このところ私が真摯に向き合っているのが「英語史」というジャンルです。
翻訳アプリがたくさん開発されていて、誰でも簡単に使うことができます。
その翻訳能力もかなりのもので、一瞬で翻訳されます。多少違和感のある文章にはなっていますが、意味は通じるでしょう。
少なくとも日本語のネイティブスピーカーである私からすると、英語→日本語の翻訳機能には充分ですから、日本語→英語の翻訳機能も同程度ではないでしょうか。
同じ時間で(つまり同時通訳で)私が翻訳した場合の文章力と比較するならば、翻訳アプリの圧勝です。
このように考えるの複数の言語を習得するモチベーションが格段に下がってしまいます。
ところで私が他言語に傾倒したのは日本語に失望を抱いたからです。その割には短歌や俳句を好んでいますが、現代の実用日本語に失望したという意味です。
その理由はやはり日本語を実用する機会が無くなったということでしょう。人間との関りが希薄になれば言語の重要性は下がりますし、社会は私のように脱落した者に対しては容赦なく非難します。
「日本語から他言語に逃げている」というのが私の現状です。
そこでまずは英語になっているのですが、先に述べたように翻訳アプリからの異質性を持つとしたら言語の歴史を持っておくことです。
単なる直訳ではなく、この場面ではどのような単語を使用するべきなのか、ひとつの単語にも時代によって多くの意味が込められてきました。現代では廃義になったものも多くありますが、その過程は無視できません。
その歴史を知っておくことで、同じ量の言葉から多くのことを受け取ることができます。
古くは、読み書きできる人は限られていましたが、大衆へ言語が普及するにしたがって、合理的になる反面、古流に固執するお堅い分野もあり、それらが長い年月の中で混ざり合ってきました。
人間のせめぎあいが言語に凝縮されています。言葉は人を活か、或いは人を殺すという能力を持っています。
私の習得できる量は限られたものでしかありません。
英語の歴史を探っていけば、英語だけにはとどまりません。国際言語は様々な言語が混ざり合って構成されてきます。太古の時代から現在進行形を保っています。英語が世界中に広がっているのであれば、世界中の言語を理解しないとその全容は捉えられません。
そもそも言語を分類することがナンセンスなのかもしれません。探求していくほど拡大するのが歴史です。