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その後、朝の弁当配達の仕事は辞め、午前中から接骨院で働かせ貰うこととなる。







当面の仕事は受付で、患者さんから一部負担金を頂く事。当時は、お年寄りは月に600円払うと一ヶ月何回来ても良いと言う時代だ。







そのうち、電気をかけたり、湿布を貼ったりさせてもらい、治療も少しづつさせてもらえるようになった。










先生は当時の接骨院には珍しく関節のモビライゼーションを行なっていたので、接骨院は毎日満員だった。








ある日、坐骨神経のお爺さんを診させて貰っていた。当時の先生の施術は主に骨盤を矯正する事に重きを置いていた。








教えられた通りにやっていたら、ある時治ってしまった。







先生は、治したのは君なんだから自信を持って良いよ。と言ってくれた。嬉しかった。









嬉しかったが、なぜ治ったのかがわからない。先生にも聞いたが納得のいく説明は無かった。








当時、先生は整形時代の友人の方達と月一回勉強会をやっていた。








先生の後輩の先生に何人かお弟子さんがいて、皆さん構造医学の難しい本を見ながら、難しい話を当たり前のように話していた。








完全に負けてると思った。







柔整学校では、包帯の巻き方や、骨折、脱臼の整復法や固定法を実技では学んだが、モビライゼーションや骨格矯正は基本的に業務範囲外との事で殆ど無かった。








これはマズイと思った。まず、患者さんにどんな問題があるのさえ全く分からなかった。









ただ、あるとすればよくわからない自信だけ。






というのも







ある日、中国人の中年女性のマッサージを行なっていたら、何を根拠にかわからないが「あなたは将来、素晴らしい治療家になるわよ。」そう言ってくれた。








中国人と言うだけで、何か信憑性があると言うか、すっかり信じ込んでいた。ただそれだけの自信である。









でも、その時からオステオパスへのプログラムスイッチが入ったのかもしれない。とにかく私の潜在意識に刷り込まれ、オステオパスになる為の行動を取り始めたのは確かである。