このあいだふと、子どもの頃門限を守れなくて締め出しくらったときのことを思い出しました。
あれは確か小5か小6の冬で17時にはもう暗くなる頃。
危ないから17時半には帰ってきなさいと言われていました。
その日はお友達の家に遊びに行ったのだけど、いざ帰ろうとしたときに
誰もいなくて寂しいからまだ帰らないで。
と言われたんです。
確かにその子のパパもママも妹2人もいなくて、わたしが帰ったらその子は1人になる。
それを振り切って帰るのも嫌で、でもお母さんとの約束もあるし……
とすごく葛藤したことを覚えています。
ザラメのついたおせんべいをテレビもついてない部屋で2人で食べてたなぁ。
鮮明に映像が浮かぶ。笑
結局帰宅が18時だったか19時だったかになってしまって、案の定鍵は閉まってた。
いつもならこんな風に回想していると
これは悲しかった
こんなことされて寂しかった
で終わっちゃうけど、もう少し先まで記憶を掘り出してみました。
そしたら、
わりとすぐ鍵を開けてくれて家の中に入れたことを思い出したんです。
そのあとどんな会話をしたかは覚えてないけど、
結局家に入れたのが事実なんですよね。
被害者意識が強かったときは、
嫌だったこと、悲しかったことにばかりフォーカスがいってなぜ母がそういう態度を取ったのか?には考えが及ばなかった。
暗くなったら危ないから早く帰らせるために鍵をかけたんだろう。
次から遅くならないように。
と、ここまでノートに書いて、なにか気づかないようにしている自分に気づきました。
核心に迫らないようにしてるかんじ。
もういいんじゃない?
もうノート書くのやめよう!
ほら、可哀想なわたしなんていなかったじゃん!
とうるさい思考を黙らせてペンを走らせる。
あのときは寒かったなー
焦ったなー
でもIちゃん放って帰れんかったよなー
とツラツラ書いてたら突然、
子どものときはどこにいても居場所がない気がしてたなー
という言葉が出てきた。
その瞬間涙がポロポロポロー。
インナーチャイルドカードを引いてみたらコレですよ。
寂しい、悲しいという言葉を飲み込んで、元気で明るいフリをしてたなーと思います。
自分の気持ちを考えようと思ったことなんてなかったな。
居場所がないように感じて寂しかった。
それを認めることはいけないことだと思ってました。
・あんなに大事にしてもらったのに、居場所がなかったなんて言っちゃいけない。
・居場所がないと思ってたなんて認めたら、お母さんやお父さんを否定することになる。
最終的には
居場所がないなんて思ってないんじゃない?勘違いじゃない?
とかなんとか思考が言い出した。笑
この、言ってはいけないとか思ってはいけないという制限はほんとーーーーーにいらない!!!
いつまでも幻から抜け出せなくなるし過去に封印されたままになる。
可哀想なままの自分でいたいならいいけど、本心はそうじゃないもんね♡♡♡
去年までどこのどんなグループにいても自分以外の子たちだけで仲いい気がして居場所がないと心がザワザワしてたけど、
その原因はこんなところにあったんだなーと思いました。
これが分かればあとはもう大丈夫♡
またパターンを繰り返しそうになってもただの思考のクセだと気付いてスルー出来ます
脳みそは万能なコンピューター。
だからこそデータの断捨離は丁寧にやっていきたいなと思います♡