ゾンビ愛 -3ページ目

ゾンビ愛

ゾンビ愛、それはゾンビへの愛。

腐りながらもがんばる君に、

撃たれてもめげない君に、

不器用だけどまっすぐな君に贈る、愛の詩。


僕の彼女が

「ゾンビなんて本当はいないんでしょ?」

と言っていた。

この質問に対して正式に回答する義務を感じている。

まず結論から述べよう、

「実在する、あるいは実在した。」

と。

そもそも、ZOMBIEあるいはZOMBIはハイチの民間信仰であるヴードゥー教において、ある特殊な状態にある人間を指す言葉である。

この状態とは、我々からすれば、医学的・生物学的に特殊であるとも言えるし、社会的・文化的にそうとも言えるだろう。

これをハイチ人は呪術的なものによる状態であると理解するであろう。

ヴードゥー教におけるゾンビの定義を以下にまとめてみよう。

・死の判定を、医者あるいは警察から受けた者が、埋葬された後に、何らかの形で再び生活を送っている。
・ゾンビとして生き返った後は、奴隷として扱われる。
・性格なく、意思なき人体となる。
・ハイチではゾンビは完全な除け者である。

そして、これらゾンビ化のプロセスは、邪術師(ソーサラー)の手によって、人為的になされる。

その際に使われるゾンビ毒(麻酔薬のようなものと思われている)によって、仮死状態にされ、死の判定を受けたのち、埋葬される。その後、邪術師によって墓を掘り返され、蘇生のための何らかの薬を投与され、ゾンビとして復活する、とされている。

そして、これらのことが1980年代ハイチで実際に起こり、問題となった。
それをBBCが1981年にショート・ドキュメンタリーとして制作している。

これら一連のことは、ウェイド・デイヴィス著の「蛇と虹」(草思社)に載っている。
(以下参照、僕が持っている草思社版が見つからなかった。絶版になったかな。

おそらく下記の本、内容は同様と思われる。ご指摘ください。)

ゾンビ伝説―ハイチのゾンビの謎に挑む/ウェイド デイヴィス
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(この本を原案として、映画化したのがウェス・クレイブンの「ゾンビ伝説」)
ここまでは、事実としてのヴードゥーゾンビ。
次回はヴードゥーゾンビ映画の話をしよう。

ゾンビ伝説 [ユニバーサル・セレクション] (初回生産限定) [DVD]
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1987年のアメリカ映画。

ホラー界の鬼っ子、ウェス・クレイブン監督作。


ストーリーは以下参照。




http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=8096




この映画、いわゆる「ゾンビファン」にはあまり評価が高くない。

というのもこの映画には、ロメロ以降踏襲された人肉を喰うゾンビが出てこないからだ。


この「ゾンビが人の肉を喰らい、食われた人がゾンビになる」という比較的新しい設定は、1968年製作の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(ジョージ・A・ロメロ)によって初めて確立される。


これをモダンゾンビ元年とし、1978年の「ゾンビ」(原題”Dawn of the Daed”、ロメロ監督)の爆発的ヒットを皮切りに、フォロアーがモダンゾンビ映画を量産、これによって80年代~90年代のモダンゾンビブームが形成される。



本作は、モダンゾンビブーム真只中にありながら、古典的なヴードゥーゾンビを扱うという異色且つ野心的な作品。



したがって、このモダンゾンビブームの延長でこの映画を見ると、きっとがっかりするのであろう。この映画を楽しむためには、モダンゾンビへのこだわりを捨てるか、あるいはより広い歴史的視点を持つかのいずれかである。



いずれにしても、モダンもヴードゥーも「ゾンビ皆兄弟」的な分け隔てないゾンビ愛をもって鑑賞してほしい。そうすれば、クレイブンの恐怖世界に漂着すること請け合いだ。



本作を、ゾンビ映画史の中に再配置し、アメリカとハイチの政治情勢を勘案することで、より深い意味での恐怖の構造が明らかとなる。

それについての詳述は、また改めて。

今日からテーマを変えて、ブログ再出発!!


テーマは前々から興味を抱き、抱くだけでは飽き足らず、DVDを買い漁り、本も買い、

今じゃ、ヴードゥー教やハイチとアメリカの国際情勢にまでに興味の幅を広げてくれた、


「ゾンビ」


って、誰も興味ないか。


↑でもそんなことはどうでもいい。


ゾンビを知り、世界を知りたい。


ゾンビってのは世界への、ひとつの眼差しであり、ひとつの切り口であると思う。


そして、それは自分にとって非常に切実で、底抜けにふざけた手段であるに違いない。