こうして書いていると、どうもみなさんは、わしが「痛いとばかり言っている」と感じるかもしれない。しかし、痛いものは痛いで仕方が無いのだ。
わしと直接面識のある人の中でも、そこそこわしとの付き合いが長い人の中には、わしが『痛み』という感覚に対して、良く言えば耐性がある、悪く言えば鈍感であるという事をご存知の方もいることだろう。
正直、かつてわしは、診た医者二人から、異口同音に「骨折した方が良かった」と言われてしまうほどの重度の足関節捻転、ま、平たく言えば「捻挫」をした事がある。
あまり骨折より重度の捻挫と言われてもピンと来ないだろう。わしだって来ない。それに、その時のわしは自宅から結構離れたところでその怪我を負ったのだが、少々痛くて、腫れのために足を動かすのが難しいと感じつつも、とりあえず自力で帰宅している。
今回の左足の痛みは、その時の比ではないのだ。とにかく痛いとしか言いようが無い。
立っていても痛い。座っても痛い。寝転がっても痛い。右を向いていようが左を向いていようが、仰向けでもうつ伏せでも同じことだ。
しかもだ。痛みはくるぶしの内側からくるので、患部を抑えても痛みが和らぐような事はない。むしろ、触れるととにかく痛いのである。
皆さんは、痛みのあまり眠ることができないという経験があるだろうか? ものすごく眠たいにも関わらず、痛みのせいで意識が余計はっきりしてくるのだ。このような痛みを感じることは、人生の中でそう何度も無いのではないかと思う。
さらに、痛すぎて吐く、痛すぎて気を失うという事を、生まれて初めて経験した。痛み止めもほとんど効かない。
痛みの中で訪れる浅い眠りと気絶を繰り替えしていると、その度に何度も悪夢が訪れる。良くある怪物などに襲われるといった、一般に怖いと感じる悪夢から、寝床でう○こを漏らすという、微妙にリアルで嫌過ぎる悪夢まで様々だ。
耐えがたい苦痛と悪夢に苛まれながら一夜が空け、あまりにひどいので地元の病院に行く。地元といっても自宅からは距離があるから自動車で行くのだが、乗り込むために動いても座っても当然痛い。
気をつけていても足がどこかにうっかり当たってしまうと、のたうちまわるほどに痛い。
我が家のとっても愛らしい、小汚い軽自動車の右の後部座席は、良く見ると少し盛り上がっている。乗り込む際の激痛のため、わしが天井に一撃食らわせたからだ。
結局地元ではどうにもならず、日赤病院にまで出かけて検査をすることになった。この検査も大変だった。
わしは元来、小心者である。だから注射針が怖い。それなのに、血液検査を受けなければならない。
次にレントゲンを撮る必要があるのだが、撮影に適した姿勢にならなければならない。はっきり言って、体を1mm動かすだけで耐えがたい激痛に苛まれる状態だったので、これはとてつもない試練だったのは言うまでもない。
最後に患部のMRI撮影。これも、撮影のためのケースのようなものに足を入れる必要があったのだが、わしは無駄に足がでかい。無題にでかいのは足だけではないが、とにかく足がでかい。
しかし、ケースが盛り上がってしまうと危険だし、何より撮影ができない。そこで、技師は少々無理な体制であっても足を入れるようにがんばる。
技師にそのように頑張られると、わしはより激しい痛みを感じてしまうのだが、それでも事故で足が機器の間に挟まることを考えると、そちらの方が遥に恐ろしい。
最終的には耐えるしか無いのである。その時間は30分。わしがうめき声を上げながら、いやな汗をかき続けたことは言うまでもない。
ちなみに、MRIについてはさらに違った種類の苦難があったのだが、それは次の機会に譲ろうと思う。
さて、検査の結果、血中の尿酸値が標準より高いことが分かったので、医師は「痛風」の可能性が高いと言った。贅沢もしてないのに、なぜ贅沢病と呼ばれる痛風にならなければならないのだろうか。同じことが贅肉にも言える。
ところで、血液検査の結果だけでそれは判断できない事から、患部から直接炎症作用のためにたまった「水」を抜いて検査をするという。検査結果は次回の通院時になったのだが、またしても「針」である。今日はなんて日なんだとわしが思ったのは言うまでもない。
奇妙なもので、足から採取した水の中には、尿酸がまったく含まれていなかった。なので、痛風になっていてもおかしくない状態ではあるものの、痛風ではないというワケのわからん結論に達した。
結局のところわしは、重度の関節炎の患者として治療を受けることになった。医師は入院をすすめたが、わしは断った。仕事の関係上、それはできない相談だったからだ。
今から考えれば、入院してりゃ、もっと早く治ったんぢゃね? とも思うが、今更それは言っても仕方がない。後のカーニバルである。
結局、今に至も完治しないものの、歩けるようにはなり、痛みも常時あるというわけでもなくなった。
しかし、痛みがなくなったわけではなく、治療中も痛みがひどくなって、夜中に一人うめき声をあげることも少なくなかった。
わしではなく、母親の健康状態の関係でこちらに戻って来ていた妹は、わしの不気味なうめきを耳にしたはずである。
なんとか良くなれば良いとは思っているが、現状は今より良くなりそうな気配は無い。今だってうっすら痛いのである。
とはいえ、痛みも減って、一人で歩けるようにもなったので、リハビリがてら少しは動かなければならない。
何せほぼ2ヶ月動くことができないような事態に陥ったのだ。太ったのも当然だが、全体的な体力・筋力が落ちてしまい、少々歩くのもしんどいくらいなのだ。何とも情けない話である。
こうして、人生史上MAXという太った状態になり、痛さのあまりゲ○吐いたり気絶したりといった経験をするハメになった負傷は、今現在も継続しているのであった。
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わしと直接面識のある人の中でも、そこそこわしとの付き合いが長い人の中には、わしが『痛み』という感覚に対して、良く言えば耐性がある、悪く言えば鈍感であるという事をご存知の方もいることだろう。
正直、かつてわしは、診た医者二人から、異口同音に「骨折した方が良かった」と言われてしまうほどの重度の足関節捻転、ま、平たく言えば「捻挫」をした事がある。
あまり骨折より重度の捻挫と言われてもピンと来ないだろう。わしだって来ない。それに、その時のわしは自宅から結構離れたところでその怪我を負ったのだが、少々痛くて、腫れのために足を動かすのが難しいと感じつつも、とりあえず自力で帰宅している。
今回の左足の痛みは、その時の比ではないのだ。とにかく痛いとしか言いようが無い。
立っていても痛い。座っても痛い。寝転がっても痛い。右を向いていようが左を向いていようが、仰向けでもうつ伏せでも同じことだ。
しかもだ。痛みはくるぶしの内側からくるので、患部を抑えても痛みが和らぐような事はない。むしろ、触れるととにかく痛いのである。
皆さんは、痛みのあまり眠ることができないという経験があるだろうか? ものすごく眠たいにも関わらず、痛みのせいで意識が余計はっきりしてくるのだ。このような痛みを感じることは、人生の中でそう何度も無いのではないかと思う。
さらに、痛すぎて吐く、痛すぎて気を失うという事を、生まれて初めて経験した。痛み止めもほとんど効かない。
痛みの中で訪れる浅い眠りと気絶を繰り替えしていると、その度に何度も悪夢が訪れる。良くある怪物などに襲われるといった、一般に怖いと感じる悪夢から、寝床でう○こを漏らすという、微妙にリアルで嫌過ぎる悪夢まで様々だ。
耐えがたい苦痛と悪夢に苛まれながら一夜が空け、あまりにひどいので地元の病院に行く。地元といっても自宅からは距離があるから自動車で行くのだが、乗り込むために動いても座っても当然痛い。
気をつけていても足がどこかにうっかり当たってしまうと、のたうちまわるほどに痛い。
我が家のとっても愛らしい、小汚い軽自動車の右の後部座席は、良く見ると少し盛り上がっている。乗り込む際の激痛のため、わしが天井に一撃食らわせたからだ。
結局地元ではどうにもならず、日赤病院にまで出かけて検査をすることになった。この検査も大変だった。
わしは元来、小心者である。だから注射針が怖い。それなのに、血液検査を受けなければならない。
次にレントゲンを撮る必要があるのだが、撮影に適した姿勢にならなければならない。はっきり言って、体を1mm動かすだけで耐えがたい激痛に苛まれる状態だったので、これはとてつもない試練だったのは言うまでもない。
最後に患部のMRI撮影。これも、撮影のためのケースのようなものに足を入れる必要があったのだが、わしは無駄に足がでかい。無題にでかいのは足だけではないが、とにかく足がでかい。
しかし、ケースが盛り上がってしまうと危険だし、何より撮影ができない。そこで、技師は少々無理な体制であっても足を入れるようにがんばる。
技師にそのように頑張られると、わしはより激しい痛みを感じてしまうのだが、それでも事故で足が機器の間に挟まることを考えると、そちらの方が遥に恐ろしい。
最終的には耐えるしか無いのである。その時間は30分。わしがうめき声を上げながら、いやな汗をかき続けたことは言うまでもない。
ちなみに、MRIについてはさらに違った種類の苦難があったのだが、それは次の機会に譲ろうと思う。
さて、検査の結果、血中の尿酸値が標準より高いことが分かったので、医師は「痛風」の可能性が高いと言った。贅沢もしてないのに、なぜ贅沢病と呼ばれる痛風にならなければならないのだろうか。同じことが贅肉にも言える。
ところで、血液検査の結果だけでそれは判断できない事から、患部から直接炎症作用のためにたまった「水」を抜いて検査をするという。検査結果は次回の通院時になったのだが、またしても「針」である。今日はなんて日なんだとわしが思ったのは言うまでもない。
奇妙なもので、足から採取した水の中には、尿酸がまったく含まれていなかった。なので、痛風になっていてもおかしくない状態ではあるものの、痛風ではないというワケのわからん結論に達した。
結局のところわしは、重度の関節炎の患者として治療を受けることになった。医師は入院をすすめたが、わしは断った。仕事の関係上、それはできない相談だったからだ。
今から考えれば、入院してりゃ、もっと早く治ったんぢゃね? とも思うが、今更それは言っても仕方がない。後のカーニバルである。
結局、今に至も完治しないものの、歩けるようにはなり、痛みも常時あるというわけでもなくなった。
しかし、痛みがなくなったわけではなく、治療中も痛みがひどくなって、夜中に一人うめき声をあげることも少なくなかった。
わしではなく、母親の健康状態の関係でこちらに戻って来ていた妹は、わしの不気味なうめきを耳にしたはずである。
なんとか良くなれば良いとは思っているが、現状は今より良くなりそうな気配は無い。今だってうっすら痛いのである。
とはいえ、痛みも減って、一人で歩けるようにもなったので、リハビリがてら少しは動かなければならない。
何せほぼ2ヶ月動くことができないような事態に陥ったのだ。太ったのも当然だが、全体的な体力・筋力が落ちてしまい、少々歩くのもしんどいくらいなのだ。何とも情けない話である。
こうして、人生史上MAXという太った状態になり、痛さのあまりゲ○吐いたり気絶したりといった経験をするハメになった負傷は、今現在も継続しているのであった。
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