予告編動画あります。今回の感・想・文は「ストーリー」の後にあります。
【スタッフ&キャスト】
監督・脚本・編集/是枝裕和
撮影監督/リー・ピンピン
美術監督/種田陽平
照明/尾下栄冶
原作/業田良家 「ゴーダ哲学堂 空気人形」 「自虐の詩」
出演/ペ・ドゥナ/ARATA/板尾創路/岩松了/余貴美子/寺嶋進/星野真理/オダギリ ジョー/柄本佑/奈良木美羽/丸山智己/富司純子/高橋昌也
【ストーリー】
川沿いの寂しげな小さな町。古びたアパートで持ち主である秀雄(板尾創路)と暮らす空気人形(ペ・ドゥナ)は、空っぽな誰かの「代用品」。
ファミレスで働く秀雄は、食事は2人分用意し、夜になると人形と一緒に風呂に入り、ベッドでプラネタリウムを見ながら語りかけ、同じ布団で眠りにつく。
雨上がりのある朝、身支度をする秀雄の傍らで、人形は一度だけ瞬きをした。
秀雄が出かけると、半透明の身体に日差しを受けて、ゆっくりと立ち上がり、少しずつ窓際へと向かう。
アパートの軒から垂れる雫に指先で触れると、「キ……レ……イ……」と呟いた。
メイド服を着て、おぼつかない足取りで町にでた空気人形は、いろいろな人に出会っていく。
戻らぬ母親の帰りを待つ小学生・萌(奈良木美羽)とその父親・真冶(丸山智己)。
ニュースで見る事件を全て自分が犯人だと警察に名乗り出る元印刷会社経営者夫人・千代子(富司純子)。
毎日毎日、千代子の相手をしている交番のおまわりさん・轟(寺嶋進)。
フラフラと町に出ては、大量の食料を買いこむ過食症のOL・美紀(星野真理)。
老いを受け入れられず、執拗に若さを求め続ける会社受付嬢・佳子(余貴美子)。
迫りくる死の訪れを感じている元高校国語教師の敬一(高橋昌也)。
皆どこか心に空虚を持つ、東京の住人たち。
その日、人形が最後に出会ったのは、レンタルビデオ店で働く純一(ARATA)だった。
カウンター越しに目が合う二人。人形の瞳に、お店の灯りが反射してキラキラと輝く。
純一の背後には「アルバイト募集」と書かれた紙が貼られていた。
レンタルビデオ店でアルバイトを始めた空気人形は、純一の心の中にどこか自分と同じ空虚感を感じつつ、日に日に惹かれていく。
店長の鮫洲(岩松了)は、リストラされ家族から見放された寂しい中年男だが、憎めない人柄。
常連客の浪人生・透(柄本佑)は、DVDを探すふりをしてメイド服姿の人形を目で追っている。
普通に見えて、どこか空虚な人間たちがここにも集まっていた。
ある日、店長が人形に質問した。
「彼氏とかいるの?好きな男…いるんでしょ?」
「いいえ…」
人形が生まれて初めてついた嘘。
心を持ったから、ついた嘘だった。
少しずつ純一から映画の知識を得、仕事にも慣れてきたある日、人形はバランスを崩して棚から飛び出たクギに手をひっかけてしまう。
手首が裂け、人形の身体から勢いよく吹き出す空気に驚いた純一だったが、「見ないで…」という人形の言葉を遮るように、お腹の空気穴から何度も息を吹き込んだ。
「もう…大丈夫だから…」
息を荒げた純一が、空気人形を抱き寄せる。
高揚する空気人形。
誰もいないビデオ屋の床で、いつまでも抱き合う二人。
人形は感じたことのない気持ちで満たされる。
愛する人の息で満たされ、今までにない幸福感に包まれる空気人形。
人形はついに秀雄の元から離れる決意をするのだが──
(公式サイトより)
「心があることは…」 感・想・文・FRAGILE
是枝監督作品はほとんど見ているんですが、やはり素晴らしい監督だと再認識させられました。
おそらくこの作品は、気持ち悪いと感じる人もいるかもしれない。物語に入るのに抵抗を感じる人もいるだろう。
でも、ひとりひとりの見えない部分を感じてほしいと思う。
空気を感じるように。息や呼吸を感じるように、風を感じるように…
性欲処理の代用品である空気人形に心が芽生えたら…。
この視点から心とは何か、生きるとは何か、死とは何か、セックスとは何か、愛とは何か、人と人の関係性とは何かを「空気人形」という作品は描く。
心を獲得した人形と心を喪失した人間の対比から浮かび上がるものは、現代社会を生きる私たちの孤独で空虚な心であり、人と人が関係することの喜びと悲しみだろう。
自分で自分を満たそうとしている人間と人に満たされたいと思う人形。
人形はこの世界で綺麗と醜いを知る。光と影を知る。代わりのいない存在と代用品という二面性を知る。
空気という見えないけど存在するものが、この世界を満たしていることを知る。
それは、同時に見えないけど存在するさまざまなものが、この世界を支えていることを示唆する。
空気があるのに窒息しそうな閉塞感を生きる現代人。
心があるのに心のない生き方や空虚な関係性を生きる現代人。
その孤独と渇望が詩的なファンタジーの中で見えてくる。
是枝監督は、映画のキーワードを男女別にあげる。
女性は空虚と欠落。男性は倒錯と疑似。
心の空虚感を食べ物で埋めようとする女。食べ物を食べられない空気人形。
老いを受け入れられない女。老いは自然なものと嬉しそうに受け入れる空気人形。
社会とのつながりを強迫的に求める女。目の前の人と自然につながる空気人形。
さまざまな対比から、喪失した人と人との関係性が見えてくる。
空気人形の持ち主である秀雄は、終盤に心を持った空気人形と出くわし、人は面倒くさいから人形にしたのに…と語る。
僕も記事の中で書いてきたように、似たような認識を持っていたため、リアリティを感じたし、胸がしめつけられた。
人は面倒くさい。思い通りにはいかないし、感情的で不合理な生きものだ。
その面倒くささに愛が生まれ、憎しみが生まれ、喜びや悲しみが生まれる。
それが人を支える物語になる。
その愛や物語が、心を潤し満たした記憶を人は忘れられない。
失くした愛や物語によってできてしまった空虚を、人は代用品を使って自分自身で埋めようとする。
自分自身で完結しようとする。そこに他者はおらず、他者がいても他者としては見ていない。
記憶の中の誰かを投影しているにすぎない。自分の物語を押しつけようとすることと変わりない。
相手の物語を見ようとしないことは、代用品と言っていることと変わりない。
空気人形は性欲処理の代用品であり、忘れられない人の代用品。
心を持った空気人形が、自分が出来ることは代用品として振る舞うだけだとわかっているから、心がないかのように好きでもない男たちの忘れられない女として、性欲処理の道具として無表情に抱かれる姿は痛々しく悲しい。
それと同時に、この空気人形のように抱き合う関係はあふれているだろうとも思った。
代用品として社会で働き、代用品として恋愛をして、代用品としてセックスをする。
人と人の関係性もネット世界のようにいたる所につながれるようになることで、裏を返せば、ここじゃなくても、この人じゃなくてもという思いを拭えなくなっている。
慌ただしく生き急ぐことで他者を見ずに、心を喪失し、どこに行くのか?
心をなくしてしまえば、人形は燃えないごみで、人間は燃えるごみとして死ぬ。
心を持った空気人形が行きつく場所は…
満たされない心を満たされた記憶。
満たされた幸福感をもう一度味わいたいという想いで生きていることは、相手を代用品として見ていることとどう違うのか。
満たされた記憶があるから、満たされないことで空虚になる。
あの頃を取り戻そうとするから空虚になる。
戻らないものを追い求めるから空虚になる。
心を見ないふりをするから空虚になる。
誰とも触れ合わないから空虚になる。
自分だけで満たそうとばかりすれば空虚になる。
新しい関係をつくることから逃げれば空虚になる。
面倒くさいことから逃げれば空虚になる。
見えないけど存在する空気。見えないけど存在する風。見えないけど存在する息。見えないけど存在する心。
そうした見えないものによって生かされている存在である命あるもの。
人は見えない所で孤独や醜さ弱さをさらけ出す。
見える所では明るく笑顔で人のためと強迫的に神経を尖らせる。
求められる自分とは、誰かの物語を演じる自分。
その中で人は暮らし、自分の物語を見失い、心を失う。
残るものが美化された記憶だけならば、あまりに悲しすぎる。
ここにいる私を見ようとしないあなたには、あなたの望む私しか見せないだけのこと…
あなたの知らない私がいることを知ろうとせず、知らないまま…
世界が続くならば、終わりは近いだろう。
人は容易くエゴに溺れる。自分の心ばかりを見つめ、人の心を見ようとしない。
見えるものばかりに気を取られ、見えないものを感じる目は鈍り、自分のさみしさばかりを口にする。
孤独を抱え生きる人間は、人との繋がりで心を満たしたいと願う。
愛する人に満たされたいと願う。
世界に触れ、命あるものに触れる中で、想いと想いが出会うことが、関係を持つことであり、その関係の中で芽生えるものが心なのかもしれない。
心があることで、人に満たされることを幸せと感じ、心があるから満たされた記憶にしがみつく。
心があるから嘘をつき、心があるから傷つき傷つけ、心があるから幻想を抱く。
心があるから喜び悲しみ、心があるから愛を憎しみを知る。
そして、心があることは、切ないことだと気付く。
映画の中で元高校国語教師の敬一が、空気人形に教えた詩を紹介して終わります。
「生命は」 吉野弘
生命は
自分自身で完結できないように つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫が風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに 欠如を満たすなどは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときにうとましくおもうことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私もあるとき誰かのための虻だったろう
あなたも
あるとき
私のための風だったかもしれない
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