こんにちは美澄さくらです。
善と悪
正解と不正解
勝ちと負け
怒りと許す
そんな二極の世界で生きていたとき、
"ネガティブ"に感情が振れた途端いつも降臨してきていたのが勘違いマリア様。
たとえば、
靴を踏まれたのに知らんぷりされたとき。
ホントは
痛い!謝らんかい



って思ってたのに、
人に迷惑かけたのに謝ることも出来ないなんて。
いい大人なのに可哀想。
でもわたしはマリア様みたいな心の広さであなたを許します

マリア様はどんな悪人をも温かく包んでくださるでしょうから



みたいなことをやっていたのです。笑
足を踏む=悪
謝らない=悪
イライラの感情=悪
許す=善
の二極だから、悪が出てきたら善で押さえ込む。
その感情の押さえ込みに、よくマリア様を登場させていたのでした。
こちらの感情を尊重せず首突っ込んでくるのはクソバイスと一緒だな。
このマリア様という存在は当時のわたしにとってはとても都合のよい存在でした。
足を踏まれたくらいで謎のマリア様を降臨させるくらいイライラする自分を疑わず、
謝らないだけで可哀想認定してバカにする自分も疑わず、
ただただ相手を悪者にして無理矢理心の霧を晴らすことが出来たから。
自分の気持ちと向き合うことを放棄した結果だと思います。
こんな風に本音をごまかすことがクセになっていて、
自分はどうしたいかというのが分からなかったです。
マリア様の存在があまりに自然になりすぎていて、
それが結果的に自分の本当の気持ちを有耶無耶にしていると気付けなかった。
完全に、作り上げられた幻の偽マリア様がわたしの世界に君臨していたのです。
もっと普通に、幻の偽マリア様を降臨させずに、
ただ湧いてくる感情を見るだけでいい。
「あ、わたし今イラっとしたな」と気付くだけでいい。
その瞬間、主導権が幻の偽マリア様の自分から本当のわたしに移るから♡
あまりにも当たり前になっている日常を疑う。
そこに繁栄のヒントがあります
