本文とは1ミリも関係のない石庭。

奥に向かって低くなる油土塀。

 

しょこたんの歌。

 

 

 

というわけで、不味いからあげ。

 

 

 

出しましたチーン

 

 

いやー、体調悪くてですね、自分はほとんど食べられず

(でも体重減らない)

ご飯作るのもなんだかしんどいので

揚げればいいだけのやつを買ってきて

(でも一応2度揚げして)出したんです。

 

 

いつもは、にんにくとしょうがをきかせた

自家製だれ(と言ってもしょうゆと酒、笑)に

つけこんで作るんですけど

その、いつもの味とのギャップが

想像以上に大きかったらしくニヤニヤ

 

 

パートナー、いつもの100倍(当社比、笑)饒舌に

いかに美味しくないか、感想を述べてくれました。

 

 

まぁ、私の味付けではないので

そんなに気にすることもなかったんですが。

 

 

小さな違和感。

 

 

小さな違和感大事、と思っているので

何に対する違和感なのかしばし自問自答・・・

 

 

ひらめき電球

 

 

パートナー、美味しいときは黙々、モクモク食べます。

美味しい、と言葉にすることもありますが、

饒舌に語ることはまずありません。

 

なのに。

 

「美味しくない」に対してはなぜ熱弁をふるうのか?

 

比率、逆にしてもらった方が作る側としては

嬉しいんですけど?

 

 

で、そのことを、翌朝パートナーに伝えてみましたらば。

 

 

「全然意識してなかった」

 

 

えーーーーー!

当社比100倍なのに!

 

うけるーーーーー(笑)

 

 

この時点で半分くらいはもう納得。

無意識なんだねー。

ってことは、小さいころに染み付いた

何かしらのルール(いわゆるビリーフ)に

関係しているということなので。

 

 

なんで?なんで?と聞いても

パートナー自身もわからないのです。

そもそもやってることに気付いてないのに

その理由を言えるわけがないのです。

 

 

 

 

 

 

で、不味さを語るその熱はいったいどこから来るんだろうねぇ?

(いっしょに原因探し、笑)

よくよく聞いてみると

 

 

「美味しくない」=「全部食べられなくてごめんね」

 

 

だということがわかりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超絶納得!

 

 

パートナー、食事を(いわゆる「出されたもの」)を

残すことに対する罪悪感が半端なかった。。。

 

 

幼い頃に食事のマナーとして

残さずきれいに食べる、を教えられ

それを忠実に守ってきたのでしょうね。

 

 

作ったもの、出したものを、

残さずぜーんぶ、モリモリ食べる息子を

優しい目で見守っていたであろう

パートナーのお母さんの姿も浮かんできます。

 

 

 

全部食べられなくて申し訳ない、

という思いが強すぎて(罪悪感、と言っていいレベル)

でもそれは仕方のないことなのだと

許しを乞うための熱弁だったのです。

 

 

 

私ではなく、お母さんに。

 

 

 

私を通して、お母さんを見ていたんですねー。

 

 

 

以前なら、私はあなたのお母さんじゃない!

と怒るところですが(笑)

 

 

 

夫婦やパートナー同士の間で起こる問題のほとんどは、

相手に自分の親を投影することが原因だと言われています。

 

 

 

私自身も、「無意識に」パートナーに父親を投影していることに

気づくことがあります。

 

 

 

おたがいさま(笑)

 

 

 

 

 

 

 

まぁ、フツーに残せばいいのにー!!!

 

 

 

って話なんですが(笑)

そう簡単にはいかないのですよね~。

 

 

 

 

 

これからもきっと似たことを繰り返しながら

 

 

残してもいいんだよ~

お腹がちょうどいい、ってところで

やめていいんだよ~

お母さんを喜ばせるためじゃなくて

自分の身体を喜ばせるために食べるんだよ~

 

 

と、伝えていこうと思います。

 

 

 

無理して食べてもらうより

身体が喜ぶちょうどいい量食べてくれる方が

私は嬉しい。

 

 

 

今度、美味しいからあげ作ろう(笑)