前回のブログで、
わたしは確かに愛されてると思っている。
だけど、
自分で自分の存在そのものを否定していたことに気付いた、と書きました。
(全文はこちら♡)
そっか。
私は、自分のことがよっぽど嫌いなんだなーと思いました。
「自己否定が強い」と言ってもなかなか信じてもらえないくらい、
自分でもうま〜く自分を誤魔化して生きてきたのだと。
でも、もうこんな人生やだな。
自分のこと嫌いなまま、生きていくのはしんどいな。
ここまで気付いたら、あとは、
やめるだけ♡♡♡
「確かに愛されていた」というのは幻の安心感。
結局、これすら不足感を埋めるだけのものでした。
少し話は変わりますが、
私の夫は、仏陀か?キリストか?っていうくらい、
心の泉から愛がダダ漏れです。
与えっぱなし。
かけっぱなし。
流れっぱなし。
見返りを求めず、どれだけ私が八つ当たりしても決して責めません。
怒られたことも、ないです。
そんな夫だからこそ、
愛を惜しみなく与えてくれる夫だからこそ、
足りない!
足りない!
もっと愛してよ!
全然足りてない!
1ミリも愛されてない!
と、どれだけ暴れまくっても変わらず愛してくれました。
文句も言わず。
逆ギレもせず。
で、私は思ったんです。
自分で自分を愛せないから必死で夫から愛をもらおうとしてたんだと。
自分で自分を否定して愛を無かったことにしてるから、
どんどん不足する。
愛の器に穴が空いてることにすら気付いてませんでした
しかも、どれだけ勝手なことを言っても与えてくれるから、
勘違いご自愛まっしぐら![ゲロー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/038.png)
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自分勝手にしてても愛されてる私、ドヤ!悦〜
家事せずゆっくりしててね、俺がやるからねって言ってくれる夫、ドヤ!悦〜
八つ当たりしても愛されてる私、ドヤ!悦〜
専業主婦でなんでも買ってもらえる私、ドヤ!悦〜
他にもこんな感じでドヤりまくってた。
ドヤってない風に見せかけて、ドヤってた。
あー、書いてて吐きそう。
どなたかお医者様はいらっしゃいませんか……![ゲロー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/038.png)
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ドヤって人から「すごいね〜!」っと言ってもらうことで、
私は夫から愛されてるんだ
と自分を安心させてたんです。
穴があったら入りたいくらい、恥ずかしい。
思いやりのかけらもない。
話は戻り、
自分のことを好きでいたい
という本当のわたしの願い。
自分で自分のことを好きだと認めてしまったら、
愛は足りていると認めてしまったら、
八つ当たりしても愛されるという安心感が得られなくなる。
私にとっては、
どれだけ自分勝手でも愛されている
ということに価値があった。
でもそれが無くなったら。
そうしたら、自分は存在していられない。
価値が無くなってしまう。
自分勝手なのに愛されてるから価値があるのに。
にも関わらず、自分勝手振舞うことには罪悪感がめちゃくちゃあった。
だから、いつか捨てられるという不安があった。
そしてその不安を、
好き勝手しても愛される私、ドヤ!
で誤魔化してた。
だから、いつまでもいつまでも、
足りない!
愛されてない!
と騒いでいたんだなと思います。
もしこれが友達の話なら、
あーもう、ややこしいわ!!!笑
そのクソおもんない魂の遊び、さっさとやめよ!!!
と言える。
でも、ほんっとに自分のことって分からない。
だから私にはカードがぴったりだったんだと思います。
自分の本当の気持ちを誤魔化す天才だったから。
カードはそこを思いっきり直視させてくれるので、もうその気持ちを無かったことには出来ない。
自分で自分を満たす。
これを、
欲しいものを買う
好きなことをする
嫌なことをやめる
食べたいものを食べる
というようなことだけだと思ってました。
もちろんこれもとっても大事なんだけど(勘違いご自愛でなければ)、
全部外側のこと。
そうじゃなくて、もっと内側の、
自分の存在を愛を持ってまるごと受け入れてほしい
という願いに気付くことが、自分を満たす第一歩だったなと思います。
自分を否定的に見るのではなく肯定的に見る。
自分のことを好きでいられないと、本当に人を愛することなんて出来ない。
そのことに気付いたら、心がスーっと軽くなって涙が出てきました。
勘違いご自愛のままで終わらなくてよかった。
気づけてよかったな。
としみじみ思う、今日この頃です。