山梨旅行記その3です。
山梨と言えばやっぱりコイツに会わないままじゃ帰れない。
イエス、マウント富士。
久しぶりのご対面ですが、やっぱでかいな~、、
子供の頃に何度か眺めたこともあるし、八合目までは登ったこともあるんですが、何度見てもその雄大な姿に圧倒される。
単純に領の一部にすらなりえるくらい巨大なその全貌をみるのに、自分があまりにも小さいが故にこれだけの距離を離れなければ対面できないってことにすごく無力感を感じるというか、、
なんと言うか、、
小さいって言うのは体もそうなんだけども、それとは違う部分も含め見つめなおした「自分」って概念です。
簡単に言えば富士からも存在確認する必要がないくらい特に害もなく、富もない存在だな~と。
「え?なに?お前富士山に勝とうとしてんの?怖いんだけど笑」
て思うでしょ?笑
ちなみにこれだけは言っとく。
俺は富士に勝とうとしてるぜ!
あったりまえだろ!滅茶苦茶敵対意識燃やしてるわ!笑
まったく生意気にも俺の前にそびえ立ちやがって!
長い間見に来なかったのは別に今まで逃げてきたわけじゃないぜ?
いつでも挑める状態だけど、お前がでかすぎるせいで挑み方が分からなかっただけで、、
………。
誰でも経験あると思うんだけど、子供の頃、なにか意図とは違うことで物を壊しちゃったりして、怒る大人になんとか言い訳しようとするんだけどうまく伝えられなかった、みたいな事。
頭の中ではちゃんとした理論ができてるのに、言葉にできなかったり、怒られた事に圧倒されて泣き出しちゃったりとか。
この前書いた、「距離」もそうだね、遠くに行きたくても幼すぎていけなかったとか。
このどうしようもない無力感。
富士を見て感じる「無力」ってのは、子供のときに感じた「無力」に似ていて、凄くなつかしい。
この無力が大人になりたいっていう感情が生む。
で、22年も生きてきた訳で。
つまり無力だからこそ、大きくなりたいと思えるわけよ!
富士山はこうやってわけわからん人間の勝手な幻想や希望を与え続けているんだよな、
やっぱすげえよお前は!
ありがとな、富士よ。
次会うときはもっと大きくなってるといいな、
いや、必ずなるから待ってろよ
山梨の旅は続く、、、
山本喜貴。