家に帰って色々と考えたが、この家はそもそも父方の祖父母の家だ。
ということは、母方の筋にあたる沙織や恵美子が住んで良くて、父方の筋のシゲが住んではいけないというのはおかしな話だ。
それに、わしの考えた通り離れに住んでもらいさえすれば、同じ敷地内ではあっても同じ屋根の下というわけではない。
なんとかそう説得すること三日目。ようやく姪ども(というか沙織)も折れてくれた。
で、実際に住む前にとりあえず外で皆で会おうという事で、広島市内の某レストランでわしと姪ども、シゲとその彼女の五人で食事をすることにした。
そして、そこでわしは、衝撃の再会をする事になるのだった。
シゲの連れてきた彼女は、実にシゲの好みとマッチしていた。
オレンジがかった腰のあたりまで伸びた長い栗色の髪。均整のとれたまゆ毛、豊かなまつげに大きな、深い色の瞳。美しい鼻筋にキュッとすぼまった唇。
ふくよかな胸ときちんとくびれたウェスト。そして、細すぎない、程よく丸みを帯びた白く美しい足。誰もがため息をつくような美しい女性だった。
シゲの好みにマッチするという事は、つまりわしの好みにもマッチするという事なのだが、彼女の顔立ちにわしは見覚えがあった。だが、とっさにはそれを思いだすことができない。
向こうも向こうでわしに見覚えがあるらしく、何か妙な顔をしてわしの方を見ている。
なんとも気まずい気分だった。お互いに相手の事を知っているはずなのに、思い出すことができないのだから。

「こちらが今、俺の世話になっている、園田けいこさん。」

とシゲがわしらに彼女を紹介した時に、わしは唐突に思い出したのだ。
なるほど。既に十年以上前の事なのだから、いささか肉付きが良くなっているが、それはまぎれもない『けいこ』の容姿である。
というのも、実はわしとけいこはその昔付き合っていたのだ。
それは、まだ最初の会社にわしが勤めていた頃の話だ。
あの日、出社前にクライアントの所へ行って資料をもらってこなければならなかったわしは、面倒だと思いつつ市内電車にゆられていた。
通勤時間帯の電車の中は当然込んでいて、始点から乗ったわしですら椅子に座ることができない。
憂うつな思いで吊革につかまっていると、なんと目の前にいる女子高生が、わしの股間に自分の尻を押し付けるようにして身を預けてくるではないか。

(なんだ?女子高生の恥女か?若いのにスキモノじゃの・・・)

とわしが思った途端、彼女はそのまま崩れ落ちるかのように倒れた。
すぐさまその子を抱き起こすと、わしは一瞬とまどってしまった。
かなり苦しそうに呼吸をしている姿は、酸欠などによる呼吸困難のようにも見えるが、車内で酸欠になるようであれば倒れるのは彼女だけではないはずだ。
そう思ったわしは急いで彼女を連れて電車を降りると、たまたまコンビニで買い物をした時についていたビニール袋を使って、彼女が吐きだした呼気をそのまま吸い込ませる行為を、間隔をあけつつ数度行った。
過呼吸における一般的な対処方法である。
すると、徐々に彼女の呼吸は落ち着き、すぐに元気になった。

「ありがとうございました。」

立ち上がってわしに礼を言ったその女子高生こそが園田けいこ本人だったのである。
おかげでわしは、クライアントの所に到着する事が遅れたことで、かなりこっぴどく会社の上の者に怒られた。
これが、わしと会社との間における最初の小さなわだかまりであった。
その後、ベタな展開ではあるがその事がきっかけで交際がスタートし、彼女が短大を卒業するまでの4年間付き合った。
その4年間というのは、わしの人生に於て最良の時間だったと言って良い。
その間にも、徐々に会社との間で小さないざこざやわだかまりが増えていったが、けいこと一緒にいるとその全てを忘れ、許してやることができたのだ。
あの当時ほど穏やかな気持ちになるような事は、きっとこの先ありはしないだろう。そう思えるほどに良い時期だったのだ。
短大卒業後、彼女は就職して上京し、しばらくは遠距離恋愛が続いていたのだが、どういうワケかそのままどちらからという事もなく音信不通となり、そしてお互い三十代になった今、まさに思いがけずも再会したのである。
お互いそれを思い出したものの、言い出すこともできずに、あまり話がはずまないまま食事会は続いていった。
この店は、広島市内でも味が良いことで有名なイタリアンの店で、色々なものを食べ、かつ飲んだのだが、わしはそれらの色も形も味さえも思い出せない。
そんな奇妙な、そして何となく気まずい時間だった。

$安田亜村の過ぎた日の喜びも悲しみも
初心者の始めての一本からプロユースの逸品までっ!