るなとweb上で再会してからソフト部な頃を思い出す機会が目白押し。
中学・高校と「ごきげんよう」の女子校で6年間ソフト部にいたのだ。
学校に行ってたというより部活にいってた感じだったなぁ。
ソフトボール部に入ったのは、男の子が欲しかったパパちゃんが、オイラが女の子に生まれちゃった(上二人おねえちゃんがいるのだ)から残念がって、男の子のように育ててくれちゃったから。
中学で部活を選ぶときに「野球か柔道」という二択だったのだ。
女子校だから両方なかったんだけど、一応野球に近いってことでソフトボールにしたんだと思う。
ちっちゃいころからボール遊びは好きだったし、小学生の頃も少年野球チームに何度も誘われてた(笑
女の子は本当にボール投げたことない子や、グローブを右手にはめちゃうなんて子もいて、一歩リードした状態からスタートできたのですぐにレギュラーになれた。
先輩・後輩はそれなりの体育会系だったけど、そんなことも楽しかった気がする。
今でも言うこともやることもキツイけど、あの頃はもっともっとストレートだったから同級生ともよくケンカして険悪になったし、泣かれたこともあったけど、一緒に笑うことのほうがはるかに多い生活だったと思う。
最初はサードを守って、中二からはキャッチャー。
一年先輩のチームのキャッチャーがイジメられてやめちゃってレギュラーのポジションがあいてたからだと思う。
ずっと自分の性格はピッチャー向きだし、花形でしょ。と思ってたから不満だったけど、今考えるとどうしたって私はキャッチャータイプだったんだと思う。
中学のときの顧問はすごく嫌いで、今でもやっぱりキライ(笑
言われてムカついたことなんかいくらでもあるけど、イチバンムカついたのは
「お前は怒られ役だから怒鳴られても仕方ない」って内容かな。
そんな役ね~っつ~んだよ!って。
贔屓もひどかったし、私があれだけ嫌ってたんだから向こうだって嫌いだったと思う。生意気だったし。
今考えたら、あの当時顧問は27歳とかそんなもん。
学生の頃は教師は特別な職業だと思っていたけど、大学で教職を選択してりゃ誰でもなれるただの職業のひとつなんだから、人格的に尊敬できる人が教師になっているなんて、ぜったにないことだわな。
今の私よりもよっぽど未熟な教師が、わけわかんないことばっかり言って生徒と衝突するんだから、そりゃ毎日刺激的だわな。
中学三年で部活を辞めようと顧問に言いに言ったら「克己」という文字を書かれて、「この文字が読めるか?」って聞かれた。
私は素直に「読めません!」すると顧問は「そ、そうか。」と自分が今書いた文字を机の中にしまっていた。
そのあとも、「困難にぶつかったらお前はなんでも投げ出すのか。」的なことを言われたけど、「いや、そーゆーことじゃなくて、中学と高校には区切りがあるから、途中でやめるとは思ってないし嫌でやめるわけでもないから・・・」って言ってねぇ。
結局何故か6年やったけど、引き止めるのも下手くそなやつだなぁ。とバカにしたもんだ。
うちらの学年はきっと生意気揃いで、先輩たちはきっと相当いやな思いをしたんだと思う。
高校二年になったとき、ずっと下手だったひとつ上の先輩が補欠で、私がレギュラーだった。
そんな光景もいつものことだったし、試合なんだから上手いほうが出るのが当然だと思ってた。
だけど、キャッチャー道具(プロテクター)を急いでつけるときに、膝まづいて私の足にレガースを一生懸命つけてくれて「頑張って」と声をかけてもらったときに、チームのために尽くし、自分が下手なことも自覚し、だけどチームが勝つための力になろうとしているその人の心に打たれた。(石井さんね。)
なんか、実力なんて一流チームなわけじゃないし、プロ目指してるわけでもなけりゃ体力と運動神経がいい人が「デキル」ことになっちゃうもんね。部活レベルにもよるんだろうけど。
だけど、そんなことに参加することで学べることはソフトボールのやり方じゃなくて、人として・・・仲間とは・・・上下関係って・・・みたいにその後とても役に立つことだったんだと今は思う。
ママちゃんも、パパちゃんも中学では絶対に体育会系の部活に入ることを義務としていたんだけど、(実際三姉妹とも一応体育会系)きっと私も自分に子供がいればそうさせていると思う。体育会系上下関係バンザイ。
ここ何年か草野球にたまにいくけど、そこで教わる技術的なことを、あの中学・高校6年間に教えてくれる人がいたら、どんなに上手にプレーできたんだろう?って思う。私、すごく野球が下手くそ。
でもチームのモチベーションだったり、各選手の考えることイライラしてること、やるべきことなんかはすごくよくわかる。
あのとき、試合には出ずにベンチにいた先輩は、きっと悔しかったかもしれないけど、楽しかったからあの場にいたのかなぁ。とか思ったね~。
まぁ、昔話でした。