「あなたのためをおもって」している心配のほとんどは
実は自分のためだ、というお話。




お母さんが、子どものためを思って(るつもりで)


勉強しなさい
きちんとしなさい


と言っているときの
本人自身も気付いていない本音は


勉強してくれないとお母さんが困る、

だって、お母さん勉強苦手だったから

あなたが勉強できないの、お母さんのせいだって
責められるから。



きちんとしてくれないとお母さんが困る、

だって、子育てがきちんとしてないからだ、って

責められるから。





思えば、私自身、心配性の父を
心配させまいと、
無駄にエネルギー使ってきたなぁ、と。




自分自身でも不安を抱えているときに
自分自身の不安+父親の不安を背負ってるわけですから。



自分自身がしんどくてつらくて不安なとき、
もう、全然大丈夫じゃないとき、


「大丈夫大丈夫!」と元気なふりを装って
心配しなくていいよ~!と伝えないと
いけないわけですから。



しんどいですよね。



心配性の父は、心配するのはいいことだ!
常に最悪を想定しておくのは大事な事だ!
と、微にいり細にいり、
あれは大丈夫か
ここはこうしておいたか
あそこは確認したか・・・
と、まぁ、うるさいうるさい。。。



自分の心が折れそうなときは
そういう心配性のケアをしている余裕はないので



「大丈夫よ!」と言ってしまったほうが
楽なのですよね。



私自身親になり、
アラタの心配をすることが
まぁ、日々山のようにあるわけですけども


心配より信頼
とつぶやきつつ


あとは無事であるようにと祈るのみ。



相手をコントロールすることで
自分が安心しようとすると
その相手との関係性は停滞します。



相手のことが心配で心配でたまらないときは
何がそんなに不安なのかと
自分の心に聞いてみましょうね。


思いもよらない心配の種が見つかるかもしれませんよ。
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