わしは自分の手元にいくつか、分不相応なものを所持している。楽器もそうだ。服もそうだ。
そして、そのいくつかの自分にとっては有益かつ有用で大切な、他人から見ればくだらないただのガラクタに過ぎないものの中にその腕時計がある。
腕時計。普通それは移動中でも時間を確認することを目的としている。懐中時計の方が趣きがあるが(そしてわしも持っているが)利便性では腕時計に利があるというものだ。
腕時計にもいろいろあって、普通は電池式のクォーツ時計だったりするが、振動によって発電するものや、機械式の自動巻き上げなどもある。ソーラー電池のものも珍しくない。
わしのその腕時計はといえば、手巻き式である。ご存知であると思うが、一定の期間で自分でねじを巻かなければならない。
どうしてそんな不便なものを選んだのか。別に手巻きのものを好んで選んだのではない。気に入った時計がたまたまそうだっただけだ。
ムーブメントを購入するためになけなしの金をはたいたのではない。わしが欲しかったのは『その』腕時計だったのだ。
その時計を見るとき、わしの心は静かな喜びに満たされる。激しくはないが、ゆっくりと長くその感情の動きは起こる。
それは、そよ風が水面を撫でた時に起こるさざ波のように、ゆっくりと確実にわしの心に広がり、暖かいものをもたらす。
今もその腕時計を見ながら少し微笑んでいる自分に気がついた。はたらか見ればさぞ気色の悪いことだろう。ヲッサンが時計を見ながらニヤニヤしているのだから(つД‵)
その腕時計は、本来であればわしごとき輩が手にする事などできない代物だ。しかし、わしはこの分不相応な腕時計を、オークションを利用して分相応の値段で入手する事に成功した。
それは、この腕時計にとっては不幸であるかもしれない。自身の正当な評価による対価とは到底言い難いからだ。
また、逆に幸福であるとも言えるかもしれない。なぜなら、そのような価格でも手放して良いと考える人から、その時計を欲している人物(つまりわし)の元に来たのだから。
それは、実に美しい色に輝く古いLonginesである。