最後の最後。 | myouなshigsa

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3ピースロックバンド、「sigsa」のVo&Gu 山峨喜貴のコラム

「最後の仕草。」

四角に作られた壁に囲まれて、遠い昔のように思えてた建造物の中で思うよ。

怠惰のなかったはずの生活を横目に見て、つい最近の事を思い出すつもりが子供の頃の口癖が浮かんでしまう。

生活のグラフを作って無鉄砲な分析をして、実に一貫性がなかったことに気づいた。

あの日、決断を誤っていたら、
こんな事をまだ繰り返していたんだろうと。
只、それを知ってしまうのはあまりにも残酷で。
一生モノだって大事にしてた物は寒い部屋の奥に眠って、
誇りを被ったまま形を保ってる。

つまりこういうこと。

一貫性こそ生活に欠かせない。

一貫性こそが通常の思考を作ってくれる。

明日がきて。
なんとなく覚えてる。
来年になって。
今日のことは忘れる。

それを繰り返していければ、
年齢が思いを置いてけぼりにしてくれる。

誰もそうやって生きてる。
いや、そんなこと考えてねーか。

神社の鳥居の奥でペンと紙。
馬鹿な心理遊びに気を荒げて、
いもしない何かに戯けてる。

そんな時たまに泣き出す奴とかがいて。
反省させてくれたのが功を奏したから、今も繋がった。

許してくれない人がいてくれたことに感謝してる。
忘れないで恨んでてくれたことを感謝してる。

そうでもしなきゃ学べなかった。
脳がないから。

みんながずっと幼い頃に当たり前に通ってきたとこに、いまやっとたどり着いたよ。
こんなに時間がかかるなんて思わなかったし、笑い飛ばしてきたことを反省してる。

もう捻くれないでいれる気もする。無理だけど。

生まれた時から一緒だった人がこの前いなくなったよ。
単純に間が刺したかららしいけど。

しかも、そんな悲しくなかった。

同じようにしてた人の初めて見せた表情が刺さった。
俺がやってきたことの愚かさを知った。

ある意味の勇敢さを。

俺は、ていうか僕はかな?
俺としての能力が麻痺したらしい。
よりドラマチックに出来なくなってきてしまった。

後、どのくらいかわからないけど、

もうすぐアイツが死にます。

いま、虫の息ってやつなんだ。

蘇生運動はさせません。


だからこれからは、
もう方角は変えません。


って、
思えた1年が終わったね。



いままでありがとうございました。

次は文章じゃなくて、
しっかり会えるといいなー。

それじゃあ。
バイバイ、


やまが。




ブログの方だけもう1つ。

長く続けられなかったこと、
残念。

以上。