予告編&主題歌の安室奈美恵「The Meaning Of Us」聴けます。
女たちは二度遊ぶ
愛されるより、忘れられない女になる
監督:行定勲×原作:吉田修一
「どしゃぶりの女」 相武紗季/柏原崇
その女とは、飲み会で一晩きりのつもりだった。どしゃぶりの雨模様となった翌朝、彼女を部屋から追い出すために遠回しに言った「雨が上がるまでいれば」という一言。
これが彼女と付き合うきっかけになるなんて、その時はまったく思わなかった。
雨はその日から三日も降り続くことになったのだ。
男は、炊事、掃除はおろか、てんこ盛りになった灰皿の吸殻さえ捨てないような何もしない女を愛おしく思い始めていたが…
「自己破産の女」 水川あさみ/高良健吾
友人と二人で入った居酒屋で、泥酔状態でからんできた一人客の女。
その女、真理とは、店を出たあとにホテルに入り、翌日から一緒に暮らし始めた。
そのとき求職中の身で、時間だけはたっぷりあった男は、何をするにも、どこにいくにも、彼女と一緒だった。
その間の生活費は、消費者金融に就職した先輩のノルマに協力するために以前つくった一枚のカードに頼りきり。一万と二万と、気楽な気持ちで引き出していったが…。
「夢の女」 小雪/小柳友
駅で遭遇した目を見張るような美しい女。彼女はいったいどんな女なんだろう。
引き寄せられるように、後をつけていった。
彼女が入ったのは、その外見のイメージとはほど遠い古い木造のアパート。
男は見てはいけないものを見てしまった気がして後悔した。
その数日後、電車の中で女と再会した男は思わず声をかけ、バイト先の居酒屋へ招待する。
しかし、彼女は現れない。男は待ちわびるうちに、現実と夢の狭間へと迷い込み…。
「平日公休の女」 優香/塚本高史
友だちの家で彼女と出会い、付き合い始めた。デパートの化粧品売り場に勤めている彼女の公休日は、木曜日。彼女は水曜の夜、男の家に泊まるようになった。彼女は気前のいい女で、食事代をよく出してくれる。なのに男は、かつてつきあっていた恋人を忘れられない。結局その恋人からよりを戻そうと持ちかけられ、彼女をふってしまう。
最後、彼女から「別れて良かったと思えるぐらいひどいことをしてよ」と言われた男は…。
「つまらない女」 長谷川京子/ユースケ・サンタマリア
喫茶店で悶々としながら物語を紡ぐ小説家。
偶然い合せた常連客たちの物語を書いてきたが、限界を迎えた彼に編集者が「自分のことを書いてください」と提案する。小説家はさらに苦悩する。なぜなら彼の女は、「つまらない女」だからだ。
交際6年、一緒に暮らして夫婦同然の関係。何も起こらない日常の中、物語になるようなエピソードは何もない。
思い詰めた小説家は、彼女に別れてほしいと切りだし、彼女は家を出ていくが…。
(注:「つまらない女」は原作にはないオリジナル)
男と女について 感・想・文・FRAGILE
過去の恋愛に対する見方の男女の違いを表した言葉で「男は別フォルダ保存、女は上書き保存する」というものがある。
男は同時に複数の人を想えるが、女は常にひとりを想うもの。男は未練たらたら、女はきっぱりと切り替えていく。そんな意味だろうか。
また、免疫学者の多田富雄はこんなことを言っている。
「男は現象、女は存在である」
「男は女の加工品である」
僕なりにいえば、男はフィクション、女はノンフィクション。
もっといえば、男は頭で生きていて、女は身体で生きている。
だから、男は言葉に縛られ観念的で、理屈っぽい。
女は言葉から自由で、直感的で感情的。
それは、男は女によって現実を知り、女は男によって夢を見るともいえる。
男女は違う。
違うからこそ惹かれあい、恋をする。
違うからこそ、知りたいと思い、わかりあいたいと思う。
男が頭で生きているということを発展させると、頭の中では時間からも空間からも自由だ。だから、断念がない。
女が身体で生きているということは、身体は変化の連続で、時間にも空間にも縛られやすい。それは断念の連続ともいえる。
人は断念によって成長し大人になるならば、男は大人になれないってことかもしれない(笑)
男はいつまでも同じところにいて、全てのことを捨てずに取っておき、断念ゆえの成長はしにくく、女はどんどん捨てていき前へと進み断念ゆえの成長をしていく。
男は断念を知らずいつまでも子供で、女は断念をくり返し、あっという間に大人になる。
前にも書いたけど(ヴァージン・スーサイズの記事)、そこに断念によっての気付きへのタイムラグがある。そこに男と女のすれ違いがあり、だからこそ、わずかでも分かち合えたりすることが愛おしかったりもする。
「女たちは二度遊ぶ」に出てくる男女は自由に見える。
いや、本当は、若さゆえにまだ社会的に何者でもなくて、無知だったりもして、不自由な存在だ。
だけど、社会的に不自由だったからこそ、振り返ると、社会から自由でいられた「あの頃」が愛おしく感じる。
何者でもなかったからこそ、無責任だったし、バカもやれたし、人を傷つけもしたし、大風呂敷を広げられた「あの頃」。
そんな不自由で自由だった時期に、束の間でも心を通わせ、すれ違っていってしまった恋は、とりわけ忘れられない。
なかなか断念できない夢見る男。いつも男の先を歩いている現実的な女。
女からすれば男の気付きはいつも遅い。頭で生きている男と身体で生きている女の気付きの違いは、男を未練がましく見せ、女を切り替え上手に見せるようにも感じる。
いろいろ書いたけど、こんな風に明確に男女で分かれるなんて思ってない(笑)
現実はもっと多様で複雑だ。
そんな現実の舞台でそれぞれの男女のストーリが生まれる。
「女たちは二度遊ぶ」には5つのストーリーがあるけど、どのストーリーも誰もが通ったであろう道を思い出させてくれるはずだ。
出会って別れるまでに女は一度遊び、男の記憶の中でもう一度遊ぶ。(断念できにくい男の中の女の記憶)
「女たちは二度遊ぶ」というタイトルにはそういう意味があるのだろう。
そして、社会から自由だった頃=遊んでた頃から社会に溶け込んでいき、遊びを断念していく中で、男は女があの頃抱えていたものの大きさを知り、記憶の中で遅れて切ない気付きに至る。
ベタに遊んでいた男と、あえて遊んでいた女。その男の鈍さによるズレが、ズレを男が埋める過程でもう一度女に翻弄され、気付けなかったことを思い知ることで、男には女が二度遊ぶように映る。
考えてみれば、恋は人の心を社会から自由にしてくれる遊びともいえる。遊びというと怒られそうだけど(笑)
真剣で夢中に人を好きになる遊び。自分の感情に弄ばれる遊戯。
人はたくさんのことを恋に限らず、さまざまな遊び=社会の外側から学んでいく。
遊びにこそ、人の本質は潜む。恋が人を成長させるのもそのせいだろう。
忘れられない遊びの数だけ、社会の中で断念を知り、成長して大人になる。
とはいえ、いろんなことを知って気付いて、昔のようにバカはできなくなりながらも、相変わらず子供でバカなまま歳だけとっていく気がする。とくに男は…。
そして、女はそんな男に断念した過去の自分を重ね見て、「どうしようもないバカね」と言いながらも優しく微笑んでいたりする。その微笑みの意味を男は遅れて気付く…。
男と女についてはいろいろ書きたいことだらけで、うまいことまとめられませんでした(泣)
終わります。
「どしゃぶりの女」と「平日公休の女」はとくによかった。オリジナルの「つまらない女」もいいです。
是非ご覧あれ。
