あけましておめでとうございます!
祖母宅から帰宅し、日常が戻ってまいりました。
2019年12月31日、まだ真っ暗な朝6時にわたしは某神社におりました。
山の中にある神社、真っ暗で寒い中懐中電灯の明かりを頼りに夫と2人テクテク。
エネルギー値がものすごく高くて不思議なことがたくさん起こった神社。
なんとなく気になって行ってみたのだけど、やっぱり行ってみてよかったなぁと思いました。
二つ返事で連れて行ってくれた夫、朝早くから子供たちを見ていてくれた母と叔母にありがとう♡
昔は神社といえば願いを叶えてもらう場所でした。
神さま仏さま、どうか彼氏が出来ますように。
神さま仏さま、どうか志望校に合格出来ますように。
神さま仏さま、どうか希望する条件の企業に就職出来ますように。
今のままでは叶いません。
どうかあなた様のお力でわたしの願いを叶えてください。
って思ってました。
パワースポットとよばれるところも同じ。
パワースポットはパワーをもらう場所だと信じて疑わなかった。
パワースポットさえ行けば願いが叶う。最強になれる。なんて信じてました。
でも、件の神社にいるときにふと
神社もパワースポットもその場がもつエネルギーにいかに自分が同調出来るかが大事
なんだと思いました。
自分に自信がないから、足りないから、見えないもののパワーで補充しようとしていたけど、でもそうじゃなかった!
そこにただ在るエネルギーとの間の境目をなくすだけでよかったんです。
でも、エネルギーに同調するには自分もそれくらい高いエネルギーを発していないといけない。
エネルギースポットは、自分が本当の自分で在れているかを図るバロメータでもあるなと思います。
7月にさきこさんの伊勢合宿に行ったとき、「この木がすごいらしいよ!」とたくさんの参拝客が触れていた大木がありました。
それを見たりこさんがひとこと
「わたしは木は触らないんだ。あぁやってみんなが触ると樹皮がめくれるよね。あれでほんとにいいのかな。」
と。
たしかにみんなが触れる部分だけ樹皮は剥がれ落ちて丸裸状態。
神宮内にはめくれた部分を藁のようなものを巻いて保護している木もたくさんありました。
なんだかそのひとことがすごく印象に残っていて、以降木に触れることは一切しないようになりました。
触れるのがいい・悪いという話ではなくて、パワーをもらうという姿勢は不足感や奪うという在り方と同じだということ。
自然のパワーをもらわなくてもわたしたちは本来自然そのものである。
でも、成長していくにつれてたくさんの思い込みや常識という名の縛りで自分を信じる力が弱ってきたんじゃないかな?と思います。
本当の自分を生きることが自然である。
これがほんとの自然体♡
そのことをこの年末年始にますます感じ、それに力を注げる存在で在ると決意新たにしました。
2020年はカードセッションに力を入れ、自然体で生きることを思いだすお手伝いが出来ればと思っています

今年も1年、どうぞよろしくお願いいたします
