その日わしは、仕事のローテーションの関係で非番であった。
というのも、今わしは24時間稼働するPCサーバの面倒を見る仕事をしている。
PCサーバが24時間稼働なのは当たり前なのだが、ここのメンテナンス・チームは珍しく3チームの交代制で、今はどうか知らないが、昔の交番の勤務シフトに良く似ているのだ。
つまり『日勤・日勤・夜勤』の三交代制で、夜勤明けは非番になる。
ということは、どのチームに所属していようが四日に一度は休日が回ってくる。
この不景気のご時世では考えられない人件費の掛け方である。
変則的と言えばそうではあるが、さほど面倒でもない仕事で休みも多いとあっては、少々実入りが少なくても文句は言えない。そういう仕事である。
まあそんなわけで、たまたまわしが家でゴロゴロしていると玄関の呼び鈴が鳴った。おそらく恵美子が来たのだ。
無言で立ち上がって玄関に向かいドアを開けると、予想通り恵美子が予想通りの表情を浮かべて立っていた。
姉の沙織にさらに輪をかけたような低身長は相変わらずで、元々童顔なため見た目は服装を除けばほとんど小学生だ。
それでいて姉同様出るところはしっかり出ていて、くびれるべきところはしっかりくびれているのだから、そのテのマニアにはたまらない外見だろう。
姉とは違い、明るめの栗色をした長い髪を二つにまとめて、いわゆる『ツインテール』にしているあたりなど、まるでその手合の嗜好をそそるつもりだとしか思えない。
もっとも、わしが知るかぎり恵美子は十数年も前から全く同じ髪形をしているので、ここ数年言われはじめたそのテの連中の嗜好がどうのこうのというわけではないのだが。
絹糸のようなすべらかな肌と、姉と比べるとどこか落ち着きのある深い色合いの瞳。
そして、男の欲情をそそるかのような、やや厚めのぽってりとした唇。
身内のわしが言うのも何だが、黙って座っていればフランス人形のようにも見えるほどにかわいらしい。
もっとも、口数こそ少ないが案外言うことは辛辣で、わしなんぞも幾度となくその舌鋒によって打ち倒され、心に深い傷を負ったこともあった。

わしがこの時間にこの家にいるとは考えていなかったのだろう。
恵美子は予想通り、まさしく鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、暫しわしを見つめていた。
その目元がかすかに腫れているのを見てとったわしは

「つらかったの。まあ上がりんさい。」

とできるだけ優しく声をかけた。その途端、恵美子ははほとんど体をぶつけるようにして飛びついてきた。
・・・・・・痛い。
が、さらに痛いのはわしは恵美子のその行動を全く予想していなかったため、思いきり後ろに倒れ、後頭部を上がり框でしこたまにぶつけた。
その時の痛みは筆舌しがたい。
いわゆる『目から火が出る』などという言葉があるし、漫画でもしばしばキャラクターが頭をぶつけたりした時に、目から星が飛び出すような描写があるが、実際に自分の目前を星がよぎったのを見たのは人生でも初めてだ。
ようやく痛みがおさまり、恵美子を気づかうゆとりができたわしは、あらためて飛び込んできた恵美子を見た。
すると恵美子は、わしの(残念ながら豊満な)胸に顔を押し付け、声をかみ殺して泣いているではないか。
これは女の子の泣き方ではない。漢(おとこ)の慟哭である。
二十代半ばを少し過ぎたばかりの恵美子がこのような泣き方をするということは、わしが電話で聞いた以上に職場でくやしい思いをしたか、恥ずかしい思いをさせられたということだ。
また、その後の身の振り方についても不安で心細くて仕方がなかったのだろう。
なにせあの両親である。休職して帰って来る娘を、邪険には扱わんにしても、あまり居心地が良くはなかったに違いない。
わしにできる事と言ったら、そんな恵美子が泣きやむまで、というか気が済むまでそっと抱いてやることだけであった。
そして、しばらく後にいつもの通り我が家に入り浸っている恵美子の姉がやってきて、玄関先でちょっとした騒動になるのは想像に難くないことだろう。
こうして、意味不明の言葉でわめく小さめの姉をなだめすかし、そんなことにはかまわず無言で泣き続けるさらに小さめの妹をなぐさめながら、この後に起こる事態を想像もせずにわしは途方にくれるしかないのであった。

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