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母の知り合いの接骨院が近所にあり、そこへ行った。
その先生は私の事を小さい頃からよく知っていて、自分が接骨院の先生になる時の事を話してくれた。
先生は獣医になりたかった様だが、医者ではないけれど人間を診ることの出来る柔道整復師の道を選んだという事だった。
私は高校3年生まで本気でミュージシャンになる夢を抱いていたが、流石に高3で仲間たちが大学進学を真剣に悩んでいるのを見ると、現実を見なくてはと思うようになった。
友人の一人が水産大学に進学したいと言っていたので、昔から魚を飼うのが好きだったという軽いノリから第一志望は国立の水産大学にした。
あと、当時妹が読んでた漫画の「動物のお医者さん」で第二第三志望は私立大学の獣医学科を志望した。
軽いノリであったが、取り敢えずなりたいものが見つかって良かった。
学校は都立の名門高校だったが、それ故に中学まで良かった成績は地を這う程だった。
取り敢えず近所の塾に通った。
高校に入って一番勉強をしたと思う。そんな頃、突き指をした。
自分も獣医学部志望だと伝えると、接骨院の先生は柔道整復師(接骨院の先生の資格)にならないかと誘ってくれた。
当時柔道整復師の学校は全国に14校しか無く、その倍率は30倍と超難関であった。
しかし、何故か私は受かる事が出来た。
入学してみると殆どの生徒が30〜40代の脱サラの人達だった。高卒の18歳は数人しかいなかった。
殆どが年上の同級生という事で、物凄く違和感があったが可愛がって貰った。
学校は月曜日から土曜日までの午後6時から9時半までで、俗に言う夜学だった。
私は当時、朝は父の経営する弁当屋の配達をして、午後から先生の接骨院で受付をさせて貰い、夜は学校に行くという生活を送っていた。
一見すると大変な生活を送っていそうだが、朝の父の弁当屋の配達は配達員は何にもいて、早く配り終わると別便を頼まれるので、車を止めてお昼までタバコを吸っていた。性格は腐っていたようだ。
接骨院を4時半で上がらせて貰って、学校へは車で通学。いいご身分だったと今更ながら思う。
しかも、愛車はスープラ。