小心に傷心を狂う仕草。 | myouなshigsa

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3ピースロックバンド、「sigsa」のVo&Gu 山峨喜貴のコラム

「小心に傷心を狂う仕草。」


寒いね。


はい、どーも、元気っすか?


風邪引いたりしてないですか?仕事してますか?学校いってますか?子育て大変ですか?楽しくできてますか?


すっかりサボっちまって、

もともと波のない海に風もふかないような状態で。


動かないままってのもいいかもと思ってもいたけど、やっぱ気になってしょうがない。やる気が徐々に上がってます。


なんか無性に楽器を持った人に会いたいね、メンバー元気かね。



まあいいや、それは置いといて。



悩まずに生きるってのは難しい事で、人それぞれ考える事がある。

自分に出来ることと出来ないことが計算できていて、直面しても挑戦することができない。


人は皆チャレンジャーとはよく言ったもの。


挑戦することから可能性が生まれる、挑戦しなきゃそれはゼロのまま。


なんでもやらなきゃ損ってこと。


だけど、


モラルは違う。


これはやって良い事、これは悪いこと。

この正解か不正解はひとによって。


ただ自分のモラルがあまりに甘くても、侍魂のようにガッチガチでも、極端すぎるのは良くないなとここ最近は思ってたわけで。


まあ言い訳くさいけど。


自分はこうであるべきだっていう固定概念とそれを極めるための方法論だけ磨いてやってきたのに、


一人になる事への恐怖と一般的なモラルが自分を大きくするため必要なんじゃないかといままで守ってきたものを捨ててみた。


とりあえず挑戦、やってみなきゃわからない。


もちろん強くなったと思うし、楽しいことやワクワクすることが世の中沢山あったんで、別に悔いてるわけじゃない。


ただ、自分のモラルの崩壊ってのは予想以上に自分以上の能力が必要なるということ。


結果「人間」としてやってはいけないと言い聞かせてきたことも年々簡単にやるようになっている。


もちろんここで言う「人間」という自己概念は正解なわけではないんだけど、そもそも正解なんてないか。


歳をとるにつれて「自分以上」にならなきゃいけない機会が増えてる。


死ぬ間際に子供の頃とか今に大事に守ってきたモラルはどんなズタボロになってんのかと思うと憂鬱。


でもそれが怖いから愛しくなるわけですよ、自分のことがね。


お硬いねと言われようがつまらない人だと思われようが、

これまで大事に守ってきたことを蔑ろにすることはない。


ま、子供じゃないんだからそれなりには崩れてくけど、

芯だけは中身空っぽになっても垂直に立ててたいね。


「なんでこんな楽しいことに今まで気付けなかったんだ!」

って悔んだこともあったけど、


今の今まで自分を守ろうとしてきた自分を誇りに思うぜ。


ははは、、笑。


ま、共に生きよう。



ありがとう。


最後に山梨の戸田うどん。




やまが。