そろそろ年の瀬ですね✨

この一年を振り返ると

どんな年だったでしょうか?




わたしにとっては

今まで見ないようにしてきた

「かなしみ」「苦悩」に気づき、

浄化する年になりました。




兄と弟と父と


2年前の冬至。

脳梗塞で倒れ、

生死を彷徨って命をながらえたものの

四肢に麻痺が残り、

喋ることも食べることもできなくなり、

唯一動かせるのは眼球のみとなった兄。



8年前。

自死した弟。



今年の5月。

同じく脳梗塞で倒れた父。



兄とはコロナ禍で

面会できなかった状態なので、

今年の春、一年ぶりに会うことができました。




が、動かせない身体は

どんどん硬直していて、

(あぁ、本当にもとの状態に戻れないんだな)

と実感。



面会した次の月に

父も脳梗塞で倒れ、1ヶ月入院。



幸い、麻痺が残るものの

自分で動けるくらいには回復しました。



またそれをみると

(なんで兄だけが…)と思っちゃう。



兄の脳梗塞は小脳で起きたので、

運動機能全般がダメになってしまったのです。

ですが、大脳は無事なので

思考はクリア。

だから余計にツライ。




二人の息子がこんな状態になってしまった

両親のことを考えると心が痛むし、

残った自分だけは元気でいないと…❗️

というプレッシャーも、少なからずある。



また、わたしが生まれる前に3人ほど

生まれてくるはずだった兄?姉が

いると聞かされてきたので、

(わたし自身も流産や早産のリスクを乗り越えて生まれてきた)



どうしても重責を感じざるを得ない。

そして母まで倒れたらおしまいなので、

そのサポートに徹するあまり、

自分の中の「かなしさ」「くるしさ」を感じつつも

癒す間もないまま、ここまで来ました。






誰にも言えない「自死」のはなし


言えると『癒える』

その言葉通り、誰かに話すことで

自分の気持ちに気づいて、解放されていきます。



ですが、『死』というものは、

特に『自死』のことを話せる機会はありません。



おおむね『言いたくない』ことだし、

家族間でもその話は出来ません。

(あえて触れられない)



それに重すぎるテーマなので

時と場所を選びます。



特に一番ダメージの大きい親のことを考えると、

自分がしっかりしなきゃ❗️モードに

自動的になってしまう。



だから、ずーっと言わずに来たし

これからも言うことはないだろう。

そう思ってました。





「死を力に。」


今年の7月、こんなタイトルの本が発売されました。


著者の山本時嗣さんは

20代の時に父親を自殺で亡くしてしまいます。



ご自身も幼少期は喘息がひどくて

死を身近に感じていたそう。



上記の経験から、

死後の世界を探究するようになったそうです。



そこで見出したものとは?


それらがこの本に詰まっています。



家族を自死で亡くした、という共通点と

それを公にして伝える姿に

「自分も話してもいいかも」と

思うキッカケになりました。



そして、オンライン宇宙塾「宇宙大全」

こちらのシェア会で

同じ境遇の方たちと

お話しする機会に恵まれました。



似たような経験を持つもの同士

だからこそ話せること。

自分の想いを出すことが出来て、

軽くなったのを感じました。






恐山で成仏を願う


時系列は遡りますが

本の発売やシェア会の前に

青森県にいく機会があり、

恐山に寄ることになりました。



恐山は有名な霊山のひとつ。

関東に住むわたしにとっては

なかなか行けない場所なので、

弟の成仏をお願いしにいきました。



恐山に行ったはなし


母に恐山にいく話をすると

「もう成仏してる気がするんだよね」

という。



いやいや、まだ早いだろ。


と思ったものの、


(あぁ、母にとってはそのくらい気持ちが軽くなってきたんだな)

というのが感じられ、

なんだかホッとしました。




そして、もう支えるために

踏ん張っていなくていいんだな〜

と気が抜けたためか




知らず知らずのうちに

抑えてきた「かなしみ」が

表に出てくるようになりました。



もう、かなしんでもいい、と。




兄と一年ぶりの再会で


コロナ禍で面会が制限されていたため、

兄に会えたのは、意識が戻った時のみでした。



本当だったら

お見舞いに行って姿をみたり、

話しかけたり、

反射の統合ワークしたりできたら

もっと回復も早かったんじゃないか?

もっと機能も落ちなかったんじゃないか?



そう歯がゆい想いもありましたが、

こればかりはどうにもなりません。



一年ぶり?くらいに検査の付き添いで

会うことが出来ましたが、

以前会った時よりも状態が悪くなっている

兄の姿を見て打ちのめされます。

(身体の硬直が進んでいる)


泣きそうになるけど、

やっぱり泣くわけにはいかない。



そしてあれこれ考えてしまう。

こんなことになって、

辛く苦しい毎日なんじゃないかと。

絶望して生きているんじゃないかと。



そんな悶々とした気持ちを

どう整理つけたらいいのか?



自分の身に起きたことなら、

足掻いてもがいて、荒れてぶちまけて

諦めたり、納得して生きていけばいいんだけど



人の身に起きたことには

答えも見出せず

どう受け止めていけばいいのか分からず、

これからのあらゆることを

自分がやらねばならない

というプレッシャーもあり

疲弊してしまいました。



兄の痛みも

両親の苦しみも

わたしがあれこれ想像して悲観したところで、

想像の域を超えないし、

汲み取ろうとしても汲み取りきれないでしょう。



とは言え、

それを放棄していいものか?



と、答えの出ない

まさに苦悩した状態に陥りました。




比叡山で救いを求める


そんな折に、とあるイベント

京都に行くことになりました。


京都や滋賀と言えば、

かの有名な『比叡山』があります。

イベントの前にお参りすることにしました。




6月に訪れた「恐山菩提寺」を

開いたのは円仁さま。



この円仁さまは

比叡山延暦寺で修行されていたお坊さんであり、

最澄さまとともに唐へ留学した

『入唐八家』のひとり。



と、いろんなつながりがあっての比叡山。



ここでわたしは

一縷の望みというか

救いを求めてやってきたのです。



この辛く、苦しい想いを

どうか聴いてほしい。

救ってほしい。

どこにも出さないものを出して楽になりたい。



それを赦されるのは

ここしかない。




比叡山はとてもおおきな山です。



その中で決めたのは

元三大師の御廟。

こちらでたくさん

おはなしさせていただきました。



そして

このように人に言えぬことを、

苦しみに寄り添って救ってくださる存在として

お寺があるんだなぁと感じました。




自分だけではない


お寺で心が軽くなった、

と言うのも大きいですが、

それ以上に自分が楽になったのは

「自分と同じような境遇の人は意外といる」

ということ。



シェア会で知れたのも励みになりましたし、

こちらの動画で



優花さんかご自身の経験を

お話しされてたのも、

「自分だけじゃないんだ❗️」

と思える大きな経験でした。



家族を自死で亡くした時嗣さん


生死を彷徨い、肢体不自由になった家族を持つ優花さん



まさに自分と一緒の経験を持つ人の

想いを聴けるなんて‼️



「自分だけじゃないんだ」


「話してもいいんだ」


と思えたのは、目から鱗で

もう、出してもいいかな

と思えるキッカケになりました。



そして、同じような境遇の方は

意外と多くて身近にいる。

というのも大きな発見。



みんな話さないから気がつくことはないけど、

心に痛みを感じながら過ごしているひとは

思いの外たくさんいるみたいです。




本当のことは本人のみぞ知る


兄のような状態を

閉じ込め症候群」というらしいです。

感情失禁があるから

厳密には違うかも知れませんが、

同じようにほぼ動かせない状態です。



そのような方たちは

今の自分の状況をどう感じているのでしょうか?



こんな研究結果を目にしました。


閉じ込め状態にあるALS患者さんは幸せか?


一部引用すると



 

以上より,ALS患者さんは
閉じ込め症候群という極限の状況にあっても,
介護者や私たちの予想に反して,

その生活に満足し,QOLを維持し,そして生きる意欲を持つ

ことが示された.

この結果には驚かされた.


自分だったら絶望しかない。


そう捉えていたのに、

全てではないにしても

少なからず、悲観して生きているばかりではない。


というのは意外な結果でした。



もちろん兄に当てはまるわけではありませんが、

わたしたちが一方的に


「かわいそう」


「辛くて苦しいだろう」


と一部だけをみて、

そして主観のみで

そう判断するのは早計だし

おこがましいこと。



そして年月は、

人の感情も受け止め方も変えていく。



この研究結果も、

自分の考えの狭さを改めさせてくれました。






はなしたい、つながりたい


どこかでそう思っている人も

いるんじゃないでしょうか?



わたしがたまたま「死を力に」をプレゼントした方も

ご家族を自死で亡くされていました。



この本はまさに

「死を力に」変えてくれる一冊。



出版講演会は全国各地で開催されるようなので、

足を運んでみてください。


「自分だけではない」

「はなしてもいい」

そう感じられるだけで、

どれだけ心が軽くなるか。

実感してみてくださいね✨




軽やかに次の年を迎えるために


そのためにも、年内に

想いを吐き出したい✨

スッキリして次にすすみたい✨



そうおもって冬至を迎える前に

書き切ろうと思って書いてみました。



わたしにとって


一番こんな死に方をしたくない‼️

という死に方をした弟と



一番こんな状態で生きたくない‼️

という状態で生きている兄と



その究極の状態の二人を見せつけられて

どう「生きるか⁉️」を

これでもか‼️というくらい

突き付けられている感じがします。




死は平等に、容赦なく訪れます。


生きていても健康な心身があってこそ。


そのふたつを兼ね備えている今、

できること、やりたいことを

精一杯して、よろこびに満ち溢れた

幸せな人生を生ききる。

そうして、幸せのお裾分けをできる分だけしていく。



そう、決めました。



あなたも良い人生を💖