野郎を叩きのめして追い出すべく一階に降りて行ったわしは、玄関に立っている野郎を見てもう少しで吹き出すところだった。
開いたままのドアの近くに立つ野郎は、浅黒く痩せこけた貧相な体つきは相変わらずで、毛根をどれだけ痛めつけたのかというほど脱色を繰り返した髪の毛は、俗に言う馬面とあいまってまるでトウモロコシの髭である。
貧乏ったらしくこけた頬にやたらギョロギョロした目は、どこからどう見てもバイオレンス・アクション漫画のザコキャラである。
そして、注目すべきはその服装だった。
なんとその時の野郎の服装は、結婚前に挨拶と称して我が家に乗り込んできた時のそれと全く同じだったのだ。
さすがは「テトロン属ジャージ目ジャージ科」である。
ここまで一貫性があると、逆に見事なものだ。
うわ背はわしと同じくらい(約180cm)なのだそうだが、なんとも見栄えのしないヒョロ長い男である。ところで、ゴルフクラブ(アイアンと思われる)を手にした野郎のその表情は、二階から降りてきたわしを見るなり一変した。
いわゆる漫画の悪人顔で現れていたにもかかわらず、わしを見るなり驚愕の表情に変わったのである。
おそらく野郎は、沙織からわしが昔から武道を続けていた事を聞いていたのだろう。
あるいは、わしの持っている段位についても聞いていたのかもしれない。
夕方の、若干早いと言えるこの時間帯を狙って現れたのは、おそらく今時分であればわしは家にいないだろうとふんでいたのであろう。
そう考えれば、自分より弱い人間しかいない時間を狙って現れたこやつは、相当に狡猾かつ卑劣と言えなくもない。
だが、大変にお気の毒なことだがわしは今まさに家にいて、野郎の所業を聞いて激怒の炎を身の内に秘めているのだ。
もっとも、野郎のナリとツラを見て、腹の中で笑いが蠢いていたのも確かではあるが。

「久しぶりじゃのぉ。トモヒロだったかマサユキだったか知らんが。」

わしがそう声をかけた。できるだけ頑張って笑顔をつくったが、その目は笑うどころではなかったのは言うまでもない。

「ト・・・・トモユキだっ!!」

明らかに恐怖に震えた、情けなく裏返った声で野郎が叫ぶ。実に滑稽である。

「まあ何でもええがの。それでお前、その手にしとるもんでどうしよう言うんかいの?」

しかし野郎はそれには答えず、みじめなほどにガタガタ震えた腕で、なんとかゴルフクラブをわしに向けた構えたのである。
正直、こんな奴に本気で怒りを覚えた自分が少々情けなくなってきた。
わざわざ道具まで持ち出して我が家に暴れ込んで来るのであれば、最後まで突っ張り通すくらいの胆力を見せて欲しかったのだが。
しかし、だからこそ余計にムカっ腹のたってきたわしは

「ほほぉ。やる気か・・・・かかってこいやぁっ!!!」

と怒鳴りつけてやった。
腹の底から咆哮するかのようにして発したわしのその一言を聞いた奴のその後の動きは、笑いなくしては到底語れるものではない。
わしの一喝に完全にビビり上がった野郎は、なんとその場で飛び上がったのだ。
良く「飛び上がるほど驚いた」という言葉は聞くが、本当に飛び上がった人間を実際に見るのは初めてだ。
そして、飛び上がったはずみで野郎は玄関の鴨居(?)に頭をしたたかにぶつけた。
かなり痛そうな音が家中に響き渡る。
ゴルフクラブをその場に落として、ぶつけた頭を押さえてうずくまっていた野郎は、しばらくすると

「ヒギィヤァーーーーーーッ!!!」

という感じの、とても高等教育を受けた経験のある人間とは思えないようなワケの分からん悲鳴を残して、脱兎のごとく逃げ去ってしまった。
玄関に、我が家では全く無用なゴルフクラブを残して。
少し向こうで人が派手に転んだような音がしたが、後のことは良くはわからぬ。
わしは居間の扉のすき間から一部始終を覗き見し、笑いをかみ殺している母親に一声かけると、その母親のバカ笑いの声を背に聞きながら二階にあがった。
神妙な面持ちで部屋で待っている沙織に、とりあえず野郎を追い返したことを伝える。
沙織は礼を言うと、気遣わしげにわしを見た。
おそらく、玄関から聞こえたムダにハデな物音を聞いて、あれやこれや想像したのだろう。

「心配すんな。あれが勝手に暴れて、勝手に痛い目見て、勝手に逃げていっただけじゃ。」

わしのこの言葉を聞いてほっとしたのだろう。
沙織はここへ来て初めて笑顔を見せると、最初に会った時と同様に体をぶつけるようにしてわしに飛びついてきた。
受け止めて背中をなでてやると小さく震えている。
おそらく泣いているのだろう。
わしはそんな沙織が泣きやむまで、ずっと抱きしめていた。
家の電話のベルがやかましく鳴るのを聞きながら。

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