労働時間の長さには、価値があるのだろうか。
長く働いていること、
忙しくしていること、
それ自体に価値があるように扱われることが多い。
けれど、それは本当にそうなのだろうか。
私の夫は、完全裁量制で働いている。
極端に言えば、
一分でも仕事をすれば、その日は出勤扱いになる。
もちろん、
それで成立する仕事ばかりではない。
誰にでもできる仕事ではないからこそ、
その形が許されているのだと思う。
実際、夫の関わっている仕事でトラブルが起きれば、
新聞に載ることもあるし、ニュースになることもある。
表に出ることは少ないが、
責任の重い業務であることは確かだ。
一方で、リモートで働いている日は、
洗濯機を回しながら仕事をしていることもある。
このとき、
「仕事をしているのか、家事をしているのか」
という区別はあまり意味を持たない。
仕事か家事か、
どちらか一方に時間を切り分ける前提そのものが、
すでに古いのではないかと思う。
私は最低限の良心と良識があるので、
夫を「スペックが高い」といった言い方はしない。
彼は機械ではないからだ。
成果ではなく時間で評価する考え方では、
こうした働き方はうまく説明できない。
しかし実際には、
短い時間でも価値の高い仕事は存在するし、
長い時間をかけても価値が生まれない場合もある。
労働時間の長さと価値は、
必ずしも一致しない。
むしろ重要なのは、
どれだけの時間働いたかではなく、
何を生み出しているのか、なのではないか。
そう考えると、
「長く働いていること」に価値を見出す前提自体を、
一度見直してもいいのかもしれない。