シゲとけいこが(離れとはいえ)わしらと一緒に暮らすようになった経緯については、前回に述べておいた。
そしてそのために、実にあまりありがたくない変化が起こってしまった。沙織である。
この姪姉妹の長女が、はた目からは異様にも映るほどにわしになついていた事は、ここをご覧の諸兄諸姉方は良くご存知のはずだ。
やたらにわしにくっつく。やたらにわしについて来たがる。やたらにわしに世話を焼かせたがる。世話を焼くわしも悪いのかもしれないが(苦笑)
結局のところ、甘えてこられると基本甘やかしてしまう自分が情けない。
ところが、我が家の隣人でありわしの姉、つまり沙織と沙織の妹の恵美子の母親の友人、メグさんがうちに出入りしてくれるようになってから、ほんの少し事態は変わっていた。 というのが、隣家の麗人たるメグさんの忠告に従って自分の身の回りの事や家事などを自分でこなしていく内に、沙織にしても恵美子にしても以前ほどわしの後ろをついて回ることがなくなったのである。
つまり、生活においてわしに依存する事が少なくなったという事だ。
叔父としては一抹の寂しさを感じるものの、その事自体は大変に喜ばしい事だとわしは思う。
というのもいかに叔父と姪とはいえ、わしと沙織との年齢差はわずかに5歳だ。ちなみに、恵美子とは7際離れている。
歳の近い男女があまりに仲が良いように見えれば、誰しもその二人の間柄を疑うというものだ。
そしてまずい事に、わしと沙織は血縁関係のある叔父と姪のため、まかり間違えばシゲのエロ小説のネタのような事がリアルで起こってしまう事になる。
さすがにそれはまずかろうというものだ。
然るに、その懸念が遠のいた事は、わしの生活がほんの少しだけ平穏に近づいた事を意味する。
だが、シゲのある行動によってそのささやかな平穏は、再び久遠の彼方のごとく遠くへと去っていってしまったのだ。
突然だが、以前にも述べたが沙織は身内のひいき目を度外視してもかわいいし、背こそ低いがスタイルもなかなかに良い。
その沙織に、あろう事かシゲがセクハラをはたらいたというのだ。しかも、けいこが横にいたというのにである。
沙織が言うには、少なくとも三度は胸を触られたと言い、シゲは一度しか触っていないと言うが、この際一度も三度も同じことだ。
シゲによれば、あれの胸を触る事が目的というよりは、そうする事によって沙織が自分を見て、おびえてわしの後ろに隠れる様子がたまらなく萌えなのだと言う。
エロ作家というやつの思考の仕組みについては、わしのような凡人には到底理解できそうにない。
けいこはけいこで、シゲが自分のいる場所でも他の女の子にちょっかいを出すのは日常茶飯事なので、少しも気にかけていないのだそうだ。なんちゅうカップルだ。
けいこが言うには、シゲは結局自分のおっぱいに帰って来るのだから心配をしていないらしい。たいした惚気である。
それはそれで勝手にしやがれと思うのだが、おかげで沙織は以前にも増してわしにひっついて来るようになってしまった。
おまけに、その話を聞いた恵美子までもがわしの後ろについてくる。元の木阿弥である。
かくして、うつぶせに寝ころんで、愛読書であるかの名作時代小説『鬼○犯○帳』を読んでいるわしの背中に、沙織がのっかってくる。
のっかっているだけならわしが重いのを我慢すれば良いのだが(それにも限度というものがあるが)さらにそのままわしの上にうつぶせで寝転がる。はたから見れば亀の置物のようだ。
余談だが、よく置物の亀は三段に重なって、親亀、子亀、孫亀と言われるが、なんでもあのように重なるのは、日光浴をする際の亀の習性なのだそうで、別段その亀同士が親子だったり仲が良かったりするわけではないのだそうだ。案外世知辛い話である。
ところで、わしの上に乗っかっている亀は、ほどなくわしの背中で動かなくなり、その後暫くするとなんだか右肩に冷たい感触があるのをわしは感じた。
どうやら、わしの背中の上で寝てしまったようだ。ご丁寧によだれまでたらして。
こんな状況になった日にゃ、わしや某ハツカネズミと壮絶な追いかけっこを日々行っているアメリカの猫でなくても、その場で片ひじをついてむくれてしまうのは必定である。

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