1829年 (1歳) 土佐国 仁井田郷吹井村に誕生
1845年 (17歳) 父老衰のため 代勤となる
1850年 (23歳) 武市道場をひらく
鏡新明智流 免許皆伝
1856年 (28歳) 江戸の桃井道場に入門・翌年・免許皆伝
1861年 (33歳) 土佐勤皇党・結成
1862年 (34歳) 4月 吉田東洋 暗殺
坂本龍馬 脱藩
6月 京へ出立
10月 天皇勅旨に随従
11月 江戸城に入場・将軍に拝謁
12月 留守居組に昇進
1863年 (35歳) 2月 容堂より 菓子を賜る
1863年 (35歳) 2月 攘夷決行を進言・断行されず
2月 平井収二郎に切腹勧告
1863年 (35歳) 9月 投獄
1864年 (36歳) 6月 岡田以蔵・投獄
牢番が冨に 牢に忍び込んで会わないかと薦めたが 冨は断る
「よく断わった 女房が密かに会いに来たなど 後世の恥である
会いたいことは 言わないでもわかっている」
半平太と冨の書簡は とてもストレートに 愛に伝えている
花は清香によって愛され 人は仁義を以って栄ゆ
幽囚 何ぞ恥ずべけんや 只赤心の明らかなるあり
「じぶん絵を描き候 ちと男ぶりが良すぎて ひとりおかしく候」
自分でイケメンに描きすぎて 笑ってしまったと 冨に語る
1864年 (36歳) 7月 獄中自画像を描く
1865年 (37歳) 5月 切腹
半平太殉節の地と 半平太愛用の刀・河内守正広
1891年 (明治24年) 正四位を追贈
ふふたびと 返らぬ歳を はかなくも
今は惜しまぬ 身となりにけり
参照「武市半平太伝 月と影と」 松岡司