僕は帰宅して玄関で靴を脱ぐ時、足先を玄関ドアに向けた状態で脱いでいた。


そうすれば手で揃える手間が省けるからだ。




亡き祖母に「靴は自然に脱いで上がり、振り返って手を使って揃えなさい」と言われた事がある。


正直「手でも足でも結果は同じじゃないか」と心の中で思っていた。


しかし最近になって、あの忠言の意味が何となく分かってきたような気がする。


靴を脱いだ直後、反転し、手を使って綺麗に揃える。


このささやかな手間を惜しまずにやり通す。


その心意気こそが大切なのである。




たかが靴の話と侮ってはいけない。


一事が万事である。


靴を揃えるというありふれた動作においても、易きに流れず、手を使って美しく揃え切る。


それが習慣化した者は、他の仕事の際にも手抜きをしようとする自分を戒め、より高いパフォーマンスを発揮し続ける事ができる。


祖母はそれを知っていたのだろう。(それにしても親や祖父母の家庭教育というものはボディーブローのようにじわじわと効いてくる。「ああ、あれはこういう事だったのか」と。)




これは靴に限らず、冷蔵庫や引き出しを閉める際にも同様だ。


足を使うべからず。


尻を使うべからず。


いやはや耳が痛い。


日常が全て。


日常には多くの人間道場が点在しているのである。




駄文御免。