今日から娘の幼稚園がスタートです。
2日間は午前保育ですがやっと少し静かになる……笑
少し前までのわたしは「使命」という言葉に強く反応していました。
使命を知りたくて仕方なかった。
使命を知れば
もっと人生がうまくいく
もっと稼げる
もっと幸せになれる
と思ってました。
これがわたしの使命です!
それを仕事にしてます!とか格好いいし。笑
つまり「型」が欲しかった。
時は過ぎて自分の内側をじっくり見る習慣がついたら
使命を探していたことなんてすっかり忘れていたわけですが。
そんな中
地球温暖化によって北極の氷が少なくなっているというニュースを目にしました。
そこでふと思う。
なんで神さまは地球に「人間」を作ったのだろう??
地球の自然環境だけを思えば知能を持った人間はいらなかった。
宇宙を創造するエネルギーからすれば人間を絶滅させることくらい朝飯前なはず。
なのになんで???
あぁそうだ。
経験してみたかったからだ。
手も足もない、動くこともないただの点だった源が
動いてみたい!と願った。
経験してみたい!と願った。
そしてビッグバンして宇宙を作り自然を作り肉体を作った。
だとしたら、
人間そのものが宇宙にとっては嗜好品なのではないか
と思ったのです。
必要じゃない。
でも
やってみたい♡
経験してみたい♡
そんな思いを物質化したのが人間。
やっぱり究極の嗜好品だ。
だったら……
使命なんてものも幻じゃない?
と思いました。
たしかに肉体を持つときに役割として割り振られた能力はあるかもしれない。
でもそれは「美澄さくら」という肉体と同じようにただの役割であって
それを全うしなければならないなんてことはないんじゃないかと思うのです。
そこで思い出したのが
7月に開催されたはるかさんの現実創造セミナーでのワーク。
セミナーの1番最初に、みんなでワークをやりました。
何万光年離れた視点から、これまでの全ての人生を眺めてみるというもの。
きっと、これまで
男だったとき。
女だったとき。
若くして死んだとき。
年をとってたくさんの家族に見守られて死んだとき。
孤独だったとき。
幸せだったとき。
苦しんだとき。
心から満たされていたとき。
たくさんの人生のたくさんの場面があったはず。
それらをぜーーーーーーんぶ見てきた『目』
その目に、今自分が悩んでいることを
「ねぇ、私どうしたらいいと思う??」
と相談してみよう♡
セミナーのときを思い出して再度わたしの目に聞いてみる。
「ねぇ、使命は果たさないとあかんの?」
「んなわけないやん!好きなことしたらいいんやで!なにをしても応援してるよ」
ですよねー!!!
確かに
「地球行くなら宇宙の仕組みたくさんの人に伝えてくれへん?
それ君の得意な能力としてプログラムしとくから。」
とか
「バリバリのカリスマ性と歌唱力プログラムしとくから
歌を通して世の中の人に影響与えてくれへん?」
くらいの打診はあるかもしれないけど強制力はないと思う。
占星術とかで分かるようにそれぞれ得意不得意があって
プログラムされた得意なことを伸ばせば上手くいくことが多いかもしれない。
でもだからといって
使命を知るために躍起にならなくてもいいんじゃないかなぁとも思うのです。
仮に使命が分かったとしてそれが好きじゃなかったら?
好きじゃないけど使命だからと頑張る??
ほんまにそれでいいの?
と、使命を必死で探していたあのときの自分に言いたい。
それよりすることあるやろって。
もちろん使命として天職として誇り持ってお仕事されてる方もたくさん知ってるし尊敬もしています

その方たちがどうこうじゃなくてもし今使命探しをしているなら
「使命」という型探しはもうやめよう!
と思います♡
そんなことを知らなくても好きなことやってたらいいやん♡
その使命がいつ役割として割り振られたかは分からんけど
「今」好きなことしよう♡
使命を探して三千里、
ひたすら旅を続けていたわたしはそう思います。