雪化粧さんからのマメ知識です!


一昨日10日ぶりに東京へ戻ってパソコン環境になっているのでまとめて書込みします。

まず、「坂本冬美さんって、そーゆーお方なんだなぁ」と思ったことがあったので忘れないように書いておこうっと。

2日目の公演だったと思いますが、ステージにENKAコーナーで纏っていたストールから抜けた羽根が3枚くらい落ちていて、それに気付いた冬美ちゃんは「こういうのが気になるところがオバチャンなんだなぁ」と言いながら拾い上げ、「後でまたつけといてもらおうっと」と笑いながら歌に入られました。
冬美ちゃんの几帳面さと自分の仕事場であるステージにゴミが落ちているのを許さないプロとしての厳しさが垣間見えたうえにお客様をクスッと笑わせるユーモア、「あぁ、冬美ちゃんのこういうとこ大好きなんだよなぁ」とひとりで悦に入っておりました。

以下、別件ですが、皆さんの書込みを読んで書いときたかったことがいくつかあったので順不同で・・。
(冬美ちゃんのことというより、マメ知識的なものもあります。興味ない方はスルーしてください。)

・りんさんが気にしていた「新聞記事」について
結論からいうとこの記事は直接はストーリーには関係ありません。
黒塗りの馬車に連れ去られたという「戸田伯爵夫人」というのは「鹿鳴館の華」と言われていた「戸田極子(とだきわこ)」さんという実在の人物。たいへんな美人で英語やダンスも堪能だったらしい。
(五百円硬貨ができるまで流通していた五百円札の肖像、岩倉具視卿の令嬢でバリバリの貴族)
たぶん、お芝居中の紅林千秋さんが「鹿鳴館の花」と言われていたので、そのモデルはこの人ですよ、ということなのではないでしょうか。
当時、実際に行われた仮装舞踏会の際に時の総理大臣の伊藤博文がこの方に手を出したというウワサが立ったのを新聞記事の形でお芝居にしたということだと思います。
ちなみに鹿鳴館の「鹿鳴」というのは中国古典の言葉で「おもてなし」という意味だそう。
だから劇中で「お・も・て・な・し おもてなし」と東京五輪誘致で滝川クリステルがやったのをマネしているんでしょうね。
「鹿鳴館」て誰でも聞いたことがあり有名ですが、実際におもてなしの場として使われたのはたったの足かけ5年だけ。
鹿鳴館建設と欧化政策を推進した当時の井上馨外務卿が不平等条約改正に失敗して失脚してしまい、こんなことをしても無駄だと払下げられてしまったのだそうです。
このことも劇中で「『ほんなら不平等条約改正しまひょか』なんてアホな外国人がおりまっか」というセリフで触れていますよね。

・「まつだいら おおいのかみ よりのり」について
漢字で書くと、松平 大炊頭 頼徳。常陸国(今の茨城県)宍戸藩の藩主として実在した方です。
水戸天狗党の乱の鎮圧に失敗し、その責任を取らされて切腹のうえ、改易、領地召し上げとなっています。
江戸時代最後の切腹改易となった大名として有名な方で、詳細はわかりませんが、劇中の冬美ちゃんのセリフ通り「故なき汚名を着せられてお腹を召された」方なんだそうです。
その証拠に、ご本人は名誉を回復されることはありませんでしたが、明治の世になってから廃藩置県の前に領地は回復され頼徳公の弟が藩主となり、後に爵位を授かっています。

・えみちゃんが書き込んでいた、冬美ちゃん噛み噛みデーについて
この日の冬美ちゃんの噛み噛みで一番かわいくて印象に残っているのは「あっぱれ そーれ」の練習のところ。
2階3階だけの練習をした後に「それではもう一度『全体で』・・」というところを「でんたいで」って言ってしまい、「でんたいだって。和歌山弁がでちゃった。ザ行は苦手なんですぅ」とザジズゼゾがダヂヅデド」になってしまう和歌山弁に触れて照れながら笑っていました。
たぶん冬美ちゃんが言い直さなければ誰も気付かなかったと思うんですが、これを言い直すのが几帳面な冬美ちゃんなんだなぁ。可愛かったぁ。

・りんさんが書き込んでいた、愛ちゃんの言い間違いへの突っ込みについて
確か新曲の雨の空港の話の時で、愛ちゃんが「ここのところ『コブシ』が効いたご当地ソングが続いていたんですが・・・」というところを「コブス」と言ってしまい、ここを突っ込んだんだと思いますが、違ったかな?

以上、長文・乱文にて失礼しました。また何か思いだしたら書込みします。

明日(もう今日)は大阪へ帰りまーす!!