき焼きとお蕎麦になった。


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2010年は非常に面白い1年だった。


自分にとっては言うに及ばず…


弟にとっては、きっと人生の風向きが変わった年だったろう。


2008年以来、家族のように付き合ってきた元カノとも別れた。


実をいうと…


連絡を断った後も、彼女のブログをたまにチェックしていた。


何ていうかな、よく言う「保護者意識」みたいな?(笑)


来年4月に彼女が何をしているか聞いた時点で、もはやパートナーとしては考えられなかった。


けれど、どこか心配だった。


こちらから一方的に縁を切ったからね。


でも、きっと彼女はブログで(別れを告げられて)何ともない様子を語ってくれるんじゃないかと、勝手に考えていた。


そうしたら、つい最近“やっぱり”綴ってくれた。


「もう連絡はしないし、こない」


その一文で安心できた。


私の思う以上に彼女は強かった、そしてそれは私の女性に望む強さとは相反するものだった。


誰かに支えられることを望んでいたが、どうやら心配はいらないようだ。


きっとすぐに相手は見つかる、いや既に見つかってると思うよ(笑)


2011年になったらもうブログは見ない、その必要は無いのだから。


もうこんなブログ読んでないことは分かってるし、もはやメールすら出来ないけれど…


ひと言だけ放ってみる。


「2008年の帰国当初から、ずっと支えてくれたことを感謝している、ありがとう!」


この安心感に包まれながら、新年を迎えることができることは本当に幸せだと思う。


よし、このあとのカウントダウンはアミと一緒だ!!!
(2日続けての)ヒューマントラストシネマ有楽町にて『君を想って海をゆく』を鑑賞してきた。





<難民>というものが、存在して然るべき言葉であるのなら…


私は絶対に使わない。


それは<障害者>や<マイノリティ>などのように、ネガティブな意味合いがひとり歩きしてしまったものだと思うから。


この作品は、その考えを貫いてくれるような“真っ直ぐな”流れに放たれていた。


ロンドンにいる恋人に会うための方法を模索する、クルド人のビラル(フィラ・エヴェルディ)。


終始彼の瞳は同じものを捉え続けているようだった。


目的の流れのなかにおいては、どんなに幸運に恵まれようと、警察に捕らえられようと悲喜が表に出なかった。


そんな彼の笑顔がとても印象的だったのが、シモン(ヴァンサン・ランドン)の家に泊まることを許され、友人と共にソファに腰を弾ませた瞬間だ。


若干17の少年…


自らの意思とは無関係なところで政治的“醜さ”のなかに放り込まれてしまった、その不条理さと比例するスピードにあって、初めて手に入れたひとたびの休息。


この作品を通じて、彼の圧倒的な意思の強さに少年であることを忘れてしまいそうにもなるが、やはりこのシーンのビラルの表情は意味のあるものだった。


「お前には、泳いで海を渡ることは不可能だ」


私たちのほぼ全員と同じスタンスにある発言であろうが、どうしてもシモンには説得力を感じない。


その理由は彼が離婚寸前であるという状況からだ。


人を愛し、愛されるということ…


最もヒューマニズムの根源ともいえる心象には、もはや対象なんてものは関係ないのだろう。


一方で恋人を愛し、子供たちを愛情をもって育てていても…


他方で人種差別をする。


気づくべきところと思いながらも、じつは気づこうとしていない。


現実の社会なんてそんなものかもしれない。


だからこそ、この作品の終わり方があのようになったのだ。


問題提起のその先にるもの…


「不可能」を信じようとしないのではなく、その「可能性」に賭けること。


たった独りで家族とも離れてフランスへとたどり着いてきたビラルを、「私の息子だ」と言ったシモンがいる。


孤独や恐怖、そして焦りという青年期の男が抱きうる全ての感情に叩きのめされそうになるビラルへと、彼の心が届けたかった本当の言葉。


ビラルの想いをミナ(デリヤ・エヴェルディ)に届けるシモンだったが、指輪を渡すときも、彼女と別れてモニターに映ったマンUの歓喜を眺める表情も…


ずっとビラルへの愛情が何かと戦い続けているような印象を受けた。


<犯罪>だとか、<結婚>だとか…


あらゆる概念が、あくまでもフレームとして私たちを無理やりにはめこもうとしている。


それに抗うかのような、重大な責務をビラルに圧しつけた。


「恋人に会う」ただそれだけしか考えていなかった少年である。


偶然にも『エリックを探して』に続けて、マンチェスター・ユナイテッドが登場する作品を2日立て続けに鑑賞した。


<キング>に憧れ、彼に勇気をもらって人生に返り咲いたビショップと…


ユナイテッドの選手として活躍し、愛する人を守ろうとしたビラル。


対照的でもあるが、そこに共通するものがある。


個々のもつ「真っ直ぐな気持ち」が…


仲間の心を動かし、他人の心を落ち着けた。


たったひとりの人間が、巨大な組織に立ち向かう姿勢を無謀とみるか、それとも…


私自身はビラルに心の躍動を覚えた。


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ミナのことだけを考えながら、ただひたすらにドーバー海峡の先を目指して泳ぎ続けたビラル。


誰にも何も告げずに、自らが求めるものだけを捉え続けるその視線は、荒野を目指したクリスを思わせた。


政治や経済社会なんてものは、ハッキリ言って人でなしのやるもんだ。


それぐらいに考えなきゃ、きっと物事の真相にはたどり着けない。


そのうえで犠牲になりゆく者たちのことを、今まさに考えなくてはならないのではないだろうか。


人を愛することの素晴らしさは、きっと誰かの散りゆくなかにしか見出せない。


その当事者とならない限りはね。


シモンと別れたあとのミナは、いったいどのように生きただろうか?


ずっと考えている自分がここにいる。
オーストラリアに留学していた弟が帰国するので…


成田空港へ行ってきた。


迎える側にいる自分というのは初めてのことで新鮮に感じる、今までずっと迎え“られてた”からね。


すごく朝からワクワクしていたことは、ここだけの秘密に止めておく。


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BrisbaneからSidney、そして香港を経由して成田へ定刻より早く降り立ったCX504(キャセイ)便。


到着ゲートから出てくる弟は、何だかニヤついていた。(きっと自分もこんな顔して歩いていたに違いない)


ほんの少し話しただけで分かったよ。


あいつは(私が)求めていたものを手に入れて帰ってきた。


それは顔立ちにも、そして話のなかでもよく分かった。


帰りのシチュエーションを聞いて、自分がロンドンから経由地のパリまで過ごした時間を思い出した。


弟の隣にはカナダ人が座り、「どうして留学したの?」とか「何のために(経由地の)香港に行くの?」とか色々話していたらしい。


きっと(少なくとも以前より)英語を自由に話すことのできる自分を誇りに思うと同時に、海外の人との「広い」会話を楽しむことの出来る自分を幸せに感じたに違いない。


私の留学が終わる頃に、父親と弟がイギリスへとやってきた。


その際、スコットランドへ連れて行った。


その地で(あえて)弟を試したことがあった。


「○○への行きかたを聞いてこい」ってね、Sっ気たっぷりにね(笑)


案の定、彼はそれで(英語力の無さに)ショックを受けたんだよね。


でも、それは単に英語のスコア云々の話ではなく、この広い世界を見ることのできない自分に対しての怒りだったんだと、帰国したあいつを見ていて確信した。


「大学卒業と同時に(周りと同じように)就職しないでよかった」


この言葉に全てが詰まっていると思った。


いつでも私の背中を見てきてくれたあいつだからこそ、その言葉の背後にあるものをこの留学で見つけてきたのだから。


反面教師だらけの日本にまた「つまらない」と感じたら、そのときはまた海を越えればよい。


きっと俺もそうする。


私たちの血は、きっと地球に繋がっている。


それをカタチにしようじゃないか!


「帰国して最初に食べたいものは?」


恒例の質問(笑)


「焼肉」


あっちでは高いし、質的に疑問点もあったので食さなかったみたい。


銀座にある【飛騨牛一頭家 銀座 馬喰一代】へ。


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以前より機会をうかがっては「行きたい」と思っていたところ。


炭火焼のコースを頼むことにした。


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当然のことだけど…


すごい美味しかった。


飛騨牛の甘い肉質、そして火を通したあとのしっかりした食感がたまらない!


(タンが大好物だけど)今回のサーロインは口の中に入れた途端に溶けるような、サラッとした脂身が美味い。


あとお野菜もすごく美味しかったよね、玉ねぎにしろピーマンにしろ苦味が少なくて甘い。


デザートも最高だった。


マスカルポーネのプリンと、黒ゴマのアイスは共に素材“そのままに”活かした濃厚な甘さ、そして風味。


家族4人そろって久しぶりの食事。


いつか必ずまたこの4人で海外に行きたい。


これだけ恐れしらずな行動派の通訳が2人もいれば、きっと親も心強いんじゃないかな?


兄弟そろって、もとはといえば父親の個性がそのまま受け継がれてるだけなんだけどね(笑)


やっぱ家族っていいよ!


いちばん近い心の支えだからね。


でも、それは親の意向に沿った生き方とかして、そんなんで喜ばせる人生にすることじゃない。


親の不安な顔も何度も見たと思っている。


しかし、それが笑顔で終結したことの意味は、私たち兄弟2人に巡って回帰することに他ならない。


久しぶりにみた弟が何だか大きく見えた。


それ以上に親は感じているのだろうけれど。
ヒューマントラストシネマ有楽町にて『エリックを探して』を鑑賞してきた。





大好きなケン・ローチ監督の最新作。


大胆にもカントナの名を冠したこの作品は…


本当に“そのまま”を映像に、そして脚本にした映画だった。


受けた印象としては…


落ちこぼれ人生を突き進みそうだったエリック・ビショップ(スティーヴ・エヴェッツ)には憧れの存在がいる。


そんな憧れの“キングこと”エリック・カントナ(本人)に影響を受けつつ、彼が変わっていくというストーリー。


いたってよくある話だけど…


やはり本人が出演しては、どことなくリアリティに欠けるかと思いきや、そんなことは微塵もない。


ケン・ローチの魔術というか…


やっぱり「異常」とも思える事態は、象徴に留めるんだよね。


そんな意味でも、ユナイテッドを象徴した(今もしている)カントナっていうのは絶好の存在なのだと、鑑賞後すぐに実感した。


カントナが吹いたトランペットの音色は、大して巧くもないのに…


何故だか勇気が出る。


ビショップの表情が、きっとスクリーンを眺める私の表情と寸分違わぬものだったに違いないと確信する。


<カントナ作戦>のために仲間が集い…


ギャングを撃退する。


何だか少年たちの戦争を見ているような気分だった。


時々挿入されるカントナの試合映像には、ユナイテッドを支え続けたギグスやスコールズなどが登場する。


あの時代からプレミアに興味を抱いていた自分としては、それだけで感慨深さが増していった。


手の届かないところにいたカリスマが、ボロボロになった男を導いていく構図は意外と人情深いものだった。


数多の名言を残した<キング>が人生のコーチとなるなんて、(時期が時期なだけに)いわゆる「体験型福袋」のような豪華さ。


1pintのビール片手に、誰だか知らないが同じユニフォームを着た男と肩を組んでチャントする。


自分が【オールド・トラフォード】に行くときなんかも、ある意味<カントナ作戦>に向かっていたようなものなのだと思う。


それだけ普遍的なもので、男同士の友情や絆っていうのは…


襟を立てて気取っても、しっかりと結果を出し、仲間を大事にする。


そんな男が最も体現しているんだろう。


カントナのみせたガッツポーズには私も熱くなった!
横浜に帰ってきて、その翌日は…


予定どおり、美術館を巡る日となった。


年の瀬の美術館も粋なものである。


普段よりもカップル(年代問わず)が多いのは、とても微笑ましいもんだよね。


きっと感性の似たもの同士なんだろう、とか決め付けての話だけど(笑)


まずは渋谷に赴いた。


<モネとジヴェルニーの画家たち>が【Bunkamura ザ・ミュージアム】で催されている。


モネは大好きな画家のひとり。


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展示物が並ぶなかで時おり紹介されるモネの言葉が、とても印象的で味わい深かった。


「私は舞い上がっています。ジヴェルニーは私にとって輝きに満ちたところです」(クロード・モネ、1883年)


モネの描いたジヴェルニーは自然のパワーを大いに感受し、それらのなかに活きた自分を見つめ、それらに感謝を捧げているような作品ばかりだった。


まず≪ジヴェルニーの冬≫(1886年)に水や風の「しなやかさ」を感じた。


右にエプト川、手前にセーヌ、そして上流にモネの愛した睡蓮の池。


この構図が感慨深い、好きでモネのことを知ろうと思うと、その奥深さに驚かされる。


それを凝縮したような作品と初めて出会えた気がした。(それは後述の≪睡蓮、柳の反映≫でもいえることだが)


淡い白と水の流れる様子がとても優しく、それは自然の「脅威」的な面を捨て去ったあとに残る緩やかな恩恵のよう。


こちらに絶え間なく流れ続けてくるように見え、奥の睡蓮の池との一体感というか、モネの作品が自分と身近に感じられるような感動を受けた。


続いて≪ジヴェルニーの冬≫(1885年)には、雪の質感を大事にする配慮が感じられた。


その一瞬を遺そうという気持ちが、その教会のポジショニングからも汲み取れるような気がした。


「私にとって、風景はそれだけで存在するのではありません。なぜなら外観は絶え間なく変わってゆくのだから。周りにある、絶えず変化する光や大気こそが風景に生命をもたらすのです。」(クロード・モネ、1891年)


そういう意味では、自然の流れで躍動し、さらに淘汰もされる植物は“ある意味”異質の存在だったのかもしれない。


≪草原の夕暮れ、ジヴェルニー≫では、人物が如実に風景に溶け込んでいて、そのまま大気に流れ込むような筆致で描かれていたが、木々に色づいた緑の葉はそれ自体でこちらへと向かってくる。


その力強さは、とても人間の容易に刈り取ることなど出来ない、尊敬の対象ともなりえた。


≪積みわら(日没)≫は、まさに光のもつ印象的、感性的、物理的、さらには化学的要素まで複合していると錯覚してしまうほどに美しかった。


もはや何も察しがつかない…


もはや私たちが“そのまま”受け入れることしか出来ない、そしてそれで私たちの生命が華やいでいること。


そして何より…


日没に浮かび上がる積みわらからは、忘れてはいけない人間の生命力へと思考の紐を繋ぎとめるのである。


「様々な効果を描く≪積みわら≫の連作に夢中で取り組んでいるのですが、この頃は日没がとても早く、追いつくことができません」(クロード・モネ、1890年)


モネを好きな理由が、ここにあった。


ジヴェルニーを愛した画家はとても多く、その大部分が自然と人間の共存を図るうえでの教訓のように思えた。


ドーソン・ドーソン=ワトソンの≪ジヴェルニー、西の教会へ向かう道≫は光のアーチをくぐっていくような錯覚をもたらし、一見したところ住民はいない。


彼らを確認したときに感じるものは、彼らに対する素直な嫉妬、そして憧れ。


地元と一体と化すこと、名ばかりのものでなく、やはいそれは理想的な生命の運び方だ。


ジョン・レスリー・ブレックの≪秋(新月)、ジヴェルニー≫に描かれた人物は、それこそ主体的に浮かび上がっている。


どことなく静けさに一抹の不安を覚えそうな背景に、浮かび上がる人物は何を思うのか?


こちらへと何かを訴えかけようとしている印象を受ける。


ジヴェルニーの画家たちが描く人物も、とても写実的だったり抽象的であったり、バラエティに富んでいた。


そのなかでもフレデリック・ウィリアム・マクモニーズが描いた≪アリス・マクモニーズ夫人≫は心の底から美しかった。


ぼやけたように描かれた赤いドレスに対して、アン・ハサウェイを思わせる気品と少女らしさを兼ね揃えた顔立ちが映える。


見せ方としてはシンプルなのに…


もちろん、顔が私として「タイプ」なこともある(笑)けれど、「理想的な美」のイメージだと感じる。


メイクやファッションに感けて、何も美しくない(外面的にもちろんのこと、内面まで…)女性たちに溢れた現実が、本当に嘆かわしいというより痛々しい。


ちなみに彼の作品として並んでいる≪メーベル・コンクリング≫の(物質的な)大きさも見もの!


他にも多くの印象的な作品と出会った。


ルイス・リットマンの≪早朝≫は、眠りから覚めたばかりの女性のイメージを、はだけて露になった胸で表していた。


フレデリック・カール・フリージキーの≪庭の婦人≫では、男性が女性に求めるひとつの側面を、庭に並ぶ植物へと溶け込んだドレスの縞模様で描いた。


ともにいえることは、男性目線で捉えた“感覚的な”エロスだった。


最後にモネの睡蓮の連作が並ぶ。


「私は制作に没頭しています。水と反映の背景にとりつかれてしまいました。老いた私の力を超えたものですが、感じるものをなんとか描きだしたいと思っています」(クロード・モネ、1908年)


上述したように、そのなかでも≪睡蓮、柳の反映≫が私にとっては衝撃的ともいえるくらいに虜になってしまった。


彼にとっては希少な「陰影」をつかった作品は、最晩年のモネ自身を描きあげたようだった。


カタチを変えることのなかった水や大気、そして光さえもその「見え方」が変わろうとも…


彼の想いを託した睡蓮はハッキリと、水面で華やいでいる。


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人生の終局が近づいたときに、その絶望と希望の折衷で揺れている内面、さらにそこから抜け出ようと決意した画家のエネルギーを感じる作品だった。


続いて向かう美術館は東京駅のほう。


名店街にある【Vimon】というところでランチにする。


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いちど食べてみたかった<すねバーグ>。


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ゼラチン質たっぷりのすね肉を使用したハンバーグらしく、とてもジューシーな中にコリっとした食感も混ざり、とても面白い!


良質なお肉を使っているため、(食べる前に説明されたとおり)おろしや胡椒など自分でプラスするまでもなく“お肉本来の”美味しさがすごくする。


スープなどもセットになり、サラダのお芋的なのとか、あとコーンもすごく甘くて最高!


あのサツマイモっぽい、カボチャっぽいのはどうやって作るんだろう、ああいうの手作りしてくれる女性がいたら、それだけで惚れてしまいそう(笑)


お腹も満たしたところで、目的の【三菱一号美術館】へ。


ちなみに、12月上旬にカフェに訪れたところのすぐ横(併設)にある。


ここで催されているのは<カンディンスキーと青騎士展>である。


知ってる人なら知っているカンディンスキーの作品が鑑賞できる、とても貴重な機会となった。


いきなり眼前に現れるフランツ・フォン・レンバッハの≪自画像≫がとても強烈だった。


何が強烈って、その眼差しの鋭さ…


そして、描画の最中にこちらをカッと睨みつけたかのような、その腕や指先の脈々しい感じ。


個人的には数ある自画像のなかでも、写実部門ならトップ級の好みな作品だった。


レンバッハからもう1点、≪騎士の甲冑を身につけたマリオン・レンバッハ≫が良かった。


甲冑の重々しさ、そして背景の暗さからは戦のきな臭さのようなものが感じられるが…


それとは好対照ともいえるマリオン・レンバッハの少女のような美しい顔から放たれる光沢。


さてヴァシリー・カンディンスキーの作品のなかで≪花嫁≫が印象的だった。


抽象画を描き続けた彼にとって異質ともいえるその作品は、単なる抽象にとどまらず…


純白、清廉といった私たちの概念さえも疑ってかかるような技法へとたどり着いた。


ファンタジックで何とも不思議な感じのする作品で、輪郭だけをハッキリと描いた意図は、きっとはかり知れない。


そして愛するものを描いた、彼にとって稀な≪ガブリエーレ・ミュンターの肖像≫。


あえて暗い背景に、弱弱しく、ともすると何かに怯えているようにさえみえる顔立ちは、なおも美しい。


きっと、「この人を守ってあげよう」という少年のような志から生まれた作品なのではないかと思ってしまう。


純粋であるがゆえに、“意図して”対象を暗がりに置いてしまう…


聞こえは悪いかもしれないが、それもひとつの愛のカタチであるような気がする。


カンディンスキーの描いた風景には、モチーフとして描かれるものへの特殊性が色濃く目立たされているような印象を受けた。


≪ムルナウ――虹の見える風景≫における虹、そして≪山≫などにはそのエッセンスが散りばめられているような気がして、それを見つけだそうと試みるのが楽しかったりした。


青騎士展において最も私の心に残ったのはフランツ・マルクだった。


≪薄明のなかの鹿≫で見せた自然と動物の共存。


どこか初々しさの残る鹿が振り向く先にあるものは何か?


遠くから距離を置いて鑑賞すると、今にもその鹿が“何か”から逃げ出してこちらへと走り出しそうな気配さえ漂っている。


近くで鑑賞したときの微笑ましさから一転、これぞ芸術の妙だと感じる作品といえる。


続いて≪牛、黄-赤-緑≫には、敬愛するシャガールのような印象、つまり「夢のなか」を思わせる幻想と現実の中間のようなものを感じた。


この作品においては黄色は女性的な柔和で朗らか、そして感性的な色だという。


そしてそれは妻(マリア・フランツ)をあらわす、幸せの黄色。


今回最も楽しみにしていた≪虎≫に言及したい。


近くでみると迫力があって…


遠くからみると、意外に(周りと比べて)小さかったりする。


これぞキュビスム、さらに影や色のグラデーションまで絶妙だったりして、どこかコンピュータグラフィックスのような完璧さ。


惚れ込んだね、結構な時間トラと過ごしたんじゃないかな?(笑)


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この機会に鑑賞することのできて良かったと思える作品ばかりで、【三菱一号美術館】の雰囲気も堪能できた!


その足で日比谷で開催中の<特別展ダ・ヴィンチ~モナ・リザ25の秘密~>へ直行!


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こちらは一般的な美術館とかいうよりも、いわゆる「体験型」って感じだった。


なかではダ・ヴィンチが考案していった空を飛ぶ機械、つまり現在の飛行機の原型となっていくもの、のちの軍事産業の先駆けとなる兵器群、さらには彼による人体解剖についてのイラストなどと共に…


大きなモナ・リザに関する秘密が紹介されていた。


科学技術を駆使してその大名画を解剖することの意欲、それ自体はすごく面白いことだなと思った。


人ごみが凄まじく、ゆっくりと回ることが出来なかったが…


博物館チックな展示の数々、そして航空業界に立つ自分としては、全日空の機体に描かれた“あの”イラストを目にすることができたことが幸いだった。


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今回も各展示をゆっくりと時間をかけることは出来なかったが、それでも自分なりにたくさんの感心を呼び起こされる日となった。


次はどこへ行こう、ちょっと先にあるフェルメールとかは既にマーク済み(笑)
スタバの<イングリッシュブレックファーストティーラテ>が美味い。


ベタだけど、スコーンと一緒なら一層美味しく感じることができると思う。


本物のEnglish breakfastはカオスだけどね、量的にも雰囲気的にも「落ち着く」とかいう次元じゃないって意味で(笑)


年末になり…


間もなくBrisbaneに留学していた弟が帰国する。


さっき親と帰濱について連絡したときに聞いた。


30日に成田空港に到着予定ということで…


とても楽しみ。


親が迎えに行くのに、自分も同行しようかと思う。


成田にも久しぶりに行きたいし…


何より、到着ゲートをくぐる弟の姿を見たいという思いがあるからね。


ちなみに、私が英国から帰国したときは成田から電車を乗り継いで独りで横浜に帰ったことを、昨日のように覚えている。


<自分>が帰国したんだよね。


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つい先日ガンの手術を受けた叔父の件も聞いた。


がん細胞が腎臓から他器官にも転移していたが、長時間の手術自体はうまくいったようで…


まだ微熱などが続いていたりしているけれど、このまま順調に回復しそうとのこと。


(大丈夫だって)分かってはいたけど…


こうして母から直接聞いて、とても安心した。


この休暇でまた会うことを楽しみにしよう!


あと…


この年末年始、どこか1日をまたミュージアムdayにすることも決めた(笑)
朝から相当冷え込み、風がビュンビュン唸りをあげていたが…


本当に雪が降った。


決して吹雪くこともなければ、衣服に落ち着くこともないレヴェルだけれど…


何だか嬉しいよね。


別に恋人といなくても、または家族と話をしなくても。


とにかく美味しく楽しい1日を仲間と過ごすことができた!


昨日と今日と、俺にメール(メッセージ)くれた皆も同じであればと切に願う!!


さて…


行ったのは四国でも大阪寄りの、香川と徳島。


簡単にいうと、目的はそれぞれ<讃岐うどん>と<徳島ラーメン>、観光地とかは時間が許せばレヴェル(笑)


それが奏功する結果になったとは!


全員が四国初上陸という状況は、あまり言葉では表せず、あの時間では表現もしようとは試みなかったが…


とても感動的なことに思えた。


大鳴門橋を渡る瞬間とか、もう大声挙げたよね。


どんより雲やら遠くに見えるシャワーレインな感じとかが混ざり合い、視覚的にとても神秘性のある数分だった。


それと同時に…


とにかく横風がカオス。


何度も煽られ、また奇声…


初めて海をみた子供だよね。


SA(PA)でも当然のようにテンションは高い。


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淡路島南PAにて<淡路特産玉葱パイ>を食べる。


玉葱の香りが思った以上に強く、かぼちゃパイとかああいう系統と同じ優しい甘さ。


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津田の松原SAにて<きなころ>を食べる。


もっちもっちの皮のなかに、生クリームやら和三盆やら…


それが絶妙な軽やかさで、さながら和風ミルフィーユの印象。


最初に向かった高松で…


さっそくうどん!


まずは【竹清】というセルフの名店。


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まず店前で匂ってくる油のにおいが食欲をそそる…


入口付近で快い音をたてて天ぷらを揚げていた。


どうやらこれも人気のひとつらしい。


今回参照した食べログの認定証もしっかり。


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1玉入り、半熟玉子の天ぷら、そしてちくわの天ぷらもプラス。


うどんを食べる直前に揚げたての天ぷらを運んでくれる。


うどんはつるつるで柔らか目なため、だしの味をよく吸いこんでいた。


だしはとにかくサッパリしていて、天ぷらとの兼ね合いを考え抜かれたような具合。


天ぷらにも初めから味がついていたようなので、うどんの汁に浸しても浸さなくてもサクサク美味しく頂ける。


「やっぱ違うよね」


このひと言に全て集約されていたね、みんな口をそろえてそう放言しながら黙々と(?)食べ続けた。


そして讃岐うどんの安さを実感。


続いて2件目に選んだ【丸山製麺所】へと残り5分…


はやる気持ちに駆りたてられ走った。


まさに鉄腕のそれである。


結果は「無理」ということで。


その代わりといっては何だが、急きょ【さか枝】といううどん屋さんへ。


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とても広く整然とした店内、それとは対照的な活気を帯びた店の奥に期待する。


シンプルに<かま玉うどん>をオーダー。


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先ほどの【竹清】よりもコシが強く、だしも醤油テイストが強めに感じた。


とはいえ、それが上に乗る生卵にとってはベストなコンディションだった。


だしにまろやかさが加わり、弾力のあった麺がとろっと絡み合うようになる。


2件行っただけでも、その<讃岐うどん>というブランドに遜色は無いことを確信したし…


何より地元民に対して、「身近にこんなに美味しく、そして安くオリジナリティのあるうどんが食べられるなんて」と嫉妬する気持ちが芽生えた。


若い頃に懸念したことが実現した、悪夢でもあり正夢の充実感でもある。


とにかく美味しかった!!!


そのまま徳島方面へと向かうことになったが…


途中に休憩地点としたPAで、発見した周辺案内図みたいなものに「ドイツ館」とか「ドイツ橋」とか表記してあったのを見て…


行ってみた♪


この「行き当たりばったり感」、好奇心に任せて突き進むのが自分らしいと思った(笑)


遠くから「協会みたいなの見えるじゃん」と言っていたのは【鳴門市ドイツ館】という博物館だった。


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なんでも、第1次世界大戦中のドイツ人捕虜収容所(板東俘虜収容所)の記念施設として、1972年に創設されたものらしい。


中では捕虜と地元民の交流なども紹介されているらしく、捕虜たちがつくったパン屋だとかサッカーチームがあったらしい。


それと、ベートーヴェンの『第九』が日本国内で初めて演奏された場所でもあるらしい。


外にはベートーヴェン。


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「<歓喜の歌>おお、友よ、この調べではない!もっと快い、歓びにみちた調べを歌いはじめよう!」(ベートーヴェン)


友人はこの館内を巡ることにしたものの、時間も限られていたし、自分はもっとこの地域の奥の方へ足を踏み入れたいと思った。


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土地勘もゼロだし、少し迷いかけつつ…


長閑に流れる川面、そして時折降り注ぐ白い妖精と戯れている気分になった。


自分以外、誰も歩いていない。


高速道路のパーキングから抜け出してここへ至る過程が、どこか冒険のようにも、迷路のようにも感じられたのだろう。


案内図でみつけた“それ”を探す旅は、地元の方々の優しいご親切に支えられて完成の運びへと傾いた。


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徳島県の総鎮守として信仰を集める【大麻比古神社】の裏手に、“それ”はあるらしい。


阿波国において民にとっての繁栄を…


ひいては港の神・交通の神をも祀っているような由緒ある神社だった。


思い返してみれば、たしかに自分にとっても「ここはいずれ訪れるべき場所だった」と錯覚するような、不思議な気分で境内に足を踏み入れたことをハッキリと記憶している。


御神木の大楠は太く、質感も滑らかで生命力の瑞々しさを感じさせる存在感があった。


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境内の裏手へ出る方法を、神社のスタッフの方だろうかに訪ね、笑顔で教えていただいた。


「君の脚なら何分もかからないよ!」


何だか私が来ることを分かっていたかのような丁寧で、優しい協力にとても嬉しくなった。


“それ”へと向かう足も弾んだ。


境内の横を通って少し歩くと…


あった。


第1次世界大戦において青島で捕虜となり(先ほどの)板東俘虜収容所に収監されたドイツ兵が造成したもの…


【めがね橋】だ。


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小さく可愛らしいめがね橋は、戦争により疲弊したドイツ兵たちの心の平安、生命への回帰を表しているような印象を抱いた。


通行が可能な橋を何度も渡っては戻ることを繰り返し…


ドイツ兵たちがどんな気持ちでこれを造ったのかを邪推してみたりした。


もちろん、分かりっこない。


それでも、そうやって考えることで自分自身が平静でいられるような気がしたから…


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続いてもうひとつ、すぐ近くに築造されたものがある。


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こちらも帰国する際にドイツ兵たちが造ることを提案した橋である。


ローマ式の半円形は見事で、絶妙なバランスを保ちながら、大小様々な石が生きていることを窺わせる光景だった。


徳島県の文化財史跡に指定されつつ、誰の体重すら支える必要のなくなった橋は…


その歴史の重みを背負いつつ、こうして時間のなかに生きているのだ。


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何かを支えることのなくなった生命に、果たしてヒトは心を揺り動かされるだろうか?


大きな代償を、かけがえのない犠牲に報いたものにこそ価値はあるのだと思う。


そうやって生きたい、これだけは雨に打たれようが風に吹かれようが変わらない、動かない…


自分自身に開かれたアーチのような気がする。


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来てよかった、心から良かったと思える。


「たまたま」が「奇跡」でありえること、私はここにちゃんと生きている。


休憩地点のパーキングで合流。


一路、徳島へ。


もう暗くなっていた。


まず、私きっての要望で【TOKUSHIMA COFFEE WORKS】山城店へ。


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一見、「ほんとにカフェなの?」と見紛うようなお洒落でシックな内装。


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オーダーしたのは<WORKSブレンド>というコーヒー。


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やや薄めだけど、その分アロマな香りの漂うコーヒーだった。


添えられた和三盆糖を溶かしても、きっと甘味のハッキリしたデザート気分なビバレッジになりそうな予感もしたね。


そして<鳴門金時のケーキ>。


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今回の旅で、「鳴門金時を食べたい」という思いが叶えられたのは大きかった。


スイーツが評判というカフェらしく、手作り感の伝わる美味しさ。


口当たりはサラッと、しかし濃厚で“そのまま”なお芋の味がくせになる。


連れがオーダーしていたスコーンと同じく、こちらも強烈におススメしたい一品!


しばしの休憩のあと…


この近くにある徳島ラーメンのお店へ向かった。


【ラーメン東大】大道本店の営業時間(19:00~)まで、少し待った。


強烈な寒気!


その寒さに自分だけ歓喜したのは言うまでもない。


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もちろん一番手で店内へ。


オーダーは<肉入りラーメン>にした。


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濃厚なとんこつベースのスープに、(無料の)生卵が絡んでかな~りまろやかに!


甘辛く煮込んだ豚バラ肉と、生卵、これがいわゆる<徳島ラーメン>の特徴みたい。


サッパリしたうどんを食べた日の夕食としては、あれくらい濃厚でコッテリしたものも美味しいよね♪


連れも行ってたけど、できればもっとお腹空かせてご飯と一緒に食べられたらベストかも。


さて、ここでひと通りの旅程が終了。


日帰りと決めたので、帰路についた。


大橋を渡り、四国を離れるときは若干切なかったかな。


次回また来て、今度は愛媛&高知(鰹!)を堪能しなきゃね(笑)


最後の最後、淡路のパーキングで休憩がてら…


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鮮やかに色づく明石海峡大橋を望んできた。


<恋人の聖地>(!)でね。


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うちらの後ろでベストポジションを待っていた恋人さんたち、ごめんなさい。


こんなクリスマスだって、「最高」だって思えるんだ。


でも…


そりゃ、「守りたい」と思えるものがある生き方は、最高に幸せに決まってる。


とにかく思い出深い四国初上陸となった!


一緒に行った仲間に「ありがとう」と。


28日は本当に気持ちよく帰濱できそうだ♪
とあるサイトでこんな文字を見つけた。


『悪人』や『告白』など、私も鑑賞した作品が並んでいた。


さて、自分としてはどの作品が感動(俗物的な意味でなく)したものは何か?


ふと浮かんできたもの…


じつは今年公開だけれど昨年度に鑑賞した、つまり試写会の類で鑑賞させていただいたものがある。


それこそ『今度は愛妻家』という作品である。





「スニークプレビュー」といったカタチで銀座の東映本社試写室で、元カノと鑑賞してきた。


もう1年半も前か。


「何で日本人はクリスマスを家族と過ごさず、恋人と過ごす?」


日本人を客観的に見つめていた時期があった私としては、この感覚を欧米人などと共有する必要性は無いことを悟った。


クリスマスは恋人と過ごすことが、何とも幸せであることは間違いない。


いまや25歳となった自分として、この感覚だけは本物で、何の根拠も要さずに説くことの不自然さにはもう慣れきってしまった。


そんなクリスマスが、今年ももうやってくる。


こんな季節だからこそ…


上述の作品を薦めたい。


それと同時に、過去のブログを懐かしく眺めていて思った。


諸事情あってもはや元カノと連絡をとる可能性すら消し去ったのも、この2010年だった。


心から大切にしたものって、きっと“どんな手段”“どんな時機”であれ帰ってくるのだと分かった年になった。


私との思い出のひとつに「映画」と答えた彼女。


幸運にも四季に恵まれたこの島国で、そのときに合った作品を観たいと感じることができるなら…


この寒空にあの作品を思い出してもらえていれば、とても嬉しいと感じるのである。


「許せない」と思った最期も、(珍しくも)時間が解決してくれた。


「あんな作品があったな」


こう思い出すだけで幸せになれる映画作品は貴重だと思う。


2010年もあと残すところ1週間だ。


あといくつの作品たちと出会えるか分からない、それでも鑑賞したい気分になったらいつまでも鑑賞しようと思う!


また年末には個人的映画大賞でも開催しよう(笑)


とりあえず年末年始は『君を想って海をゆく』、『エリックを探して』、『ヤコブへの手紙』だな♪