自殺者が出なければ気づかないようだ | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

 なぜ医師は嘘を言うのだろうか。私の話を聞いて決めたこととは、全く異なることをする。私の話の内容など、何の意味もなく、ただ形式的にあっただけなのであろう。
 例えば、強制入院はしないと言っていたのであるが、次の週には同意者に連絡を取って、治療の必要性を念押ししている。当然ながら、同意者は医療保護入院に同意である。

 私に嘘をついてまで追い詰めるのは、何になるだろうか。そう言えば、その嘘をつくときに、その医師は忙しいからと言うことを連呼していた。対応に時間がかかりそうだから適当な嘘でも使ってその場を離れて、そしてもっとも簡単な手順で強制入院を選んだように見える。

 人を処理困難なゴミとして扱うのは特権階級には許されているらしい。
 それが間違いだと気づくには、少なくとも自殺者が必要である。センセーショナルな自殺が出来上がれば、少しは注目してもらえ、何か社会が変わるかもしれない。
 私にその方法しか残させないとは、かなり有能な医師ということになる。