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僕のゾンビデビューは「バタリアン」。
少年のころ、テレビで見て相当びびったのをよく記憶している。(あと裸のネエチャンもね。)
ストーリーは下記参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3
フレディ(元不良)が入った医療会社の先輩、フランク(おっさん)が有頂天からどん底へたたき落とされる、その落胆っぷりは必見。
社長に、ゾンビを殺すように命じられて、つるはしを渡されたときのフランクのビビリっぷりときたら・・・ジェームズ・カレンの迷演に、脱帽!
原題は、"The Return of the Living Dead"。
この"the Living Dead"を直訳すれば、「生きながらえる死者たち」となるが、この矛盾した状態への変化を詳細に描写したとしたという意味で、本作は秀逸な作品といえる。
生きた人間が「生きながらえる死者」へ変化するということは、逆に言えば、「生きたまま死ぬ」ということ。
トライオキシンを吸った、フレディとフランクは、徐々にゾンビ化していくわけなんだけど、その過程で〈死の実況解説〉をするんだよね。
つまり、吐き気と頭痛と寒気という死の徴候を訴え、死後硬直の痛みで唸りを上げる。(このとき単純に、死って痛くてつらいんだなって思ったね)
そして、駆けつけた救急隊員が二人に聴診器をあて、体温を測って言ったひとこと。
「理論的には死んでいる」
「ケンシロウかよ!!」って突っ込みたくなるのをぐっとこらえて、社会的な分析を企ててみる。(←そんな必要ねえかもよ。)
でもまあ、とりあえず。
昨今、延命医療の技術の発達により生じた、脳死という状態が死に属するのか生に属するのかということが、倫理的問題として物議を醸している。(脳死については、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%AD%BB
)
脳死とは、簡単に言えば、脳の機能が停止し、延命装置をつけたままならば細胞レベルで生き続けるが、延命装置をはずせばじきに死後硬直・腐敗が始まる状態のこと。
ここでのポイントは、延命医療という人為的処置の前提があって初めて〈脳死〉という状況がありえるということ。そもそも自然死には〈脳死〉という状態はありえない。
つまり、延命医療が発達する過程で(1950年代ごろ)、従来の生でも死でもないようなグレイなゾーンが生じてきて、その状態を「脳死」と定義したということになる。
言い換えれば、「脳死」は理論的にのみ、判定されうるものなのだ。
では、なぜ人間は「脳死」を定義し、判定する必要があるのかといえば、それは臓器移植を迅速かつ合法的に行いたいからだ。
つまり、脳死が死と認定されれば、新鮮な臓器をほしいままにできるのだ。
ここに、法的に判定される死(つまり脳死)と生物細胞レベルの死(臓器はまだ生きている)の間に奇妙なタイムラグが生じることになる。
この奇妙なタイムラグこそ、まさに状態としてはまったく逆だけど"the Living Dead"と相通ずるものがある。(後者は、体が死んで意識はそのまま。)
つまり、ゾンビってのは「死」のメタファーであり、パロディーであり、ブラックユーモアなんだよね。
「バタリアン」では、死を理論的に判定した救急隊員がゾンビに喰われ、ゾンビと化する。そこから「人間よ、科学技術に過信することなかれ」なんて説教くさい教訓を引き出したいわけではありません。(そもそも、バタリアンにそんなテーマ性ないでしょ。いや、なくもないか。いやいや、考えすぎでしょ)
ただ、僕が言いたいのは、ゾンビたちが救急隊員にする強烈なタックルは必見!!ということ。
やっぱ、バタリアンのゾンビが最強でしょ!