詳細は割愛するが、ツイッターのアカウントを凍結されたのが今年の初めの出来事だった。
ツイッター社の言い分には1mmも利などないと考えているが、それはこちらの考えであり、彼らには彼らの考えがあるのだろう。
哲学が噛み合わない以上、お互いに関わり合いにならないほうが平和だし幸せだ。
そんなわけで、わしの生きている世界にはツイッターというものは存在しないのだ。
そんなことを言いつつツイッターについて述べているのは(おそらくこれが最後だが)海外の著名人がこぞってツイッターを離れているという話題を以前に耳にしたことがあったのを思い出したからだ。
彼らは自らの意思でツイッターを手放した。逆に言えば、ツイッターの状況が変われば彼らは戻ろうと思えば戻れるのだ。
わしはもう戻れないし、戻る意思も当然ない。そういう意味では、わしの見ている世界が変わった瞬間だったとも言えるのだ。
動画の投稿をしている以上何らかのSNS、それも可能であればできるだけ簡単に利用できるものが必要だと考えた。
動画やブログの公開告知もそうだが、人間どうでも良いことをつぶやきたいこともある。
毒にも薬にもなりはしないが、ふと気になったことをなんとなくつぶやけるのがSNSの良さでもある。
それを面白がってくれる人と出会えるのは愉快だ。
そうした人と親しくなり、新しい風景や変わった理念に触れるのは愉快だ。
そうしたことを、自分の手の及ぶ範囲で広め、そうしたことが少しでも他の人に伝わるのは愉快だ。
承認欲求がどうのこうのと罵られそうだが、愉快なのだから仕方がないのだ。
法に触れる行為や人様に迷惑をかけているのでなければ良いではないかと思う。
人様に迷惑をかけたり、人様を見下してバカにしたりコケにしたり、巧妙な言い回しと立ち回りで自らは手を下さずに人様に迷惑をかけまくっている人間なんてたくさんいる。
彼らと比較すればわしなどまだマシな方である。比較対象が情けなさ過ぎることが悪いくらいかもしれない。
長々といらんことを書いたが、そうして流れ着いたのがマストドン (Mastodon) だった。
当初は手軽に使えるSNSというだけの認識だったが、調べてみるとこれは奥が深い。
ざっくり言えば、自分のためのSNSを作ることだって可能なのだ。
例えばファンクラブのためのクローズドなSNSにすることも可能だし、学生時代の部活のように同好の友たちとのやりとりをするためのSNSにすることも可能だ。
技術的なことや費用的な面もあるので誰でもそうした利用の仕方ができるわけでもないが、企業やグループには有益だと思うし、今のわしのように手軽にボヤくだけのために使うこともできる。
利用者のニーズに合わせた使い方ができるのでとても便利だ。
現在、自分のタイムラインにあったコメントで「マストドンのアプリは使いづらい」というコメントがあった。
わしはさほど気にしたことがなかったが、言われてみれば公式のスマホアプリはバリバリ使いたい人にはちょっと物足りないように思えた。
残念ながら、マストドンは日本では海外ほどの隆盛はないようなので、自ずとアプリの開発も下火になってしまうのではないだろうか。
個人の感想になるが、自分はクリエーターの端くれなので、無くて困ってて作れそうなものは自分で作ってしまえば良いと思っている。
技術的に簡単なことではないにしても、もし費用があるのであれば外部に依頼することもできるだろう。
つぶやいた人がどういった意図でそうつぶやいたのかはわからないが、もしそうするメリットがあるなら作ってみるのも良いかもしれない。
久々にAndroid向けの開発環境を整えようかと考え始めたきっかけである。