精神障害当事者の主張は病気の悪化とされる | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

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空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

精神障害の当事者が精神医療に対して批判をすると、それはすべて症状の悪化とされ、正当な主張とはみなされません。

 

 これは私自身が十数年の経験の中で、たどり着いた真理です。

 

 私は精神障害者としての経験ではなく、精神科ソーシャルワーカーとしての経験もあります。

そうした国家資格を有していても、精神障害者であるというだけで、私の意見には説得力が無くなってしまいます。

 「無視される存在」という言葉が常に脳裏をよぎります。

 

 精神障害当事者が、精神医療について語っても何も意味がないのではないか。

むしろ症状の悪化とされた場合は、「強制入院」という恐怖と相対しなければなりません。そうした覚悟が必要になります。

 

 強制入院という抑止力はかなり大きなものになります。

医療保護入院ならかなり気軽に行われます。同意者、家族になる場合が多いのですが、私がどうしても譲れない主張をすれば、「家族に連絡することになる」の一言で黙るしかありません。

 

 閉鎖病棟への入院経験がある者にとっては、とても効果的な抑止力です。ちなみに入院中も私の行動はすべてカルテに「病気の症状として」書き込まれていました。私が理解できないと考えていたのか、私の目の前で開示していましたけれども・・・。

 

 私がここで実名で書けないのは、そうした圧力があるからです。

 

きちごうて なおすことさえ できなくて ことわりとくも あわれとされむ