吃音者の苦悩 Stutter's suffering | Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

「どもり」という言葉は現在では差別語に当たるらしい。
「吃音」という言葉が一般的に使用されている。
 
実は私には吃音があります。
思うように言葉が出てきません。
 先ず自分の名前が発音しづらい。電話で自分の姓を名乗っても、間違って伝わっていることが非常に多い。
かなり意識して発音してもどうしても詰まることが多い。いやむしろ意識すればするほどなのかもしれません。
 
 吃音は人間の機能としての欠陥ではあります。しかし障害者というわけでもなく福祉の対象になることが少ないのが特徴です。
 心因性とされ、ICDコードのF4に分類されるならば精神障害者保健福祉手帳の対象にはなるかもしれませんが、吃音すべてが精神疾患とは考えにくいです。
 むしろ精神疾患として処理されているという感が拭えません。
 
 吃音者は排除の対象となっています。
「どもり」が差別語とされているのも、侮蔑的に使用されてきた歴史があるからです。
 吃音者が社会に一定程度存在することは分かっています。それでも物理的に発声が出来ないことが明らかでない限り、自己責任とされています。
 
 吃音者は子ども時代から苦悩を味わいます。周囲とは一風変わった話し方になりますし、そういった子どもは嘲笑の対象になります。私も記憶の限り遡っても、初めから「おかしなしゃべり方」と言われていました。
 
 なお一層、排除の対象となるのは社会人になる頃からでしょうか。
 まず就職という壁があります。
ほぼすべての就職試験において面接試験が行われますので、吃音を隠すことは不可能です。
 
私は吃音であると説明すべきでしょうか。
ふとそう思って、このブログにこうして書いてみました。
 
たどりつつ とばしとばしの ことばごえ はつおんきごう まちごうなかれ