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世紀を超えた繋がりを、しっかりと受け止める。

TOHOシネマズ梅田にて『トゥルー・グリット』を鑑賞してきた。





父親を殺された少女が、その仇を討つために旅へ出る。


この構図だけで、すでにどこか私の思い描く古き良き合衆国のイメージが浮かんでくる。


きっと、今回は(オリジナルの段階からだが)登場人物の年齢構成がさらに助長しているに違いない。


少女(少年)と、その祖父母にあたるほど年齢の離れた「相棒」、そして父親の歳ほどの「兄貴分」といったアンバランスでいて均整のとれたチームワーク。


そこにコーエン兄弟によるシニカルでコミカルな脚本が、古風を今風に。


ルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジス)は酒びたりで…


ラビーフ(マット・デイモン)は気障な割に頼りなく…


自らの目的はきっと高潔なものと信じてしまいがちな、荒野で生まれ育った少女にはある意味最も「必要」と振り返ることのできた仲間だったに違いない。


父の仇を討つことに成功したマティ・ロス(ヘイリー・スタインフェルド)が、その直後に深い穴の中に落ち、そこにあった亡骸から出てきた蛇に咬まれる…


とても急展開のようで、何故か違和感がない。


荒野の男たちの<情>にやられたんだな、とつくづく感じた。


そこからエンドまで、一気にことが進むんだけど…


ここはとにかく素晴らしい。


下手な演出や台詞で誤魔化すこともなく…


父親の仇討ちの代償として猛毒を浴びた少女。


彼女をずっと見守り続け、命を賭して家へと送り返すために走る老人。


馬の背に乗っているときの疾走感は、少女の夢を走馬灯にかざし…


老人の背に乗る瞬間の怒りや悲しみは、いつの日か感謝の想いへとカタチを変え…


「25年という月日は長い」


<真の勇気>を知ってしまった彼女にとって、紛いもののそれを見ている時間はきっと何よりも長かったのだろう。


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スタインベックの作品に通ずる、現代の物質文明と相反“しながら”光り輝く精神遺産がみて取れる。


アウトローとしての人生を宿命づけられた人間が、この世の中にはいるのだと確信させてくれる作品でもあったのではないか。


仇討ちの許されない社会に生きる者として、この手の作品に何を想い、何を感じるか。
2日目は、紀州の定番スポット(?)巡り。


1.南紀白浜空港(RJBD)にて東京国際空港(RJTT)からの到着機を迎える。

2.【三段壁】にて断崖と洞窟を堪能する。

3.【アドベンチャーワールド】にて動物たちとふれあう。

4.【とれとれ市場】で梅干しを購入する。


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うん。


すごく良かった。


何だろう、やっぱり「懐かしかった」よね。


ずっと一緒にいたメンツだけど、こうして航空のことから“ほぼ”完全に離れてみるのって新鮮すぎた。


それだけ、この1年は航空機と「間隔」のことばかりだったんだな、って。


今週末が、研修生活において最後の週末。


昨春に「これから週末が何十回と巡ってくるのか、毎回待ち遠しいんだろうな…」なんて言っていたこともあったっけ。


所詮結果論にすぎないが…


あっという間だった。


その週末を同期と過ごすことにはならないが、それでも…


あと10日弱、私たち“らしい”交流の場があると思えることは最上の歓びである。


26&27日は、紀州の梅干しをもって横浜に帰ることにする。


あと…


やっぱり動物が大好き。


パンダみたいな人に出会いたい。


新天地に向かう成人男性の心象を、素直に表現してみました。
18日は謝恩会で「大きな夢」をぶち上げ…


科長や教官から管制承認をいただいた。


簡単な話…


「やるしかない」と思った。


「(お前を)信じた」なんて言われたらね。


そして一夜明け…


19&20日と同期との卒業(修了)旅行に行ってきた。


目的地は、なんともうちら“らしい(?)”近場、和歌山である。


近くて遠いなんて思ってた和歌山だけど、こんな機会に行くなんて…


笑える感じと歓びと、なんとも面白いとこだよね(笑)


まずは19日、熊野古道と那智山を巡る旅。


1.熊野古道がはしる【那智山】にある【那智ねぼけ堂】という処でランチをとる。

2.那智山を登り、【青岸渡寺】と【熊野那智大社】を参拝する。

3.プチ熊野古道歩きの締めは【那智の滝】で記念写真をとる。


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初日は、ずっと来てみたかった熊野古道の“ほんの”少しだけれど魅力を知ることができた。


いや、10分でもひとりで歩いてみれば分かるような。


どこか懐かしい風景は、小学校の頃に楽しみだったフィールドワークのそれに似ていた。


たったひとつか二粒の飴玉を目的に、辛く長い道を歩いていた。


いろいろな表現は置き換わるけれども…


何一つ変わらないのだって、歩ききったときの自分自身がそう教えてくれた。


神聖なる信仰の場であったところも、もはや観光の一途となり果ててしまったのかもしれない。


けれども、直に歩いてみればよい。


それが違うってことがよく分かるはずだ。


自らの身を省みずひたすらに<道>を歩き続けた者たちの見上げた空と、彼らの残した記憶の数々が<道>の傍に落ちていた。


現在の研修施設から近い場所にあると思っていたけれど…


ずっと、何だかとても遠い場所に来たような気がしていた。


四方八方を山に囲まれ、森と共に息をする。


不慣れな私に、そっと誰かが問いかけた。


「覚悟はあるのか」
1年間私たちの担任を務めてくださった教官と同期数人と、四国は高松へのドライブに行ってきた。


タイトルを「原点」とした意味は…


今回行った高松にある高松空港(RJOT)が、教官にとっての初めての赴任地であること。


そして、これから私たちが向かわんとしている場所こそが、私たちにとっての「原点」になるんだということ。


朝から深夜まで、(ハッキリ言って)ガキみたいなノリで過ごした。


うどん食ったり…


温泉入ったり…


途中で“急きょ”、高松空港の管制塔とレーダー室を訪れさせていただくこともできた。


それもこれも、教官のおかげである、すごく感謝しています。


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露天風呂のなかでは「これから日本中全国どこでも赴任するかもしれない、だからその土地その土地で個性あるライフを楽しめ」みたいなこと言われた。


その通りだよね(笑)


いまや日本のどこからでも、くだらない目的のために「とりあえず東京に」みたいに東京とか横浜に来る奴が多い。


そういう人と多く付き合ってきたけど、概ね<金>や<プライド>で泥沼に埋没していってる人ばかりだった。


決して魅力的ではなかった、いわゆる「世捨て人」とは彼らのことだと本気で思った。


魅力ある地方を捨てて…


夢は語れど、結局は逃げるんだ。


弱い自分を守るために。


常に重い責任と、軽い翼を持ち合わせることになる自分は、とても恵まれていると感じる。


人生を楽しもう。
実習中だった。


そのときには「こんな」だとは想像もしなかった。


でも、ひとたび情報を、そしてテレビを通してその状況を見たら…


半年あとに入校してきた後輩が、4月から現場へ出る私たちを送り出す飲み会を開いてくれた。


東京国際(羽田:RJTT)から到着機を振り返るかたちになった超多忙の関西国際(RJBB)を窓の外に、楽しいひと時のなかにも一抹の緊張感というか…


こういう事態だからこそ、自分たちが日本の保安を担う職員であることを強く意識していたのかもしれない。


とくに仙台(RJSS)や茨城(RJAH)の映像は、今の私たちにとってはとても身近に感じる悲惨な状況だった。


こういうときだからこそ、私たちが気丈でいなければならないのだと感じた。


航空機の流れを作り出すところや英語のスペシャリストになることだけが要求されるのではなく…


精神的にも緊急事態な耐えうる強さが必要なのだ。


自分にも海外からメッセージが届いた。


みんな、一様に日本の強さや美しさを認識し、だからこそこの国の復興を信じて止まない人たちである。





地震と、それによる津波や二次災害で失われた命に御冥福をお祈りします。


そして、たった今も命の輝きを取り戻そうとする大いなる生命力と、その輝きを探し出そうと懸命に努力する崇高なる意志を心で見守ろうと思います。


本当は救い出したい…


それでも、私たちにはプロフェッショナルとして「いなくてはならない」場所があるのです。


皆がそれぞれの居場所で輝くから、この国は生き返るはずだと確信している。
シネスイッチ銀座にて『神々と男たち』を鑑賞してきた。





<信仰>と<勇気>…


まさしく、この2つの絡み合う崇高なる作品だった。


ヒューマニズムを五芒星で表すとして…


そのうちの2点を先端で描き上げるがごとく。


いくら装飾しようとも、どんな風に彩色しようとも…


決して「もたざるもの」には分かり得なかった世界観。


宗教観に欠ける私にとっても、アルジェリアで起こった誘拐事件の謎が何か急迫に感じられた。


テロリストによる銃の乱射、人質の惨殺が起こるその瞬間に…


聖書を手に信仰を続ける、7人のフランス人修道士たち。


<静>と<動>があるからこそ、自分は生きているのだと気付かされることがある。


悲しいとき、病気のとき、誰かと別れるとき…


でも、そんな“型にハマった”表現で人間の生きる様子を語ることはできないのだと、この作品は私を説き伏せる。


主張と主張、教義と教義、そして正義と正義が相反しながら対立する構図がある。


そのなかで、日本人としての私たちに課された使命とは。


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ラストシーンは、その温度や風の強さ、そして個々人の感情までも…


その全てが燃え尽きるのを感じる、とても切なくも偉大。


自然と涙が溢れてくるような、人間の偉大さを…


愚かさばかりが強調される背景に垣間見ることができた。


信じるものがあれば、本来人は真っすぐに生きることができるはずだ。


それなのに…
シネマライズにて『ブンミおじさんの森』を鑑賞してきた。





こんな作品、初めて鑑賞したかもしれない。


心の奥で、自分以外の誰かが鳴き声をあげている。


もしかすると、それは人間ではなく、他の“なにか”かもしれない。


冒頭の静かで真っ暗闇の森が映し出され、そこで得体のしれない“なにか”が動いている…


不気味でもなく、怖くもない。


とっても不思議な感覚としか言いようがないが、あえて言葉にするなら…


「懐かしい」


これが東洋的とでもいうのなら、黙って受け入れようと思う。


霊的なものを心のどこかで信じているからなのか?


そうではない。


じつは既に経験しているからなのだ。


ブンミおじさん(タナパット・サイサイマー)が洞窟を「母胎みたいだ」と表現したのも、変な話だが頷けてしまう自分がいた。


今となっては願望でしか叶えられない世界を…


視覚的に捉えさせてくれる、下手な言葉や励ましなんかとは違う、実際的な輪廻の瞬間に立ち会っているような感動に出会えた。


ひたすらな静謐と、ぎこちのない喋り方が私たちをどこか異次元へと運んでくれる。


そこで見つめなおすものは自分自身であり、自分のなかに生きるもうひとつの自分。


原点に帰ることで、どんな自分でも肯定するきっかけを与えてくれる、とても清涼感があって現実的な作品でもあった。


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森のシーンが映し出されるたびに、何だか身体が熱くなるのを感じた。


「いつかどこかで、また会える」


たった今この瞬間にも、会いたいと思っている人がいる。


生と死が交差するのなら…


生と生、現在と現在がリンクし…


きっと、“もう一度”互いの過去が繋ぎ合わさるのを期待してもいいんだと思えた。


こんな作品を、ふたりで一緒に鑑賞して…


帰り道に手を繋いで歩くことができたなら、どんなにか幸せだろう。
チネチッタにて『アメイジング・グレイス』を鑑賞してきた。





奴隷制廃止に人生をささげた若き政治家ウィリアム・ウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)の話。


彼の熱情は激しく…


そして冷たい。


どう冷たいのか?


「冷酷」ということばを耳にしたとき、果たしてそこに温かい家庭や幸せな母子の姿を捉えることができる人間がどれくらいいるだろう。


しかし、彼は冷酷なまでに奴隷制を憎んだ。


一方で人種や出身地、肌の色で人間を区別することを拒み、ひたすらに自然であることを愛した。


とても印象的だったシーンがある。


彼が自らの庭において、朝露滴る芝のうえに寝転がり、庭師の使用人にこう言うのだ。


「自分は変わり者なのだろう」


孤独であることを認識し、それでも(奴隷制を廃止することが奴隷たちの不利益に繋がるなどの)中傷や嘘に懐疑的になることは一度もなかった。


自分が彼の真っすぐな想いに歩みを同にしていることに気付いたのも、「このシーンがあったからこそ」と言えるかもしれない。


肌の黒い人間たちが人間として扱われず、それこそが大英帝国繁栄の要因であると「当たり前」だと認識されていた、そんな社会の中心にいた彼が…


見上げた空に、いったい何を見つけたのだろうか?


いつでも曇り、霧のなかに“曖昧に”されている人間の良心を探し出すことに必死になっていた彼を、神が見守っている。


奴隷船の船長であったジョン・ニュートン(アルバート・フィニー)もきっと同じものを、(若き政治家のなかに)見つけたのだろう。


「見えなかった目も、今は開かれた」


このフレーズは、とても汎用性のあるようなことばに聞こえて…


実は本当に思いつめたとき、自分の成果や他人の偉業を讃えたいと思えたときにこそ、心からあふれ出る<愛>の台詞なのだと感じた。


名曲に秘められたストーリーを知ることで、たしかに今、この曲の聴こえ方が変わっているのを確信している。


ウィリアム・ウィルバーフォースの起こした奇跡は、ケンブリッジ時代の友人であり歴代最年少で英国首相になったウィリアム・ピット(ベネディクト・カンバーバッチ)との友情、そして彼を支え続けたバーバラ・スプーナー(ロモーラ・ガライ)の視線を捉え…


非力な腕に太い綱を縛り付けた少年たちや、搾取され続けながらも必死で愛する家族を支えようと涙した男たちの夢を、この世界に実現させてみせた。


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胸が熱くなる想いと同時に、自分の足かせになっている現実が、なにか音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。


『アメイジング・グレイス』の旋律は、気高く美しく響き渡り…


私たちの心から離すことのできない希望と、それを目指そうという情熱を取り戻させてくれるはずだ。


真に何かを達成しようと覚悟したものの、例外なき弁の強さを改めて見せつけられた。


自分がSheffieldで、そしてYorkで見つけてきたものに対する信頼は揺るぎないものとなる。


見栄でもなく、利益でもなく…


欲しいものは、愛するものたちの笑顔、そして広い世界を見渡す視点なのだ。


いつか英国に戻った暁には、彼の眠る場所を訪れたいという気持ちになった。
ようやく決定した。


慣例(?)どおりに、同期はほぼ皆が「地元(出身地)以外」に配属されたね。


横浜出身の自分も、そんなわけで…


西日本のある都市に行くことになった。


何の因果か…


もしくは神(!)の意志か…


目指すと決めたモントリオールの姉妹都市が、自分にとっての初めての赴任地になった。


モントリオールを挟んで、向こうには思い出の地ロンドンもある。


赴任する空港は標高が高く霧が発生しやすい環境で、<CAT IIIB>というカテゴリーに属するなんてところも、何だか自分らしいのかなと思う。


ずっと先にはなるかもしれないけれど…


こうしてひとつの大きな目標があるからこそ、どんな場所でも自分のもてる力を発揮していけると確信している。


頑張ろう。


そして、書いていこう!


Sigur Rós - Hoppípolla




モントリオールが…


エディンバラが…


レイキャビークが待ってる。


わくわくしてたまらない、広い広い世界が待っている。
TOHOシネマズなんばにて『英国王のスピーチ』を鑑賞してきた。





素晴らしい毛色の作品だった。


吃音というハンディキャップと、ロイヤルファミリーという義務と責任。


その対比の中で垣間見れるジョージ6世(コリン・ファース)の真の姿。


「(君主・リーダーは)こうあって欲しい」


そう誰もが願いうる、実際の光景を見ることのできる安心感。


観終わったあとのスッキリ感は凄かった。


彼がふと見上げる歴代の王の肖像画がある。


なかば「当てつけ」のようにスライドするカタチで王の座に君臨することになった男は、果てしなく悲哀に満ちた表情をみせる。


どこか“迫りくる”危険を察知しているようにもみえた。


それは目先のクリスマス放送や戴冠式のスピーチに留まらず…


「演説のうまい男」が世界の覇権を握ろうとする勢いさえも。


彼を吃音から救ったライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)にしろ、ずっと夫を支え続けたエリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)にしても、何だかそれ(ジョージが国の未来を見つめていること)を大事にしているようだった。


ある聖域があり、そこには立ち入ってはならない暗黙の協定みたいなものがあるように、言葉では決して“その部分”に触れようとはしない。


ギリギリの境界面でジョージをサポートできる、そういう相互理解のもとに崇高なロイヤリティが保たれているのを強く感じた。


コメディ調でもあり、シリアスな面もある…


映画作品として、これらが絶妙に交雑しあいひとつのヒューマニティを炙り出している。


英国王を主人公にしつつも、どの世界におけるリーダーにも当てはまる、“こちら側”からみた理想のカタチであったりする。


ハンディキャップのその先にあるものを…


信じる国民。


つかみ取ろうと努める王。


極上の関係に酔いしれる2時間に浸りきる。


王の実体的な弱さや人間性に(いい意味で)付け込んだ視点をもち、最後にはスタンディングオベーションをしたくなるような雰囲気に終わるところは、この作品の完成度を表していると思う。


特に印象深かったシーンは…


「王の椅子」に座るライオネルと、それに激昂するジョージのやり取り。


子細には描かれないものの、ライオネルからジョージへの<最終試験>のようであった。


<I have a voice>


このひと言を“つっかえる”ことなく言ったジョージと、それを聴いたあとのライオネルの表情は一国の歴史を動かす一瞬間になった。


$still unfledged.


そうだ、私には声がある。


話す権利がある。


私のみた英国の誇りが、確かにそこにあった。